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北朝鮮でAV見せたら大ウケした話

 ジョージ・オーウェルの『1984』を読んでいたら""comrade""という懐かしい単語が目に止まったのである思い出に浸りたい。

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 ※この文章はお下劣な話なのと内容が内容だけに朝鮮総連関係者等が見て当該関係者が処刑や粛清されるリスクがあるので登場人物や状況など多少の脚色を加えています。


訪朝

 もう何年も前のことである。僕は北朝鮮ツアーをほぼ終え中国と国境の街に来ていた。訪朝している間には軍人に色々勘違いされ銃口を向けられながら携帯を没収されたり、その後過度のストレスから発熱するも二度とない北朝鮮旅行と思って身体を張っていた為、鴨緑江が見えた時はだいぶ気が楽になっていた。

 平壌から乗った列車を降りると新しい観光ガイドがついた。いわゆる監視員という奴である。平壌市内や別の都市に行った時はこれとは別のツアーガイドがいたが、この国境の街はツアーのオプションで僕とインド人の二人しかいなかったので列車に乗る際にお別れしていた。

 この新しい観光ガイド兼監視員さんが今回の主人公である。僕は挨拶するとともに恒例のタバコを一箱あげた。北朝鮮では小泉政権が日朝国交正常化した時に旅行者が持ち込んだセブンスターが現地では七つ星と呼ばれ賄賂として配ると喜ばれると聞いていたからである。

 9月のまだ残暑が厳しい青空の下、列車が通りすぎ補修のままならないヒビ割れたコンクリート製のホームの上で熱い息を吐きながら、我々は紫煙を燻らした。タバコの煙を通して彼は色々話し始めた。なんと彼は日本語専攻していたらしくかなり流暢な日本語を話した。

 北朝鮮工作員が日本人を拉致して日本語教育していたのってこういうところなんだろうなぁと思い出しながら彼と自己紹介をしあった。

 吸い終わる頃に彼はタバコと私をいたく気に入ったらしく私のことを”” my comrade "" と呼んだ。「comrade??? what does it mean?」と聞き返すと「ドウシ、ドウシ、我が同志」と答えた。あまりに共産主義丸出しの英単語で思わず声を出して笑った。そんな単語知るはずねえだろw w w w w w w w 



 休憩タイムが終わりこの駅で降りた十人程度の外国人と合流してバスに乗った。北朝鮮内は単独行動ができず基本的にツアー行動なのだが、こういうオプションは別の団体のメンバーを組み合わせて調整しているのだろう。

 この日は朝から陸路長旅お疲れ様ということでバスは直接ホテルへと向かった。道中のバスの中で平壌で買ったらしい人民服を着たおちゃらけたドイツ人が際どい質問を始めた。

 「君たちって給料いくらもらってるの?」

 「月に200〜300人民元ぐらいです(当時のレートで4000円前後)」

 「ここ、中国国境の街だけど脱北するつもりないの?」

 「????それってどういう意味ですか」

 「君たちが着ている服とかって北朝鮮製なの?北朝鮮製のものっていいの?」

 「正直中国製のものがいいが高い。。。」

 聞いているこちらの方が不安になる質問ばかりであったが半島内の経済情勢が如何程かが分かった時間だった。ただ脱北に関しては演技でもなく本当に存在すら知らなそうであった。



 ホテルに着き荷物を下ろすと例の監視員君がきて今日は夜ご飯の時間まで特に予定がないので裏山まで登りに行こうと話した。僕も特にすることもなく暇だったので快諾した。

 裏山に登っていくと満洲国時代の石碑らしきものがあった。安東とは丹東の満洲国時代の名前であるが鴨緑江南部もその範囲だったのかななどと思いながら山を登った。


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 山を登る時、他の監視員もいたがその人は日本語を理解できないようなので周りの目を気にする事なく、気さくに北朝鮮旅行はどうだったとか外の世界はどうなのかとか聞いてきた。

  僕もこの人なら北朝鮮国内事情を聞いても答えてくれそうだとばかり質問していった。

「最近デノミネーションやインフレが起きているとニュースで見たが実際経済は混乱しているの?」

 「デノミもインフレも経済封鎖に比べれば大したことない。経済封鎖している米帝は許せない。」

 「経済封鎖の何が1番きつい?」

 「石油の禁輸が1番影響が大きい。石油価格は年々上昇して買えなくなってきている。」

 別の監視員に怪しまれても困るので、適度に質問し終わったタイミングで北朝鮮に入国する前に北京国際空港でアントニオ猪木とツーショットした話を振った。そしたら監視員二人とも驚愕していた。アントニオ猪木は彼の国では末端の人間にまで名を知られているほど有名であった。監視員君は「My comrade, my comrade」と繰り返し呼びかけた。

 裏山といっても丘のような場所でお世辞にも景色が良かった記憶がない。適度に切り上げてホテルで休憩することになった。



 ホテルに着きタバコをふかしていると監視員君が少しニヤニヤしながら話しかけてきた。「我が同志よ、日本にドールがあるのは本当か?」

 最初ドールがなにを指しているか分からなかった。さっきベビー用品の話をしてたし子供向けのリカちゃん人形とかそういう類の話をしているかと思ったが、食い気味に質問を繰り返すのでどうやら違うらしい。

 北朝鮮でポルノ関連の話はタブーであったがこの人なら大丈夫かと思ったので聞き返した。「う〜ん、ラブドールのこと?」

 彼も噂を聞いたことがあっただけで詳しくは知らなかったらしい。僕が性的欲求を満たす為に存在するオナホみたいなものと説明した。当然オナホなるものの存在すら知らなかったので画像フォルダ内にあった同居人のオナホを見せた。


 彼は興奮しながら色々と質問をしてきたので日本の性文化を知る範囲で教え込んだ。バレたら共々‪労働教化‬刑か最悪処刑されるリスクもあったが、そもそもこの訪朝旅行の前に腹は括って遺書も残したので最後の北朝鮮を楽しむつもりで話した。

 AVの話をした時が1番食いついてきた。「我が同志よ、そのAVとやら、今持っていないのかい?」

 その時僕はiphoneに入れてエロ動画を40~50本ほど持ち込んでいた。北朝鮮にも独自のネット回線はあるがとても使えたものではないので隠し持っていた。もちろん違法である。これを見せるのは流石に躊躇した。

 僕がAVを持っているのを勘付いた彼は「My comrade, 我が同志よ、頼むからそのアダルトビデオとやらを見せてくれ。お願い。頼む、ほんの少しでいいから」と必死に懇願してきた。押しの弱い土下座したらやらせてくれる女が「先っちょだけ、先っちょだけだから」と言われ身体を許しちゃう時の気持ちってこんな感じなのであろうか。そんなものはエロ漫画の中だけの世界だと思っていたが実際そんな気分であった。

 最終的に根負けして秘蔵のエロ動画コレクションを見せた。内容は素人ナンパモノが中心だったか。

 監視員君は食い入るように見ていた。「どうだい?」と尋ねたがあまりに熱中していて聞こえてないようである。iphoneの使い方を聞いてくる時以外は反応が鈍い。何回感想を聞いても喃語のような「あー」とか「えー」とか曖昧な答えしか得られなかったので僕も諦め平壌で買った本を読み始めた。

 30分ほど経った頃だろうか、一通りのAVに目を通し終えたのか話しかけてきた。「こんなに素晴らしいものがあるのか、日本って素晴らしい国だ、、、、、、」

 ちょうどその頃夕食の時間というので召集がかかった。彼は案内をさっさと済ませて今すぐにもコトに取り掛かりたそうなソワソワした様子であった。

 夕食会場に連れていく途中で監視員君がiphoneを貸してくれと言ってきた。正直携帯を持ってかれるのは怖かったが彼の目は真剣そのもので、それ以外の目的に使うつもりはなさそうなので了承した。その時もう一台スマホを持っていて写真撮影はできるしご飯食べてる間ぐらいだったらいいかなと思ったのもある。

 彼はそれを聞いた瞬間、踵を返しすぐ自分の部屋かトイレに向かっていった。僕も登山を終えた後でお腹が空いていたので食事を楽しんだ。

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 その時は食事だけではなく現地の牡丹峰楽団みたいな楽器演奏とダンスのパフォーマンス鑑賞があった。

 30分経った頃、とてもご機嫌な様子で監視員君が入ってきた。パフォーマンス中であったため小声でありがとうを繰り返し言った。



 夕食が終わり部屋で休憩していると扉を叩く音がする。今日夜の予定なんかあったっけ?と思いながら扉を開けるとそこには監視員君が立っていた。「携帯を貸してくれ。今晩中」

  いやさっきシコったばっかじゃん?と思いながら夜中携帯使えないのはなぁと逡巡すると「頼むからもう一度iphoneを見せてくれ、一生のお願いだ、、、」と必死な声で懇願してきた。一生のお願いという文字列がこれほど意味あるものとして聞こえたのは人生で初めてだった。

 確かにここで見れんかったら本当にこの人たちは一生AV見れないよなと彼らの境遇に想いを馳せていたら心が動いてしまい、押し問答の末承諾してしまった。パスワードも聞かれたが中指立てた写真や盗撮した市内の写真はもう見れないようにファイルを移してあるしいいかなと思ってこれも教えた。

 彼は嬉し泣きしそうな顔でありがとうを繰り返した。ただすぐでもAVを見たそうな雰囲気を醸し出していたのでお休みの挨拶をして見送った。



 次の日、監視員君は目の下にクマが出来ていたがとても満足そうな顔で携帯を返してきた。

 iPhoneを開くと充電は1%だった。あんなに上機嫌な賢者タイムを僕は後にも先にも知らない。




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