応援されていたのかもしれない

好きなアーティストは?と問われたらふたつみっつは答えられるし、そのアーティストのライブがあったら時々行ったりもする。好きな作家もいて、本を買って読むだけでなくたまにトークイベントみたいなものに行ったりもする。するのだが、単に好きなだけであって、特別に応援したりといったことはなかった。それが数年前までの話だ。

春のことだった。ある舞台を見て、そこにちょっと面白いなあと思った役者さんがいた。役者さんの名前を言っても、ああ、あの人ね! わかる! という反応をくれる人は当時わたしの周りにはいなかった。わたしだってそのときに初めて知ったのだ。ちょっとした機会があり、友人とともにその役者さんが出られているべつの舞台を見に池袋まで行ったのがその2ヶ月後くらいだったか。100席くらいの客席が9割は埋まっていて、その舞台がまたとても面白かった。声を出して何度も笑う方向性の面白さだった。そこでふと思ってしまった。こんなに面白い作品が、そしてこんなに面白い役者さんが、なぜこの規模の人数にしか見られていないんだろう?
もっと大勢の目に触れるべき人なんじゃないのだろうか?


初めて生身の人に対して応援というものを始めたのがそこからだ。
「推し」という言葉にはなんとも違和感があって、わたしは基本的に使わないことにしている。その言葉の、自分が主になる感じがどうにもしっくりこない。わたしが勝手に先方のファンをやりはじめただけであり、先方には「わたしの推し」になろうとした覚えなどまったくないはずだからだ。

このnoteでどれだけ通ったとか積んだとかみたいな話をするつもりはない。そもそも何もたいしたことはしていないので偉そうに書けることなどないのだ。ただ普通に舞台を見に行ったり、なにかイベントが開催されればそれに可能な範囲で足を運んだり、他は応援らしい応援といったらたまにファンレターなるものを書いてみたり、というくらいである。あとはたまに友達を舞台に誘うくらいで、特段変わったことも目立ったこともしていない。
自分というひとりの人間でも何かの足しになればいいという気持ちはあるにはあったけれど、なによりもまず面白い、楽しいと思って足を運んでいた。ただ、毎度自分のような同じ人間だけが見るのではなく、本来ならもっとたくさんの人の目に触れる価値のある役者さんだとずっと思い続けていた。だから、自分が何度となく繰り返し見に行くことにはなにか申し訳なさのようなものすら感じていた。

ちなみに、先方のすべてが素晴らしく完璧だとは決して思っていなかったし、もっといえば外見が好みというわけでもなかった。さらにすぐれた役者さんは他にいくらでもいると分かっていたし、それは今だって同じなのだけれど、ただ、これだけは信用できると思えることが明確にひとつあった。それは、「新しい作品のたびにこちらを驚かせてくれる」ということだった。今までやってきていないタイプの芝居を見せられたり、明らかに技術が上がっていたりといったポジティブな驚きだ。
応援を始めた当初はまだそれほどの芸歴もなかったはずなので、単に成長が目に見えてわかりやすかったというのもあっただろう。とはいえ、誰もが同じように成長できるわけではない。非常に応援しがいがあった。
しかしそうして半年弱くらいゆるやかに応援をし続けているうちに、わたしはじりじりと焦りはじめた。自分はここでいったい何をしているのだろうかと思ったのだ。そのときのわたしは明確な不満があるにもかかわらず惰性で同じ職場に居座り続けていた。成長できていないのは他でもない自分だった。翻って、応援している相手は半年の間にもだんだんと出演作の規模が大きくなったり知名度が高くなったりしていった。仕事場の待遇に不平不満を言いながらだらだらと同じことをやり続け、休みの日に現実逃避のように舞台を見る、どう考えてもわたし自身がそんなことをやっている場合ではないのだった。

とある大好きな作品の千秋楽を見終わったのは2017年の秋の中ほど。雨の強い日だった。感動が高じてめちゃめちゃに涙をこぼしまくった覚えがある。化粧がとれて目の下が黒くなっていた。次に出演が決まっている作品は奇しくも同じ劇場で上演されることになっており、だいたい1ヶ月くらい先に予定されていた。目の下を真っ黒にしたわたしは大雨の中水たまりだらけの道を下りながらひとり決めた。次にこの劇場に来るまでに絶対に転職を決めよう、と。
これからも応援し続けるためには、自分が変わらなくてはならない。そうしなければ、きっと眩しすぎて見ていられなくなる。自分のことを棚に上げるのはもう限界だった。


期限とゴールを設定すると意外と人間動けるもので、わたしは千秋楽の感動冷めやらぬ翌日にすぐ転職サイトへと登録をした。エージェントからは大量にオファーが届きはじめた。
それから約1ヶ月後、平日の夜の公演を見るためにわたしは劇場に向かっていた。最終面接のために休みをとっていて、昼間にその面接を終わらせたあとだった。劇場に向かう長くてだるい坂道は風がつめたくて、そろそろもう冬になろうとしていた。開演の少し前、客席に座って待っていると、スマホにメールの着信があった。その日の昼間に行ったばかりの会社についてのエージェントからの連絡だった。面接内容が非常に高評価であり即決で採用となった旨が書かれているのを確認し、わたしはスマホの電源を切った。客席の明かりが落ち、大音量の音楽が流れはじめた。1ヶ月ぶりに見た先方の芝居にはまた知らない引き出しが増えていたし、明らかに技術も高くなっていた。これをこの目で見られてよかった、と心から思った。
今から6年か7年か、そのくらいは前のことだ。


もうその劇場もなくなってしまった。転職を決めたもののなかなか仕事の引き継ぎが進まず年末まで前の会社に残ることになったり、転職した会社から別会社に出向したりまた戻ったり、体調を崩したり、飼っていた犬が亡くなったり、友人と疎遠になったり、とにかく自分にもいろいろとあった。コロナ禍で演劇の上演が困難になった時期も挟んだ。演劇のチケット価格もあのころからはだいぶ上がった。触れたことのない文化にも多く触れた。見に行ったはいいものの、どうしても好みに合わず楽しめない作品もあった。相手は生身の人間なので、芝居以外の部分でがっかりするようなことも多少はあった。

あのときから変わらずと言えるかはわからないが、ただ、少なくともわたしは今もその人を応援している。それは先方が役者を続けているということであり、わたしも先方に顔向けできる程度にはやるべきことをやれていて、かつそれなりに自由のきく立場を維持し続けられているということでもある。あのとき応援しようなどと思っていなかったら確実に今のわたしはない。そしてなんという幸運か、わたしは今、あのときの10倍以上の観客の前で演じる先方の姿を、観客席から見ることができている。うそみたいな本当の話だ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?