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妻と母の役割がないときの、私が選んだ過ごし方。

夏休みが終わり、今日から小学校も始まった。
「8月31日までに記事を書けば、連続投稿2ヶ月に伸ばすことができますよ〜」ってnoteさんの低いハードルに背中を押され、このnoteを書いている。

経験したことのない酷暑ではあったものの、今年の夏休みをひと言で表すと「たなぼたのんびり夏休み」だ。

例年通り、夫の実家に家族で帰省したが、遊ぶことを楽しみにしていた従兄弟たちがコロナに感染。そのために帰省したと言っても過言ではないのに、楽しみを丸ごと失ってしまった子どもたち。会わずじまいなんてありえない! ということで、子どもたちと夫は大幅に帰省期間を延ばした。

私は予定があるということを理由に、子どもたちにはやる気持ちがバレないように細心の注意を払い、バイバイをして、台風の影響で混乱した新幹線を避け、のんびり鈍行電車で東京へ戻った。

思いがけず得られたひとり時間、何をして過ごそうかなー?と考えるだけで二マニマする。行ってみたかった街に行こうか、会えなかった人に連絡をとってみようかと特別なことをしようと思い巡らせはするんだけど、結局落ち着いたところは「読書、映画鑑賞、ジム」。妻、母の役割がないときの私が選んだのは、好きなことに心ゆくまま浸かる日常だったのでした。

食事も最低限。栄養摂取という名の食事。

ふだんは欠かさない味噌汁を一回も作らなかった。出汁をとることが億劫。食事づくりのモチベーションは家族に食べてもらうことで、規則正しい生活リズムは、家族と連動してこそ成り立つ。

▼ 読んだ本

夏物語/川上未映子

約600ページ、束2cmほど。川上未映子さんの本は2冊目。なにが好きって作者の川上さんが意図するわけでなく、登場人物たちがまるで意思を持っているかのように「生きている」ところ。そのぶん結論めいたものはなく、これを読んでどう思うかは読者自身に委ねられる。ときに大阪弁を交えたユーモラスなセリフや(川上さんは大阪出身)巧みな描写、真摯な筆致が私はとても好きだ。

子どもを産むこと、持つことの意味、倫理観を問う小説。それに対するいろいろな立場の考えを持つ登場人物の心情を読み、自分だったらどう考えるかを問いながら読み進めた。子どもを持つという「物理的」な側面と、自分とは分離したひとつの「生物」であるという側面。そして遺伝子をつないでいくという側面。一筋縄ではいかないテーマ。

友人の翻訳原稿
雨雲のあつまるとき/ベッシー・ヘッド著/横山 仁美


▼ 観た映画

ブランキージェットシティのラストツアーから解散ライブまでを追ったドキュメンタリー映像。DVD発売から10年寝かせ、ようやく観た。

このラインナップ。我ながら笑う。家族が寝静まってひとりで過ごす夜と、誰もいなくてひとりだけで過ごす夜はまったく違う。家族がいる夜に、よなよなヤクザ映画を連続で観ないでしょう。

一人になると自分の本質が顔を出す。それはいくつになっても変わらない。それに気づいた、妻でも母でもない、144時間。


道端で会ったママ友に、ひとりの時間を過ごしてるって話をしたら、「そっかー、だんなさんに感謝だね〜」って言われて、ハッとした。

場所を問わない仕事をしていること、子どもたちの世話を厭わないこと、自由気ままに過ごしている妻を放っておいてくれること。
うむ。感謝だわ。

明日から9月。
リフレッシュして臨めそう。


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