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緊縛師写真を撮る人

縛られたこと、ないしは縛ったことありますか? ああこの質問じゃないな違うな。
あなたは今、縛られたいですか? 縛りたいですか? こっちのほうがしっくりくる。
すべての人間関係はSMで表現できるって、聞いたことないですか? 人間は二人いればどうしても命じるほう命じられるほう、ご主人様と奴隷に別れてしまうって話し。
親と子も見方を変えればSM。先生と生徒も。上司と部下も。先輩と後輩も。命じるほうは相手が従うのを見てぞくぞくし、命じられるほうは相手の意のままに動いて忘我する。
二人だけの間柄の魅惑です。と、思いきや、そのプレイの様子を写真に撮っちゃう人のインタビューです。いや、緊縛写真家に対するインタビューではなかったのですが、お話お伺いしている間に、いきおい縄に関する思いをめぐらす会話になりましたとさ。と。
でもエロくはない。エロではない。縄はエロではない。
ということで無名人インタビュー、今回もよろしくお願いします!


今回ご参加いただいたのは 狩野菖蒲 さんです!

現在:緊縛はストーリー

qbc:では、今の自分の心の中心みたいなことはなんですかね? これをやっているときが一番いいなとか。

狩野:それは写真ですね。

qbc:どのような作品を作られるんですか? 

狩野:ライフワークで撮ってるのが、夜の街並みと私の知り合いの女流緊縛師の写真です。それが中心っていう感じで。
あとは、呼ばれたグループ展でそれぞれお題があったら、そのお題に基づいて撮影するっていう感じですね。

qbc:月並みな質問ですけど、写真を撮るときのテーマっていうのは、何か統一してあったりしますか? 

狩野:それこそ月並みな表現で申し訳ないんですけど、自分が美しいと思うかどうか。
緊縛師を撮ってるんですけど、結果的に緊縛の情景は写ってるけど緊縛写真ではないんですよ。

qbc:何を撮られている感じなんですか? 

狩野:私が撮りたいのは、あくまでもお仕事をお願いする緊縛師の女性であって。
緊縛写真でよくあるのが、モデルさんが縛られて変わっていく表情だったり、緊縛される方をいかに美しく撮るか、みたいな方向で。
あと、自分が縛ってる側に思い入れを入れて、撮ったり見たりっていう、そういうことが多いかと思うんですけど。
私のスタンスからすると、100%そうだとは言わないんですが、モデルさんの状態っていうのは、あくまでも緊縛師である彼女の仕事の結果で。

qbc:はい。

狩野:彼女は仕事で緊縛師をやっているので、女性、モデルさんをどういうふうに縛ったら美しく見せられるかとか。モデルさんが変わったら変わったで、その人の良さを見てる人の前で引き出すっていうのがお仕事なんですけど。
私は、その、仕事している方を撮りたいんですね。というか、仕事している方を撮ってるという感じで。だから、緊縛写真と思って見られると、たぶん物足りないんだろうなっていう気がすごくします。

qbc:なるほど。

狩野:もっとぶっちゃけた言い方をすると、実は、私はその子の縛りのお仕事のお客さんなんですよ。

qbc:あー、なるほど。

狩野:被写体としても依頼して、お金を払って撮らせてもらってるんですけど。同じくお金を払って縛ってもらってる側なんですね。
基本的に、自分を縛った人しか撮りたくないので。その子ともう1人、別で縛ってもらったことのある、その子のきょうだい弟子の、やっぱり現役で緊縛師かつ女王様をやってる人がいるんですけど。今はその2人しか、作品としては撮りたくないっていう感じですね。

qbc:その人たちに限定するのは、なぜですか? 

狩野:別に、自分に関係ない人を撮るほど緊縛が好きなわけじゃないのでっていう感じですね。だから、緊縛師の流派をよく知っている人は、私の写真を見てすごく「うんうん、わかる」って見てもらえるし、縛られる人も「あ、見たかった姿だ」っていうふうに言ってくれるし。
結局、縛られてる人って、縛ってる人がどういう表情をしてるかって見えないわけなんですよね。

qbc:そうですね、なるほど。

狩野:やりとりの中で「ポーズとってください」「はい、撮ってください」じゃなくて、本当にプレイしてるのを撮ってるんですけど、プレイの中で縛っている人と縛られている人の逆転も起きてるんですよ。そういうダイナミズムとか。
あと、「こう責めてやるぞ、どうだ」みたいなのと「こう受けてやるぞ、どうだ」みたいな。ある意味格闘技みたいなところもあるし、ある種の愛情のやりとりもあるし。見てるのはそこなので。
緊縛された女性の美しさとか、エロさとか、儚さとか、そういうものには興味がないというか、どうでもいい感じですね。モデルさんと私が仲良かったりすることもあるので、そうすると、メラメラと嫉妬が燃えるんですけど、それを心の底に秘めて撮ったり。でも、どっちに嫉妬すればいいんだろうみたいな感じだったり。

qbc:なるほど。密で複雑な世界ですね。

狩野:でも、見られる人には大概「色気よりも美しさ」とか「アートですね」とか言われてしまいますね。

qbc:緊縛写真はやっぱりエロが望まれていることが多いんですかね。

狩野:そうですね。「アート」と言われるのは男が勃たないって意味だったりするのかな。
女性は「普通に世の中に出てる緊縛写真はちょっと嫌だけど、この写真なら見られる」って言われる方が多いですね。

qbc:面白い。ひとつ、お話の中で想像できなかったのが、縛る人と縛られる人の逆転、主客の転倒が起きるってところなんですが、これってどういうことなんでしょうかね。

狩野:拘束されたい対こうしてやる、じゃないんですよ。何て言えばいいのかな。殿方だったら、おセックスなさるときに女性を喜ばせたいと思いますよね。

qbc:はい。

狩野:で、縛りとかSMがーーみんながみんなそうっていう話ではないんですけどーー彼女がやってる流派っていうのは、ストレートにやってあげたいことをやらないんですよ。
焦らしたりとか、ちょっと痛めつけたりとか。緩急をつけるというか、本当の意味の飴と鞭みたいな感じで。目指す方向に関しての…何て言うんでしょうね、感情とそれから方向性と、肉体側の刺激で、頭の中にひとつのストーリーを作るんです。言葉じゃないけど。

qbc:はいはいはい。

狩野:で、それに対して、受けてる側がどう反応するかっていうのは、縛っている方はある程度想像しながらやってるけど、実際には全く違う反応が返ってくるかもしれないわけです。
そのときに、責め手側がこうなるだろうと思ってやってることの予想を超えて受け手が反応を返して、もっと来いよみたいな感じになったりとか。もうこれ以上はアレだからこうして欲しいみたいになって、責め手側を支配するとか。そんな感じですね。

qbc:なるほどなるほど。

狩野:なんて言えばわかりやすいでしょうね。

qbc:いや、結構わかりますよ。インタビューでも聞き手と話し手があって、基本は聞き手が強いんですよ。聞き手は攻め。SMのSのほうです。でも、これはときどきすり替わってしまうゆるみはある。
どっちが主導権を握るか、緊縛の最中にどこかのタイミングでそれが替わることがあるってことですよね。

狩野:そうですね。コミュニケーションって、往々にして主客の逆転っていうか、起きることがあって。だから面白いと思うんですけど。

qbc:ちなみに、一般的な緊縛のゴールってどこにあるんですか? 緊縛プレイはいつ終わるのかって。「最終的な型がこれで決まったね」みたいなところで終わりなんですか? 流派によって違う? 

狩野:流派によって違うとも人によって違うとも言えます。逆に質問なんですけど、おセックスの最後ってどこですか? 

qbc:私は、相手の満足ですね。

狩野:緊縛も、人によって緊縛する側、縛る側の最終目的はそれぞれなんですね。
あとは、何て言うんでしょう。仕事でなければ、緊縛をやってる人と受けたい人で、どこがゴールかは組み合わせによって変わってくるのかなと。

qbc:セックスの話で言うと、主流は男性の射精完結論だと思うんですけど、私は決してそうじゃないから。

狩野:男性の射精完結論を緊縛に置き換えると、縛りたい人が自分が縛りたいように自分の為に縛っちゃうっていう世界ですね。

qbc:なるほど、よくわかりました。
いや、緊縛写真は想像以上に面白い世界ですね。コミュニケーションの主客転倒が起きたり、思った以上に濃密で複雑な感情の交流が起きてるんですね。
写真を撮るっていうことは、そこに参加しちゃうっていうことですもんね。

狩野:そうですね。

qbc:緊縛の世界観の基本は、1対1なんですか?

狩野:本当は。
でも緊縛のショーとかあるので、人に見せるためという面もあります。AVとかも。
私が撮ってる人は、AVで縛りが出てきたときに、安全にって言ったら変ですけど状況に合わせた縛りを女優さんにして、男優さんにバトンタッチするっていう仕事もしています。それが一番稼いでいる仕事じゃないかなと思いますね。
だから、人に見られるための縄なのか、お互いのための縄なのかっていう違いもありますし。

qbc:いやーカッコいい。「人に見せるための縄なのか、お互いのための縄なのか」。ものすごい名言だと思います。

狩野:本当ですか? 

qbc:カッコいいですよ。

狩野:ここを勘違いする人って、わりと多いみたいなんですよ。
緊縛だったりSMだったり、それこそ、おセックスもだと思うんですけど。誰のためにやってるのかっていう。

qbc:なるほど。誰のためにやっているか、ですね。

過去:未詳

未来:縄は手の延長

qbc:未来についてお伺いしたくてですね。5年後10年後だったり、あるいは自分が死ぬときに人からこう思われていたいとか。未来っていうと、どういうイメージがおありでしょうか?

狩野:他の人は出さないような、でも出てくると「とっても美しいよね」っていうものを残して死にたいなと思ってますね。写真に限らず。

qbc:そういった欲求って、いつから? どこから? 

狩野:自分が手を出そうと思うようになったのは、写真を本格的にやるようになってからですけど。でも、そういういいもの、美しいもの、でも世の中には今ないものっていうものに対する親近感というか。これは素晴らしいとか、これをもっと発展させたら世の中の人が喜ぶんじゃないかとかっていうのは、小さいときからありました。

qbc:例えばどんな感じの? 

狩野:それこそ、山の稜線じゃなくてビルの稜線だとか。人が通り過ぎちゃうような、片隅にある何かが目について、それを写真に撮ったりします。人にその写真を見せると「これ、何?」「すごく素敵だけど、これはどこ?」とか。

qbc:狩野さんは夜の街の写真を撮ると仰ってましたけど、夜って、時間帯でいうと? 

狩野:それこそ、日が落ちてから。人のいない街の方が、人間の営みって感じられると思いません?
例えば、これは夕方になりますけど、お夕飯の支度をしてる音が、その家のそばを通ったときに聞こえたりすると、その台所の明かりがとってもとってもあったかくて。でも、なぜか自分は孤独を感じて、でも美しすぎて泣いちゃうみたいな。

qbc:美しさとは、狩野さんにとってどんなものでしょうか? 

狩野:美とはなんぞやっていう話ですよね? 

qbc:なんぞやといった一般論じゃなくてオッケーです。狩野さん自身が美しいと思うもので。

狩野:それこそ、自分の心が動くときしかわからないなっていう感じ。

qbc:心が動くとき、というのは具体的に言うと?

狩野:すごく素晴らしい音を聞いた瞬間だったり、誰かがめちゃくちゃいい言葉を言った瞬間だったり。あるいは犬とか猫と目が合ったときだったり。ふっと誰かと触れたときだったり。いつもは見慣れてる仕事してる人なんだけど、ふとした仕草がとっても美しかったりとか。

qbc:なるほど。

狩野:私の知り合いのカメラマンで、やっぱり仕事をしてるのが美しいって言う人で、裏方の仕事ばっかり撮ってる人がいるんですけど、やっぱり私と視線が一緒で。
本当にお金を稼ぐ仕事に限らなくていいと思うんですけど、その人がその人としてそこにいること自体が美しくなる瞬間っていうことになりますかね。
仕事っていう言葉で括らない方がいいかもしれないんですけど、一番見やすいのは、仕事に没頭してるとき。自分をどう見せようかって考えていないとき。それは、自分を見せる仕事じゃない人になっちゃうと思うんですけど。

qbc:逆に、美しくないものって何ですかね? 

狩野:愚かなもの。

qbc:例えば? 

狩野:人のせいにする人。やれ政府がとか、やれなんとかさんがなんとかしてくれないとか。俺は頑張ってんのに、誰も評価してくれないとか。

qbc:真摯である、集中している、没頭、というのが美しく感じる瞬間かもしれないですね。

狩野:人間の場合はそうですね。

qbc:緊縛の話っていうのも、二人の人間の関係性に注目してらっしゃるのかなと思って。

狩野:かもしれないですね。でも、その仕事へ集中している美しさと細い月の美しさが共通するのかって言われたら、私には共通して見えるけど、何がっていうのは言語化できないですね。

qbc:シンプルに、洗練されたとか、無駄のない、余計なものがないみたいな?

狩野:やたら削ぎ落とせばいいのかって言ったら、それとも違うかも。

qbc:縛られはじめたのはいつごろから? 

狩野:4年前ですね。

qbc:狩野さんは、今、何をしてるときが一番楽しいですか? 

狩野:何をしてても、苦しいし楽しいかなっていう感じですね。

qbc:もしもカメラに出会ってなかったら、どうですかね? 

狩野:たぶん、楽器を弾き続けてると思いますね。

qbc:自分は何々の人だ、みたいなので言うと、どんな人だと思いますか? 

狩野:自分は、人間の中心からは外れてる人、という感じ。

qbc:こういうものが作りたいとか、そういうのは、今ありますか? 

狩野:繰り返しで良ければ、今、世の中に現れてない、人の目に触れていない美しいものを残したいですね。どんな未来になっても、別にいいやというか。これから先、自分が選択したことは自分で責任を取るしかないんで。
だいたい自分が予想もしない出来事が次々起こるので、あんまり具体的にこうなったらいいなとか、考えない方がいいのかなと思ってますね。

qbc:「無名人インタビュー」のテーマにも似てるんですよね。一般的に評価されたりしていなくても、無名でもいいものっていうのは確実にある、人間誰しもが持ってる、ってテーマ。

狩野:ええ。

qbc:最後にまた緊縛にお話を戻すのですが、縄っていうものに特別な感覚ってありますか? 縄って、すごく象徴的なものだと思うんですよね。

狩野:あー。私が、自分でも縛る側の勉強を始めたっていうのもあったんですけど。
よく言われるのは、手の代わり? 例えば、二の腕のところに回した縄っていうのは、縛られてる側は抱きしめられてる感覚になることもできるし。あと、縄で拘束しておくと、本当は、おセックスのときに手が4本あればいいのにって思えることがあると思うんですけど、その縛って固定しておくことによって、手が2つ自由に使えるっていうのもありますよね。
手の延長。縄って皮膚の上をサーっと撫でるだけでも、愛撫にもなるし。ちょっと待っててって言って、何かを用意するような場面がもしあったとしても、縛っておいたり皮膚に圧迫感をかけることで、安心感をもたらすことができる。
っていう、道具としてはいいものだなと思いますね。

qbc:なるほどなるほど。さいきん、縄って日常で使わないですもんね。

狩野:麻縄って、そのままだったらチクチクするとか。手の中で擦れると痛いとかってあったりするから、日常生活で使うのって難しくなってるのかなって思いますね。
昔は、別に綿のロープでもいいんですけど、風呂敷みたいに簡単なもの、単純なものを、使いたい用途に合わせて形を変えたり結び方を変えたりして、いろいろ使っていたのに。今はもう、この用途にはこれっていうものが、できあがっていることが多いから。

qbc:最後に、言い残してしまったことがあればお伺いします。

狩野:いつでも言い残しているので大丈夫です。

qbc:わかりました。ありがとうございます。

狩野:ありがとうございました。

あとがき

もぞもぞする。もぞもぞっとする。手が届きそうで、届かない。そんな感じ。
つまりその世界をもっと覗いてみたいけど、決心がつかないんだ。SMの世界。
案外お金を払ってしまえば縛ってもらえるんだと思って、そうかそうかと思うのだけれども私、けっこう痛いの我慢できないからな・いや痛いとかそういうわけではないんだ・よく知りもしないくせに聞いた口をきく。
なんて。こういう。そういう。頭の中の煩悶もうやめたい! やってみちゃえばいいじゃん、スっと。それで、もう、悩みなんかなくなる。というかSMがどんなものかわかって、自分がサディストかマゾヒストかわかるじゃんか。なんて折々時々で主客は入れ替わるんだろうし、役目、役割、なんて受粉みたいに気まぐれなものですがな。
わかるかな。わからないよね。はい。
みなさんはSですかMですか? コメント欄に書き残していってくださいね!!

編集協力:有島緋ナ

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