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【ジョージアに住む人たち】ノマドニア創設者の人

さいきん無名人インタビュー界隈はものすごく海外の話題が多くて、台湾しか行ったことない私qbcも俄然海外に興味がある状態です! というか人に誘われないと、ぜんぜんどこにも行かない人間というか、いま家でやらなくちゃいけないことがたくさんあるからいけないんですよね。
とか言うと「そういうこと言い訳にしているひとは永遠にどこにも行けない」と言われる向きもあるかと思いますが、「そうですね、今はそのタイミングじゃないんでしょう私。」と、思います。いやーもうほんと、そう、タイミングがね。
今、無名人インタビューメンバーのひとりがジョージアに上陸して、視界に入った人すべてに声をかけてインタビューしているそうなのですが、その他の方は、ぜひこちらのタグから記事をお読みくださいませ。

ということで無名人インタビューゴツ!!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(無名人インタビュー主催)】

今回ご参加いただいたのは KOH さんです!

年齢:30歳
性別:男
職業:起業家


現在:15年ぐらい前の中学生高校生のときの自分が今の自分を見ると、半端じゃなくかっこいいと思うんですよ。なので、自分大好きです。

さあや:最初の質問ですが、今何をしている人でしょうか?

KOH:1ヶ月で10の職種を体験する海外ノマド体験の「ノマドニア」を運営してます。

さあや:ノマドニアは10の職種を体験するということですが、どういうきっかけで始まったサービスですか?

KOH:
元々は共同創業者と一緒にフィリピンの語学学校の、新しく始めたプログラミング留学に対してマーケティングのサポートと、講座内でのメンターをしていました。

さあや:はい。

KOH:それで2人で組んでやってたら、成果が良かったんです。ただそれがコロナが始まった頃、2019年の後半12月、2020年の冬頃とかそれぐらいだったんですよね。
基本的には日本からフィリピンに行って受講生たちが英語とプログラミングを学ぶのですが、当時は渡航が不可能になり始めたので、オンラインに移行した開催回もありました。

それも2期3期、と続いていき、集客の部分とメンタリングの部分とでうまくいったので、僕たちは別に自分たちでやってもよくね?みたいな感じで、独立したような感じですね。それは委託で受けてたんで、判断は僕たち次第という感じだったんですけれども、それも結構大きなところで上場してる企業の子会社の運営していた会社さんのところでやってました。

ただ、自分たちでやっても良くない?と言っても社会の状況は依然としてコロナ禍。すぐにはノマドニアを始めることはなく、共同創業者と共に下地を温める期間に突入しました。

ノマドニアの共同創業者であるルイス前田は、スラッシュワーカーズというオンラインのコミュニティで複業の提案と、それに対する教育コンテンツの提供というものをやっているので、下地を温める期間にはコミュニティとコンテンツの経験値を成長させる。

僕はジョージアに住んでコワーキングスペースを経営していたので、ジョージアという謎の国を、謎の国じゃなくて、なんか移住先の候補地として当たり前にあるよね、ぐらいの認知度にしていくっていうマーケットメイクをする。

そうして自分の手元のビジネスをそれぞれ成長させていくことで、僕たちが一緒に始めることに対しても、より効果的になるだろうと想定して動いていました。

ということでワンピースみたいな感じですね。1回コロナ禍はそれぞれのビジネスで強くなって、今後1、2年かけて移り変わりゆく世界の情勢を見ながら、そのときに一番求められることが必要なことをやるというポジティブな温め期間に入ったんですよ。
コロナの終焉を10年20年するかもしれなかったところ、人類の努力によって2年ぐらいでほとぼりが冷めてきました。日本でのコロナの時期と、東ヨーロッパ地域におけるコロナの時期はだいぶギャップがあるんですけれども、ジョージアの入国者隔離がなくなったことを期に、東ヨーロッパ基準で「パンデミック明け」と判断したんです。

そして、東ヨーロッパ基準で「パンデミック明け」となった2021年6月から本格的に準備を開始し、翌月にはノマドニアをリリースしたという感じですね。僕たちがやろうとしてたことは、草案としてはWEBフリーランスの教育合宿みたいな系統だったんですよ。最終的にスクールではなくワークショップのノマドニアになったっていうのは、コロナ禍のオンラインスクールとかがすごく増えてきたことがきっかけです。

コロナ禍ではプログラミング、WEBデザインスクール、これらはバブルだったんですよ。みんな仕事が止まっていて、在宅とかでできる仕事とかスキルを身につけないと、今後何年続くかわからないこの外出できない状況、もしかしたら世界が外出できなくなるかもしれない、っていう先の不安に満ち溢れた状況に、人々の需要が爆発的に増えました。

周りからはなんでそこに参入しないの?って、当時はよく食い気味に聞かれました。
ずっとやらずに観察者側で俯瞰したんですよね。

そこで見えてきた問題が、みんなオンラインで働くと言ってWEBサイトを作っても、世の中にそんなにたくさんのWEBサイトはいらないんですよ。けどオンラインで働くといえば真っ先にWEBサイトを作る系のプログラミングだったりとか、WEBデザインに走っていくんですね。そしてオンラインスクールを受講した結果、結局あんまりその職についている人があんまりいないなっていう印象で。もちろん2:6:2の法則とかで、どれだけ素晴らしいカリキュラムをスクール側が提供しても、高い熱量と集中で実行する人の割合は2割だったりします。感覚的には1割、10%ぐらいかなっていう感じですけどね。統計的にはどうかわからないですけど。

さあや:1割ぐらいしかなかった。

KOH:コロナ禍におけるプログラミング、WEBデザインスクール、これらのバブルの中身を俯瞰して覗いたら、ただ単に自分の収入獲得手段だけにフォーカスした、仕方なしの職業選択、スキル選択が巻き起こっていました。

特にプログラミングなんか好きでもないとできないというか。そんな世界に、「オンラインで収入を得る」のような希薄なモチベーションで参加しても、先が明るいとは思えません。

店舗やオフィスとかでは先輩の圧力や後輩の責任など必要なストレスがありますが、在宅勤務になったときにモチベーションを保てるような人ってそんなにいないと思うんですよね。

だからって、自宅に人を配置してモチベーションを保つとか、そんな野暮なことは解決方法じゃなくて、そもそもの業務やスキルや解決できる課題に対する「熱」こそが必要なストレスの代替手段になりえます。
そのモチベーション構造を解き明かしてからは、なんで興味もないのにその仕事をするんだろうという感情が出てきましたね。
そうすると、10代の頃の何気ない体験がフラッシュバックしました。

自分は15歳ぐらいから社会人として働いているので、社会人側として大学生の友人と関わってきたわけです。ある日、純粋な気持ちで聞いたんですよ。「どうしてその学部を選んだの?」って聞いたら、誰からも明確な回答が得られなかったんですよ。

大学に行って、経営学部を出て経営コンサルの会社に入るとか、農学部を出て日本農業の新しいカタチを作るとか、そういうものだと思っていたのですが、どうやら誰しもがそういうつもりではないようでした。
さすがに謎の進学は僕の地元だけなのかなと思ったんですけど、けっこう日本全国でこのケースあるみたいですね。

謎の進学とコロナ禍で起こっている現象が重なりました。「あ、結構みんな人生をなんとなく選択しているんだ」と、選択に対する解像度が低いことに気づいたんですよ。もうこれは社会問題だと。世の中、スキルが目的になってるんでその先が空っぽなんですよね。

じゃあどうやったら人々は、選択に対する解像度が上がるのか。夢中になれることに突き進めば良いのではないか。夢中を見つけるには、デモンストレーションでいいから「やってみる」しか興味の発見ってないんじゃないかなと。

どんだけ理屈付けても、結局やってみなきゃわからない。自己啓発本とか読んでもそれはその他人の物語。人に相談してもその人は自分のことをそんなに知らない。自分の人生は自分で決めるしかないから、自分でやってみなきゃいけないんですよね。

学生は長期休暇にインターンしまくったらいいと思うんですけど、大人になると、いろいろやってみる時間がないというか、機会がないんですよね。社会構造として、色々やってみて興味を発見するというフェイズは大人になった時点でもう終了しているんです。

じゃあラストチャンスとして興味発見機会を創出しようっていうので、リモートワークに絞って10の職種をデモンストレーションでやってみようというノマドニアができました。これを僕たちは試職って読んでますね。試す職業。

さあや:ノマドニアを運営しながら、どんな1日を過ごしてますか。

KOH:僕は毎月違う国で暮らしているので、その国や地域によって全然違うんですけど、最近はお酒をあんまり飲まなくなったから朝早いですね。

先月のスリランカの過ごし方でいうと6時ぐらいに起きて6時半には海に行って、帰ってきて、1時間半ぐらいのストレッチとかして、朝だけで3時間ぐらいは運動している感じです。で、仕事して夜9時には寝るって感じですね。運動して仕事して寝るみたいな感じです。

さあや:毎月違う国にいらっしゃるっていうことなんですけど、1年を通して、どういう過ごし方が好きですか。

KOH:毎月違う環境になるのは、忙しすぎず、退屈すぎず、自分のリズム感にちょうどいいです。それが早すぎて疲れる人もいるし、それが遅すぎて、もっと動きたい人もいるし、自分にとってはちょうどいいリズム感って感じです。

さあや:どんな性格って言われることが多いですか。

KOH:変。

さあや:変っていうのはどういう意味ですかね。

KOH:全く僕わかってないんですよね。

さあや:ご自身では変だと思いますか。

KOH:逆に人々のフツウがあまりわからないんで、僕はよくネットで検索してます。日本人のフツウがわからないんで、「Typical Japanese」って検索しても、やっぱり表面的な情報しか出てきません。最近インスタグラムでプライベートアカウントを作って、友達に「みんな起きてベッドから出るまでどれくらいかかる?」みたいなアンケートをとるとめっちゃ面白いんですよね。フツウがわかるんですよ。

でもこれ僕の友達だけだからなーっていうので、ようは絶対的な「フツウ」というものは存在しないのでは?っていうのを最近、考えてます。なので、自分の何が変なのかは結構難しい質問ですね。

ただ変って言われるのは、「みんながやってるから、自分もやる」みたいな動きをしないからだと思いますね。こういう時はみんな謝るという時も、自分に謝罪の気持ちがなければ謝りません。

それこそ、「まぁみんなふつうは大学に進学するよね」みたいな。義務教育って中学までだからあと行っても行かなくていいじゃないすか。なんなら義務教育も義務なので任意ですけどね。

フツウは高校行って、フツウは大学行くよねって、その「フツウ」の選択には何もロジックがないんです。自分が考えて意志決定したのではなく、失敗する確率が低そうな多数派の選択になんとなく乗っかっているだけなんです。

ということで、自分で考えて意志決定していると、多数派の選択に属さないことも多々あるので、それは変になっていきますよね。

誰しもが本来は十人十色で独特な変なやつなんですけど、多数派の選択であるフツウへと結託していく。そんな中、僕はただ本来の独特な変なやつであり続けたっていう、だけですかね。そりゃ、相対的に変だなって思いますよね。

さあや:自分の好きなところはありますか。

KOH:昔こうなりたかった人になれているどころか、その3倍ぐらい叶えているところです。だから僕、自分大好きですよ。
10代の頃とか、妄想して寝れなかったんですよね。大人になったら海外で何して何してって考えると。
10代から働いて収入はあったけど、20代は今よりお金も時間もあって保護者の許可もいらなくて、できることが増えて100万円あったら何しようみたいな、そんな妄想。
1ヶ月あったら、1年あったら何しようとか。そういうのを考えるともうワクワクして寝れなかったから、考えないようにするの超大変だったんですよ。本当に朝になっちゃうんで。

その眠れなさは今思い返すと、かなり異常で病的に興奮する性質を持ってたんでしょうね。
まあ、そんな10代の自分が今の自分を見ると、半端じゃなくかっこいいと思うんですよ。なので、過去の自分から見た現在の自分が大好きです。

さあや:そうなんですね。最近あった楽しいことはどんなことですか。

KOH:最近やっぱ楽しいことは、毎日サーフィンして楽しかったですね。サーフィンが上手になったことです。さすがに1ヶ月間毎日やってたら、上達したことです。サーフィン自体もそうですが、具体的には自己成長が楽しいです。
サーフィンも上達したし、あとは画像生成AIでアイコン作るのとか。っていう謎のスキルが身に付いたり、遊んでたら何かができるようになるのが楽しいですね。

さあや:Twitterのアイコンにしているものですか。

KOH:こっちです。

さあや:こっち。

KOH:Facebook公式っぽくないけど、なんかFacebookってわかる3Dデザイン。最近デザインにハマってるのかな。

さあや:このデザインを作るときは、どういったところから着想を得ようとか、得ているでしょうか?

KOH:うわーこれいいなって思ったところから、ですね。アプリ3Dアイコンの着想はNFTの3Dのキャラクターからですね。これは2次元を3次元風に起こしてるので、元々手書きのイラストを、画像生成AIに食わせて、ぷっくりさせてるというか。
これも元のアイコンだったり元のイメージがあるんですよね。

2次元のFacebook Messengerのアイコンを基にして3次元風のアプリアイコンにして遊んでて、これがもう楽しくて。「やばい、毎日3時間運動してるけど、これやり始めたらその時間がなくなる」みたいな。

さあや:仕事と趣味の違いはどう思われていますか。

KOH:仕事と趣味の境界はないですね。昨年、僕は業務を効率化するオートメーションの開発にハマって、1年ぐらいやってました。
そのスキルアップ過程でメンターをお願いしてた人が「今度自分の法人化するから創業記事を書きたいから、公開前に読んだ感想とアドバイスが欲しい」くらいのトーンで有償依頼を頂きました。

これが結局楽しくなっちゃって、全部編集者みたいな感じで構成から文章表現からイジったら、すごく喜んでもらえて公開後の反響もよくて。「そういえばこれ客観的には仕事というものか」みたいな感覚です。

だから頼まれてないことをやったから追加オプション料金いくらです、っていう感覚もあんまないですね。こっちが勝手に興奮してやってるから、別に元に戻したかったら戻してもらえばいいし、採用しなくてもいいから、採用しなくてもいいけど勝手にやってこうしときました、みたいな。だって楽しいから、といった感じで、遊んでるだけです。

受けた依頼は楽しくやるので、1受けたことを1で返すことはほとんどなく、基本的には1受けたら3返す。全然意識高い話とかじゃなくて、仕事と趣味の境界がなくてエンジョイしているので、必然とそうなります。

過去:一番興味あるのって、コアな部分は知的好奇心だし、タイムトラベルなんですよね。

さあや:先ほど少しお伺いしたんですけど、どんな子供でしたか。10代とか、20代とかを振り返って。

KOH:小中学生の頃はいろんなところに行くことが好きでした。最初はもう、隣の町に自転車で行ってみることから始まったり、次第に100キロくらい移動したりとか。お金からないし、自転車ぐらいしか遊び道具がなかったので。そういう意味では、旅癖みたいなものはめっちゃあって、旅心を満たしてましたね。

さあや:隣町に行ったり旅に出たりしたときは、どういう感情になるんですか。

KOH:好奇心ですね。あっち行ったら何があるんだろうという。あと、地理の教科書、日本地図か世界地図かな。多分みんな社会科の授業で配られてたような地図みたいな本があったと思うんですけど、それをめっちゃ見てました。愛読書です。そのわりに世界の都市の名前とか全然覚えてないですけど、こんな場所があるんだみたいな。
今も暇があればGoogleマップをめっちゃ見てます。地形図とかで見たりとかすると、地表の凹凸を観察できてより面白いです。気候も農作物も文明の分布も地形の要因が大きいいですからね。

最近面白かったのは、コロンビアとパナマの間は道路が繋がっていないことです。
繋がってはいないんですけど、ちょいちょいなんかキャンプ地になってたり。何かレストランとかもあるんですよ。
そのナゼをまた深掘りしていったりとか、知的好奇心が刺激されます。

パナマとコロンビアの間は歩いて国境を跨ごうとしても、森にはマラリア感染のリスクのある蚊が多く生息していたり、いくつもの山を越えるルートを100キロとか200キロとか歩かなきゃいけないので現実的じゃないようです。

ただそこをコカインの流通ルートだったりとか、何かしらの密輸ルートとして人が行き来してる可能性ってのはあると。実際統計にはもちろん出ないですけど。

そこの運び人の仕事って、想像してみるとめっちゃサバイバルですよね。蚊が一番の天敵で、本当に人を殺すような。それ以外もたくさんいるでしょう。で、怪我とかしても周りには病院や医療設備がない。そこを徒歩で国境を跨いで行くっていう。そんな壮大なサバイバルが繰り広げられていることもあるんだろうなと思うと、いろんな世界線があることを感じられて楽しいです。本人たちはたまったもんじゃないでしょうけどね。グーグルマップひとつでめっちゃ遊べます。頭の中で。

さあや:小さいときはどういう遊びをしてましたか。

KOH:
やっぱ自転車でどっかに行くのが大きくて、高校生になったらそれが原付になって今は飛行機になってるだけなんで、ずっと同じことをしてます。見たことのない隣町に出かけたあの時から、どっか行く、こっち行ったら何があるかな、をずっとしてますね。
毎月違う国で暮らす今だと、あそこで暮らしてみたらどうかな、とか。

あちこち移動すること以外だと、WEBを触るのは比較的早かったかなと思います。
ガラケーの時代なんですけど、おそらくアメーバブログがサービス開始したくらいの中学1、2年生ぐらいからブログ書いてたりとか。

ガラケーでHTML、CSS打って簡単なホームページを作れたんですよ。そういう簡単HP作成サービスみたいなのがあって「<center>~</center>って打ったら文字がセンターになるんだ」とか、「こうやってホームページができてるんだ」なみたいな感じで楽しんでました。

パソコンは買ってもらえなかったので僕のWEBとの関わりは停滞はしたものの、インターネットで遊ぶっていうのも、そのときは楽しかったですね。それが中学生の時の話です。

さあや:どこかに行くというのと、インターネットで何かをするというのは、どういう共通項がありますか。

KOH:知的好奇心ですね、僕の素数となるところ。リベラルと保守とか、右とか左とか右派左派とか言いますけど、めちゃくちゃ左だと思います。停滞したくないというか、してられない、止まってられないんで。

さあや:停滞していられないというのは先天的なものですか、後天的なものですか。

KOH:先天的だと思います。そもそも人類ってそういうものなんじゃないかなと思います。

さあや:人からはそういう遊びとかどこかに行くということをしているKOHさんについて、どんなふうに思われてましたか。

KOH:気にしたことがありません。性質だと思われてるんじゃないですかね?声が大きい人は声が大きいように、よく動く人はよく動くねと。

さあや:一番大事な人、もしくは物は何ですか。

KOH:そのあたりは博愛に近いというか、あんま一位二位とか序列がないですね。親友もいないですし、1回会った人は全員友達と呼ぶし。たぶん序列付けるのが面倒くさいだけなのかわからないですけど、認知の中に序列を全然つけてないです。

さあや:人生を三つの章に分けるとしたら、過去のどこに区切りが来そうですか。

KOH:美容師から転職したときは、けっこう大きいんじゃないかなと思います。お勤め美容師、旅人美容師、デジタルノマド、この3章かな。
全部けっこう短い期間ですけどね、濃度は高いです。

15歳から美容室で働いていて、最初はバイトの形態でした。18歳になるとまぁ就職かなっていう雰囲気が出てきて、ここで選択の失敗がありました。同じ業務をしていてもバイトの方が給料が良かったんですよ。
18歳になったら、フツウ就職だよな、みたいな周りの圧力に屈してしまったとき。だからこそフツウを選択する人の心理がわかります。考えているモーションはしていますが、実は何も考えていません。
同じ業務をしていてもバイトの方が給料が良かったんですよ。

バイトって最低賃金あるんですけど、早く帰さなきゃいけないとか、シビアなんですけど正社員だけどそういうのなくなるんで。時給でいうと大体300円、400円ぐらいなんですね。

「わ、多数派に乗っかっちまった」みたいな感じで、反省です。もう2度と周りがそうだからフツウこうだ、みたいな解像度の低い選択はしないぞと思いましたね。ちょっと極端ですけど「フツウそうだ」みたいな風潮は基本的に損をする前兆だと思ってるんで。フツウを選択することが問題じゃないんですよ。自分の人生の選択を自分で考えて意志決定しないことが大きな問題です。なのでちゃんとフレキシブルに、変なこともできてフツウのこともできるハイブリッド型でありたいとは思います。 

バイトから正社員になって6年ぐらい同じ会社にいて、そこからフリーランスの美容師になったんですけど、別にフリーランスって言葉なんか知らなかったんですよ。

ただ、「地球の歩き方のプーケット」に載っていたピピ島の海が美しくて、それを見て行きたかっただけ。退職の後のことなんて考えてませんでした。

退職して旅をしたあと、まだフリーランスの言葉も知らない僕は、「自分は会社の物じゃないから美容師として自分が思うように好き勝手に仕事していいのでは?」と気づいて好き勝手し始めたらけっこうお金は稼げたんですよね。

月60万ぐらい。巷のトップスタイリストの倍ぐらいの稼ぎですかね。稼いでも使い方が下手だったのでお金はあんまり貯まらなかったのですが。

今はわからないですけど、当時のヘアサロン業界ってすごくて、退職する美容師が会社から顧客リストを持ち出すんですよ。なぜか会社も裁判沙汰にしないことが多いので、実質それがまかり通ってました。

まだ若くて顧客数もそんなにいないこともあって、顧客リストの持ち出しはリスクに見合わないので僕はフリーランスになっても顧客ゼロ。じゃあ顧客ゼロで、何で月60万稼げるかと言えば、困ってる人を探せばいいんですよね。

お客さんがいっぱい来る、席はある、美容師が足りない、だから来客を断るしかない、っていうヘアサロンに、手伝いましょうか?と提案しました。
人を派遣するのには派遣の資格が要るんですけど、自分で派遣する分には別に良いんです。日雇い労働みたいな感じですね。

臨時の人員だから人件費は社員より高くつきます。ということで、鍵の救急車とかエアコンの緊急修理とかあるじゃないですか。toBで美容室版をやってましたね。「こうやったらよくない?」と会社で言っても人数がいると複雑化して難しいので、自分でやるとスイスイと実行できて楽しいと思いました。

どうやらそれをフリーランスというらしく、長期の契約もせず顧客からの予約は友人のみだったので、休暇の自由度も高かったです。
1ヶ月ぐらい時間を取って、海外の路上で髪切って生活してみたりとか。南国に1円も持っていかないで、路上で髪切って「Price up to you(料金お任せ)」と書いた看板を持って、別にお金でもいいし、払わなくてもいいし、家に泊めてくれてもいいし。体験の価値に応じてもらう。っていうので生活してたときもありますね。

さあや:その美容師を救急でやってるときは、どう思ってましたか。感情で言うと?

KOH:お金は稼げるけどあんまり楽しくなかったですね。固定のお客さんとかじゃないんで。今のようなエンジョイではなくて、明確に仕事って感じですね。ゲーム的にこなしていたから、よく依頼してくれるクライアントは全国に3000人ほどの正社員を抱えるFC店だったんですけど。僕はなぜかグループ成績1位でしたね。ゲームのスコアみたいにお客様をシャーってさばいてたんで。やったー1位だー!みたいな。それによる見返りは無いんですけど、ゲーム状態になったらもうそれぐらいしかモチベーションの置き所がないしwin-winです。

さあや:美容師から、プログラミングの学校に参画するまでは、どういう過ごし方をしてましたか。

KOH:美容師からは、まずWEBライターですね。
中学生の頃のアメブロの頃のブログをやる流れと、当時美容師の界隈でブログが流行っていたこともあり、路上で髪を切ってして旅をしている様子をブログに書いていました。
で、ある日東京で友達の家のたこ焼きパーティーに行ったら、トラベルメディアの編集長がいたんですよ。

ちょうどそのたこ焼きパーティーの日の午前中に、そのメディアに「世界を旅する6人の美容師たち」という記事があったんですよ。僕、載ってないんですよ。

ブログ書いてるのに載ってないのは悲しいじゃないですか。出たいなー、出たいなーって思ってたら、その日の夜のたこ焼きパーティーに、編集長がいて。

https://tabippo.net/beautician_travel/

「僕、旅する美容師です!載りたい!載りたい!って。後でブログ記事10回送りますね!」とかって言ってたら、なんか意思と違って「ライターやりたい」っていう意味で伝わったらしくて、「ライターやりませんか?」って後からメッセージが来たんですよ。

そもそも、ライターって何だろうってなって思いました。その年の自分の謎のテーマが「イエスマン」だったんで、とりあえずイエスで答えたらパソコンを買わなきゃいけなくなったんですね。これが初めてのパソコンです。

そんなヒョンなことから、メディアでたまに記事を書くことになりました。副業っていうほどのボリュームじゃなかったんですけど、インターネット上で頼まれ事をやってお金をもらうっていう経験は初めてなので、パソコンを使った仕事の初めての発注者はその編集長。そんな彼と、6年後にノマドニアを共同創業するなんて当時は思いもしませんでした。

ライティングに関する本を2冊ぐらい読んで記事書いた記事は、今からしたら、あれはライティングとは言えない、みたいなものでした。ただ、凄まじくバスってたんですよ。よくあの文章でバズったんだみたいな。当時はFacebookが今より盛んだったんで。

そうですね、何年も僕の記事がサイト内のアクセスランキングはずっと1位だったり、記事を書くたびに勉強して改善していったらメディアでも表彰していただいたり。

フリーランス美容師の副業でWebライターをしている期間、引き続きブログも更新していたらベンチャー企業の社長に目をつけてもらえたんですよ。うちのメディア事業部で働かないかみたいな感じで引き抜かれました。ベンチャーなのでメディア事業部と言っても、もっと横断的にいろいろやるわけで、CRM運用とかDB管理とか海外現地での対応もやりましたね。上司が優秀すぎたことが基準を底上げしてくれて、1年勤めていたらいつの間にかいろいろできるようになってました。

僕の感覚としては何も勉強してないし、何も教わった感じがしていないんですけど、全部やって、なんか楽しくやってたら、振り返ってみれば能力が身に付いていました。
能力が身についてるとはリアルタイムでは全く思わなかったんですけどね。「あ、これって能力ある方なんだ」って後から相対的な評価で認められることがあって、後付けしています。さっきのフツウの話じゃないですけど、周りと相対して自分がどうなのかってあんまわかんないですよね。

六本木のオフィスのベンチャー企業でメディア事業をやってるときに、「この仕事はここじゃなくてもよいのでは?」と思って、タイ移住とか言って思い立った翌月ぐらいには、タイのコンドミニアムを借りて住んでました。

それが海外ノマドの第一歩です。決心とかは何もありませんでした。ただピピ島の海が綺麗だなと言って退職した美容室のように、行きたくなったから行きました。なぜかいつもタイなんですけど。

でも、タイ移住を決めた時はメディア事業部の新しい案件みたいなのがあったんですよね。新規でメディアを買収してそれを育てるっていう。それで30万円くらいの固定報酬で運営していくみたいな感じだから、僕は半ば仕事を決めた状態でした。

元々のモチベーション「この仕事はここじゃなくてもよいのでは?」なので、その会社の事業から離れる気はなくて、退職して業務委託で契約する感じだったんですよ。

そしたらそのメディア案件がなくなって、ただ退職した無職になりました。でも幸いにも貯金があったので、半年くらいはのんびりと生活していました。

あんまりガツガツ仕事せず暇してるときに、当時旬なネットインフルエンサーが「マネージャー募集」と投稿していたので、興味を持ってとりあえずDMで免許証を送りつけたんですよ。なんかキモイファンからいっぱいメッセージ来てるだろうなと思って、とりあえず一番信用できる人になるには、免許証を送る。
ということで免許証の写真を送ったらフルリモートのインフルエンサーマネージャーになり、お金いらないって言ってたら、なんかそれがまた話題になり、マネージャーをごと有名になる構図に。

インフルエンサーとのやりとりもかなりオープンにしていたので、働き方系とかの取材とかで、自分の仕事の感じが世間に露わになるわけですね。自分にとってただ自己成長としてやっているような、むしろお金も払わずぐらいの感じでやってることが、「え、こんなんで評価されるの」ぐらいの感じで褒めてもらえたんで、仕事偏差値50以上なんだっていう相対的なポジションを理解することができたわけです。

美容師では、要するに収入っていう意味で、他の美容師さんより稼ぐ力があるっていうのはわかったんですけど。収入なんてわかりやすいじゃないですか、60万円くらい所得があれば、ある程度、偏差値50以上だなって思うんですけど、WEBってわかりにくいんですよ。

この時点でWEBフリーランスの括りで言ったら僕まだ1年生なわけなんですけど、過信でもなんでも「結構いけるわ」みたいな。そのインフルエンサーが女子大生マーケターって名乗ったんで「マーケターってなんだ?」と思ったら、いつも自然とSNSで楽しくてやってる思考実験と重なるところが多かったんです。

フリーランスって言葉も後から知ったし、ライターもマーケターも後から知って、タイからジョージアに移住した頃にはもう美容師の影は跡形もなく、ライター&マーケターを名乗ってました。

ジョージアに移った理由として大きいのは、タイの首都バンコクは東京と大して環境が変わらなかったからです。
ようするに「何も移住してなくね?」という疑問があったんです。今までにけっこうな回数来たことあるし、新鮮さもあまり無く、知的好奇心が満たされないんですよ。

自分が本当にしたいのって何だろうと思ったら、僕にとってツーリズムトラベルはどっちかと言ったら好きじゃないぐらい興味なくて。僕が一番興味あるのって、コアな部分は知的好奇心だし、タイムトラベルなんですよね。願望としては昭和とか大正の日本がめちゃくちゃだった頃に行きたい。飛行機の機体の中ってまだ灰皿とかたまにあるんですよね。「吸えたの!?」みたいな。

昔のなんか駅のホームに灰皿、吸い殻だらけのとき、あった気がするなとか。そんな今からするとめちゃくちゃな時代って制約とかもあまりないから、自己表現だったりやりたいビジネスをもっと簡単にできたりとかするわけで。もちろんそれによるデメリットの方が大きいからいろいろ規制とかルールとか出てきてるんですけど、もうちょっと無秩序なとこ行きたいなと思ったんです。

昭和とか大正くらい秩序のない場所。どこだろうなと思ったら、自分にとってはジョージアだったんですよね。決め手はただ、世界一周してる友達がジョージアでしばらく旅を止めていて、一言言ってたのが「お酒を作るのにライセンスはいらない」。それでジョージアに行きました。

実際には因果関係はなかったんですけど、お酒を作るのにライセンスがいらないということは、他にもいろいろ整ってないなと連想して、後はジョージアに行ってから調べました。
そしたらまだ土地の所有権とかも、曖昧な状態だったり。逆に優れているポイントは世界のビジネス環境ランキングでも上位に入るような、その簡易的な手続き。個人口座も10分とか30分で開設できること。法人登記も1時間ぐらいで済むし、法人の銀行口座開設も1時間ぐらいで済んだし、とか。そもそも1年ビザなしで滞在できる世界で唯一の国。

ということで、この国やばいな、1世紀ぐらい過去に戻ったなっていう感覚を得て。実際はその無秩序の反動で8割ぐらいがむかつくことばかりですけど、そういうアンコンフォータブルなことは人を成長させるし、アイディアをかきたてるし、いいなとも思うわけです。

それこそ、いるだけで自己成長を感じられて、簡単な電気工事もできるようになりました。日本だったら電気工事士の資格が無きゃできないですね。ちゃんと2回ぐらい感電して、心臓の手前まで電気が来て、それで「220ボルトの触り心地ってこれぐらいなんだ」っていうのとか、いろんなことを知ることができます。

そんなジョージアで、そういう体験や自己成長がマーケティングとかにも役立ってくるわけで、マーケターとして日本の政党の関係のこととか、なぜ僕に発注するのかわかんないお堅いところから依頼をいただいたり、Webサービスのマーケティング支援だったり、そういったのをコンサルタントというかアドバイザー的な立ち位置で相談役と戦略のお手伝いとしてやってることが多かったなと思います。

それとほぼ並行しながらプログラミング留学のマーケティングとメンターをしていて、コロナが明けて、ノマドニアが出てきた感じですね。

そのコロナの間のノマドニアの温め期間、僕はコワーキングスペースを作っていて。そこがノマドニアの会場となったわけですね。

https://twitter.com/dono_office

KOH:なので、共同創業者はちゃんと予定通り、温め期間に温めるものを温めてました。僕はまさかコワーキングスペースを作るとは思わなかったですけどね。そこに美容室の席も置いて、っていう感じです。本当は美容室を作りたかったんすけど、ジョージアには日系どころか中国系も韓国系もアジア系美容室なくて困るじゃんみたいな。

自分が髪切りたかっただけなんですけどね。自分で髪も切れるっちゃ切れるけど時間かかるし、腕痛いし、自分はもう10年美容師やったら引退でいいかなと思っていたので、日本から美容師が来るようにするために、席を設置していつでも開始できるように用意しておけば美容師が来るだろうと思って。

でも席を作ったところでいつ来るかわからないので、その間どうしようと思い、コワーキングスペースと複合した形態にしたんですよね。

そしたら後々ノマドニアの開催にもちょうどよかったわけです。ノマドニアやるからコワーキングスペース作ったわけではないんですよね。構想は美容室メインだったんすけど、美容室とコワーキングスペース軸に、週末にワインバーをやって、この3つのコンテンツが結局どれか1個当たるだろうみたいなA/Bテストみたいな感じです。

店舗としてもジョージア国内でマーケティングしなくても、主にノマドニア会場としての運用ができればいいかなっていうので、結局どんな状況にも対応できるようにしました。

日本人はそんなにワインに興味ないっていうのがまずわかったのと、日本人はそんなに髪切らないということがわかったので、結局は3つのコンテンツの中でコワーキングスペースが生き残ったわけです。

こういうワークショップする会場が必要だというのでその時々の、ニーズというか、みんなのお困りごとに合わせて姿形を変えていってる感じですね。

なので自分が自営になってからのお仕事のスタイルで全部に関して共通してるのは、お困り事に手を差し伸べれば、ありがとうコインがもらえる。それだけ。
お困りごとなんてもうね、恋愛の悩みだったり、空腹だったり、人の困りごとはいろいろいっぱいあるんで。自分が夢中になれるようなことに特化すると、それが一番楽にできるというか、遊んでる感じでできますよね。みんな遊んで暮らしたいじゃないですか。

みんな遊んで酒飲んで暮らしたい、僕も遊んで酒飲んで暮らそうって思って、その遊びを、要するにみんなが仕事だと思ってることにしたっていう感じですね。

ノマドニアではやりたいことやると、めっちゃ楽しいよっていうのを布教してるんです。当たり前のことを大きな声で言う活動なので布教と言ったら大袈裟かもしれませんけどね。夢中になれると、頑張るとか頑張れないみたいなステージにはおさらばできます。

よくある頑張りたい人が「どうやってモチベーションを保ってますか」みたいな質問をすることがありますけど、その倒れかけのものをちっちゃい木で支えるっていうよりも最初から倒れないと思わせた方が良くて。対処療法よりまずは予防療法っていう話です。

未来:認識次第ではパラレルワールド、タイムトラベルも可能。タイムマシンは別に、いらないんですよ。自分の認識をいじるから、めっちゃ楽しめるって感じです。

さあや:未来の質問ですが、今から5年後10年後、その先の死ぬときまで想像して未来についてはどんなイメージを持ってらっしゃいますか。

KOH:今30歳なんですけど、40歳で死ぬ設定になってます。別に自殺するって決めてる怖い話じゃなくて、40歳で死ぬっていう前提です。なので20年かかりそうなビジネスとかしないですし、40歳で死んでなかったら、あとラッキータイムが続くだけなんで。現状けっこう毎日楽しいし、いつ死んでもいいなみたいな感じなんで。未来への期待値があまり無いんですよね。

無欲とも言えるかもですけど、欲はあるんですよね。単にコスパがいいんだと思います。フェラーリ欲しいとか、国を作りたいとかって別に大きな夢じゃなくて、ただそれに係るコストが大きいだけだと思うんですよ。王様になりたいっていうのと、この朝顔の花咲かせたいなっていうのと、別に夢のサイズっていうのは本来同じなんで、それに対するコストがどれぐらい違うかっていうだけで。あとは僕は割とコスパが良い夢の方が多いんじゃないかなと思ってますね。

今はジョージアでどうぶつの森ごっこしてるんで、ヨガマットで寝る生活から、早くマットレスで寝たいなとか。インテリアどうしようって考えたりとか。プロセスが楽しいんで、夢っていうのは目標達成地点に作ると、一瞬しか夢叶わないじゃないすか。もう夢をプロセスに置いてると毎日夢叶うんで、僕はもう1000回以上は夢を叶えてます。

さあや:一番直近叶えた夢はどんな夢ですか。

KOH:スリランカの滞在中にわかりやすく言えば禁酒の夢を叶えました。具体的にお酒を飲まないバージョンの人生を体験する夢を叶えましたね。お酒を飲めるけど飲まない人って、非常に余計なお世話ですけど「何が楽しいんだろう」って思って(笑)

1ヶ月スリランカで修行して酒タバコやめて、ロハスな感じの生き方をしたんですけど。なるほどって思いましたね。別にこれでいいよなみたいな。
自分のパラレルワールドを作れたというか、自分がそのまま望むままに生きたら、人生で経験できなかったことを経験できたこと。1個の人生でもう1個の人生も体験できたっていう感じです。

もし生まれ変わってもう一個の人生を60年やるって言ったら、それちょっと長いんですよ。1ヶ月くらいで良かったんです。それを知った上で、また次の選択肢とか考え方が広がってくるから。

パラレルワールドに行ってきました!みたいな、スピリチュアルな言い方でいいなら、最近叶えた夢はパラレルワールドに行ってきたことです。タイムトラベルしたいって言ってジョージアにきてちょっと1世紀ぐらい前に戻ったなみたいな。

自分の認識次第で、フリーランスで美容室で働くのを、ゲーミフィケーション、ゲームみたいにして楽しめるし、スコアを上げていって。認識次第ではパラレルワールド、タイムトラベルも可能。タイムマシンは別に、いらないんですよ。自分の認識をいじるから、めっちゃ楽しめるって感じです。

さあや:もし、インターネットが普及したときに見つけていなかったら、どんな人生になってたと思いますか。

KOH:
猟師やってたんじゃないですかね。僕ノマドになるか、猟師になるかだったんで。風属性になるか土属性になるかみたいな。どっちにでもなれるって超幸せじゃないですか。だからやろうと思って。猟銃免許の取り方を調べたり、北海道で猟銃サミットしてることだったり、山賊ダイアリーっていう本が猟師のバイブル書であることとか。獲ってとっていい鴨と、獲っちゃいけない鴨の見分け方とか、いろいろ調べてみたんですけど。それもなんかすごくいいなって思いましたが、デジタルノマドになりました。なんとなく。

両方の選択肢を持ちながら、自然とノマドに動いていたっていう感じですね。なんか元々そっち向きだったんでしょうね。斜めってる床にボールをおくと、勝手にそっちに転がってくじゃないですか。右か左かどっちかに。それと同じで、右か左かには行くんですけど、ボールが左に行くのってそっちに傾いてるからだから、元々僕は少し傾きがあったのでしょう。
逆に、右に行った方がいいか、左行った方がいいかなって理屈を並べて考え始めたら、答えはもう決まっているのに考えているフリをしているのかもしれません。理屈は正当化のためのものです。

さあや:最後に、読者に向けてでも、未来の自分に向けての感想でもいいんですが、言い残したことはありますか。

KOH:一度きりの人生なんで、みんな好きにしたらいいですよ。みんなが好きにして世界が崩壊しようとも、好きにした方がいいですよ。

さあや:ありがとうございます。

あとがき

ジョージアの建物って、まあまあ床が傾いてるんですよ。キャスター付きの椅子に座ってると、だんだん壁に近づいていくんです。足で床との抵抗を調整しながら座ってるんですけど、気にしない程度ではあるんですが、振り返って記憶に残るくらいにはちょっと疲れるんですね。
重力みたいにもともとあるものだったり、好奇心みたいに自然な反応として発生する物に対して、抵抗するって、疲れるんだなと改めて思いました。抵抗するなら、それなりに筋トレになります。そして、筋トレをしないことも選択肢だし、筋トレして筋肉をつける選択もあると思います。

【インタビュー・編集・あとがき:さあや】

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