たかが布きれひとつ

みっつ離れた姉がいて、10代前半くらいまで基本的には姉のお下がりを着ていた。自分のために服が購入されることはあまりなかった。

中学からは姉と同じ学校に通うことになったので、制服もお下がりだった。中学の制服は紺色のブレザーとジャンパースカートだった。わたしが着ると箱みたいだった。ほかに言いようもなく、箱から手足が出ているみたいなシルエットだったのだ。下半身の体型の悪さを親からはよく言われた。しかしわたしには、下半身云々以前にこの箱みたいな感じのほうが大問題だった。

中学も2年3年になってくると周囲の友人は流行に合わせたり自分なりの着こなしをしはじめて、スカートの丈なんかはだんだん短くなっていった。そういうのが流行っている時代だった。わたしの親は厳格であったし、さらに姉がそのままの丈で着ていたという前例が親の中に既にできあがっていたから、それに逆行してスカートを切るのは難しかった。学校にいる間、ウエストを調整してせめて膝が出るくらいにしていた。はじめて膝を出したとき、周囲の友人から何か言われるんじゃないかと怖かった。実際、言われたような気もする。クラスにはなんとなく派閥があった。丈を短くするグループと、それ以外。
しかし膝を出しても、それでもどうにもわたしは垢抜けなかった。ブレザーを着ると依然として箱だった。自分の見た目への自信はどんどんなくなっていった。

高校も姉と同じところに入った。セーラー服だった。ブレザーの箱感からはようやく解放された。そのあたりでわたしはなんとなく理解しはじめた。着ているもののサイズがとにかく合っていないのだ。当時、身長は姉とほとんど変わらなかったのだが、肩幅が全然違った。たぶん体重も違った。
ストレートとかウェーブとか、今でこそ体型にいろんなタイプがあることを多くの人が知るようになっているけれど、当時わたしの親には服のサイズの概念が、もしかしたらあまりなかったのかもしれない。いや、もしあったとしても実家はあまり裕福ではなかったから、制服を誂え直すなんて選択肢はなかっただろう。わたしのサイズの方が姉より大きければまた違ったんだろうか。

肩パッドのあるブレザーが一番の鬼門だった。箱になるのも当然だった。セーラー服はまだましだった。やはりわたしには少し大きかったが、違和感があるほどではなかった。
アルバイトもしていなかったからお金はなかったけれど、高校生になってからは友達と街に出て、安い服を自分で選んで買うようになった。自分の見た目が思ったより箱でないことがわかりはじめた。
似合う服があるという体験は衝撃的だった。一気に視界がひらけた。親はあまりいい顔をしなかった。どこの親もそうなんだろうか。似合わない、みっともない、派手すぎると眉をひそめられることは多かった。あのころは自分で買った服を親から隠すようにしていた。みっともないといわれて、買った瞬間の輝きが消えてしまうのが嫌だった。せっかく拾い集めたきれいな石ががらくたとして捨てられてしまうみたいに。


今は好きな服を好きに買って着ている。実家もとうに出たから親の目ももうないし、勤め先には服装が自由である旨を確認して入社した。すこし特徴のある服を好んで着ているので、人からは覚えてもらいやすい。自分をとても美しいとは思わないけれど、選び方にはこだわっているし、格好にはいつもそれなりの自信がある。

買い物に行く時間がとれずオンラインでばかり買うようになってしまったが、試着室で袖を通したあと、いかがでしょうか? と聞かれて、カーテンを開ける瞬間。ほとんどはお世辞だろうけれど、似合いますね! と店員さんから言ってもらえる瞬間、ぱっと世界が明るくなる。ここにいていいんだと思える。捨てたもんじゃないと思える。ただの布切れひとつで。

体型や顔の欠点をわたしは自分でよく知っている。親からずっと言われてきたからだ。今となれば、欠点を冷静に把握できていることで見せ方を考えられる。だが当時は言われるたび傷ついた。鏡で箱みたいな自分を見るたびに傷ついた。幼いころから蓄積された傷はなかったことにはならない。あのころのわたしに声をかけたい。いかがでしょうか? カーテンを開けた瞬間の世界のまぶしさを教えたい。


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