幕が上がる前

幕が上がる前、とうとうこの日がきてしまった……とか、そんなことを思いながら客席に座って待つ。何が始まるかわからないで放置されているあの空気が好きだから、舞台を観るときはあまり前情報を入れない。だから圧倒的に初日が好き。本当は客席が静かだといいんだけど、最近はなかなかそうもいかないから、イヤホンをしていることが多いかもしれない。

舞台を見に行くことについての話。
わたしが舞台を見に行く目的はいろいろあって、好きな原作の舞台化だとか、有名な演目だとか、好きな劇団、好きな演出家さんや脚本家さん、好きでよく見ている役者さん、一度見てみたいと思っていた役者さんが出ているとか、あるいは題材が気になったりとか、なんとなくメインビジュアルに惹かれたり。このあたりがふたつ以上重なっていたりすると、じゃあ見に行こうかな、となる。

たとえば原作や題材に関する情報を事前に知っていたほうが楽しめることももちろんあると思うけど、なくても楽しめる。わりとわたしは、なしで楽しんでいることが多い。趣味に対して気負いたくないから、そのへんはあまり気にしない。面白かったらそこから調べて、また舞台を見に行ってもいいわけだしね。そもそも舞台作品として売っているのだから、基本は他の情報がなくても楽しめるべきだと思っている。このへんは人によるのかも。


書いている今、2024年1月の時点では、今年はなるべくいろんな舞台を見に行こう!と考えている。

わたしは1回見ると話自体はしっかり理解できるほうなんだけれども、お芝居のこまかいところは何度か回を重ねて見ないとわからない。それで同じ舞台を繰り返し見たりする。実際、2023年はそうしていた。
そういう、ひとつの舞台に何度も通うのも楽しくはあるんだけど、やっぱりどうにも見るものが偏ってしまうので、2024年は少し広めに見れたらなと思っているのです。今ね、既に2作品見ていて、4作品のチケットをとっている。公演日まで生きていなくちゃ。


やっぱり目的はひとつじゃないので、お芝居がすばらしい、面白いという以外にも、通路演出がまさかのすぐ近くで行われて至近距離で見られてものすごくどきどきしたりとか、カーテンコールで役者さんと目が合った気がして嬉しくなったりとか、そういうのももちろんある。そりゃ、ないわけがない。素敵な役者さんを生で見たいというのも立派な目的で立派な楽しみ方だもの。そこに貴賎とか優劣はない。
そういうのも含めての観劇体験だから、雑念、とわざわざ卑下する必要もないと思うんだけど、それでもやっぱり、あの席だったらよかったなあ、もっと前の列がよかったなあ、とか考えてしまうのは自分にとって雑念のような気がするから、初日、何も知らずに待っている時間が圧倒的に好きだ。


舞台を見に行くのは敷居が高くて、という声をけっこう聞いたことがある。自分が思うには、たぶん舞台を見るときに観客席で意識するべきはただひとつだけ。
始まったら、舞台上で起きるどんな出来事より目立ってはいけない。
だから観客は私語をしてはいけないし、アラームを鳴らしてはいけないし、スマートウォッチを光らせてはいけないし、なるべく体を動かしてはいけない。それはみんな、舞台上より目立ってしまうことだから。
それだけ理解していれば他になにもいらないと思う。

昨今言われているチケットの価格高騰はなかなかつらいけど、じつはお値段の高い舞台ばかりでもない。
とはいえ、内容がわからない状態で支払う額としては、ちょっと高いよなあ、というのはわかる。高いよね。毎回、賭けみたいなところはある。
ただ最近は初日に配信をしてくれる公演もあったりするし、SNSには舞台を見てきた人の声がいくつもある。そういうものから、ぜひ、これだ、という、自分好みの作品の匂いを嗅ぎ取ってほしい。
そしたら必要なのは、あとは楽しむ心だけ。



と、いい話だけ書くのはフェアじゃない



あ、これ、失敗だった。
開演から20分もしたところで、たどり着きたくなかった結論が出てしまう。
笑い声も聞こえるし、何より客席が埋まっている。しかし、わたしには楽しめない。
舞台を見に行くと、残念だけどたまにそういうこともある。

この作品みんな見るべき。◯◯って作品の◯◯っていうキャラが素敵だよ。そういうことを言われるたび、なんとなくその作品との距離が遠くなっていくような感じがわたしにはある。これは舞台に限った話ではなくて、映画でもドラマでも本でもなんでもそうだ。
昔はまわりからそんなふうにおすすめをされることもあったが、いつも上手に反応できなかった。先に出会い方を指定されて、出会いの瞬間の輝きが取られてしまうような気がしたのかも。おすすめをしてくれた人たちにそんな意図がないのはもちろんわかっている。
だからたぶん、自分の好きなものの匂いは自分で嗅ぎ分けられるようにならなきゃ、という思いが昔からあった。

本の場合は、最近は購入前にオンラインで試し読みもできるので、合わないときはわりと早期に気づいて回避することができる。ドラマとかなら最悪途中で切れる。しかし舞台だとそうもいかない。上演中に席を立つのも難しいし、とにかくチケットの出費が痛いものね。
それに、たぶんそういう損失だけの話じゃない。みんなが楽しそうにしているものをうまく楽しめなかったり、期待していたものが想像と違っていたりするのはやっぱりさみしいことだ。そのさみしさを受け入れ難くて、自分の感覚を正当化したくなってしまう。なんでこんなのを面白いと思えるんだ、とか。
これじゃ誰も幸せにならない。

だから、幸せになるために、自分が好きそうなものは自分で見つけ出せる力をつける必要がある。

そして、自分の感性に合わないものに触れて失敗することでしか、そういう嗅覚は育たない気がしている。だからこそ、今年はちょっとでも気になったら気軽に劇場に行っちゃおっと、というのも実はあったりする。


好きな劇場をひとつあげるとしたら天王洲銀河劇場かな。わたしの感覚では座席の座り心地がいいし、傾斜がしっかりあって見やすい。舞台と近い感じがする。エントランスから見上げる螺旋階段もいい。とはいえ、好きな作品をそこでいくつも観たから、それで加点されているのも大きいんだろうな。
載せられる写真がないか探したけど、全然撮ってなかった。何度も行ってるのに。

そんなこんなで劇場に入って、着席して、お尻痛くならないといいなあ、とか、どんなふうになるんだろうなあ、とか、役者さん近くに来るかなあ、とか、パンフレット買おうかなあ、とか、そわそわと色々考えながら待つ時間。ものすごく貴重な時間だ。それから数時間も経てば、観る前の自分にはもう二度と戻れない。そうこうしているうちに、流れていたBGMのボリュームが大きくなる。あわてて携帯の電源を落とす。姿勢を直す。客席の灯りが落ちる。劇場の空気がすっと張り詰める。
幕が上がる。


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