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【小売業からの地方創生】今だからこそ見直したい 沖縄共同売店の過去と未来(過去編)

地域創生の話をずーっと書こうと思っていてなかなかいいネタが思い浮かばなかったのですが、先日こんな話を耳にしました。

要するに沖縄の共同売店が1つ閉鎖されたと言う話なのですが、個人的に共同売店の考え方は地方の商店構造を良い方向に変革できる基盤になると思っていて、ちょうど良い機会なのでちょっとそこに触れてみようと思います。

ちなみに書いてみたら非常に長くなったので前後編に分けてみました。長い文章ですが、お付き合いいただければ幸いです。

■共同売店とは

詳しいことはウィキペディア共同売店ファンクラブさんに譲るとして、ざっくりと説明するとこんな感じです。

沖縄本島北部を中心として見られる町村共同運営店舗。最大の特徴はその運営形態で、集落全体から広くお金を集めて(投資)店舗を設営し、主に村長(むらおさ)が店舗を運営するという一般店舗とは異なる業態が特徴となっている。
こうした運営方法は売店としての機能の他に農産品の物流拠点としての機能があったり、掛け売り台帳や金銭貸借など模合的な色彩も強く、かなり地域の生活に密着したものであることがわかる。 
一般チェーン店と異なり売り上げ的な都合で撤退することもなく個人商店のように簡単に維持が難しくなることもないことから、一時期は200店舗ほどに増えるものの、昨今は地域自体が衰退傾向にあり後継者不足に悩まされ閉店してしまうところも多く50店舗程度まで減少している。

■共同売店の強み

共同売店の強みは何と言っても「その地域で運営する、その地域のための店舗」と言う点に尽きるでしょう。売店を作るための資金を町村民が共同出資し、村の名代が運営することでチェーンにはない地域に根差した運営を行うことが可能となります。

共同売店は売店としての機能だけではなく、周辺の農産物出荷の拠点となったり(そもそも最初の奥共同売店はお茶の出荷所から出発したと聞いています)、農機具販売していたりと地域の農業にも深く関係したものであり、単なる売店ではなく地域の物流拠点として活動することで地域経済の中核を担っていたと言っても過言ではないかもしれません。

また食堂を兼ねているところもあり、そこは観光客を含めた「一息付ける場所」として認知されているようです。地方に行くとチェーン店が減り個人商店が多くなりますが、一般人がその地域の個人店に入ることはかなりの勇気がいるため(明言せずとも一見さんお断りなお店もありますし)、一般商店の形をしている共同売店は敷居が低いと聞いたことがあります。駐車場もあったり使い勝手の面でも良いみたいですね。

そして沖縄の場合はお金を融通したりみんなで集まって酒盛りする「模合」と呼ばれる集団がありますが、共同売店はこうした模合の中心になったりします。売店の中に座敷があり、そこにみんなで集まって子供が勉強したり夜になると酒盛りが始まったり…と言うのは昔は珍しくなかったそうです。こうした会合は地域の連帯感を強め、その地域の持続性(帰属意識の醸成)に強く影響を与えたりしたそうです。

地方のマイルドヤンキー層が「俺の若いころはコンビニの駐車場にたむろって良くバカやってたもんだ」みたいな話をしますが、コンビニには甚だ迷惑なこの話も、こと地域と言う観点から見れば「多少の不便があってもその地域に残る選択を取りうる」ことのキーワードになっていることも否めません。それだけ地域にとっては「仲間とたむろう場所」は地域の維持にとって大事なのだと思います。

■モータリゼーションの到来と共同売店の凋落

しかしながら、共同売店の強みはそのまま弱みに繋がります。その地域に密着した売店は逆に大型資本のような物量販売が難しく、商品バリエーションと言う意味では遠く及ばないのが実情です。そうした中、沖縄本島北部にも大型道路が通じるようになると若者は車で名護に買い物に行くようになり売店における需要は激減、次第に閉鎖されていくこととなりました。

そして、この状況は地域経済にも大きな影響を与えます。チェーン店がほとんど存在せず村外民が気軽に入れる店舗がなくなれば、観光客は近寄らなくなるもしくは素通りするようになります。観光業がメインの沖縄ではこの状況は非常に良くない状態で、本来であれば人が集まってそこで休む場所が必要であるにもかかわらず、そこがないということは安心して人が集まる場所ではないとの認知が発生するため、観光業はやりにくくなることは必定です。

広大なやんばる国立公園を持ち、南方独特の自然文化を持つ地域があったとしても、一休みする場所すらなければ観光客は名護で引き返してしまうでしょう。そうすればより経済交流は断絶し、若者は町に出て行ってしまう…そうしたことが現在進行形で起きているはずです。

■深刻化する後継者不足

共同売店は村民が出資し村の名代が運営する、と言う流れは先に書きました。しかし、この一見分かりやすい仕組みが結果として共同売店の首を絞めることになります。

名代が運営するというと名代が店長をやって…みたいに想像される方も多いと思いますが、その多くは名代が1名で運営するというものです。本業の傍らでお店を運営する人も少なくなく、掛け売りも「お店にいられないからツケといて」と言う流れで生まれたケースもまた少なくないようです。人を増やせばいいじゃない?と思うかもしれませんが、若者がそこまで村に多くないことはもちろんのこと、そもそも1人の収入すら賄うことが難しい状態では人を雇うなんてとんでもないことかもしれません。

そうなると問題になるのが後継者問題で、村の名代がなんとか1人で運営させていた売店もさすがに自分の子供に継げとも言えず、かと言って売店の収入だけでは十分な収入が得られない中で他の人に任せることもできず、名代が亡くなられるとそのまま自然消滅…と言うことも少なくないと聞いています。

■じゃあどうするの?

共同売店存続のための最も大きな問題は「売り上げ」だと思います。商店維持にとって欠かせない運営資金は売り上げからねん出されるので、ここの母体をどれだけ大きくするかが課題となります。

しかしながら、売り上げを大きくするためには「商品の仕入れ」をしっかりすることが大事であるため、この物流をどうするかがその裏に隠された最も大きな課題であると思います。品ぞろえが良くなければ地元民は使わないし、地元民が使わないところを観光客が使うこともなし。足腰としての物流網の整備が今後期待されるものだと思います。

売り上げを上げるためにはしっかりとした商品物流が必要…と言うことで、次回は後編として未来の共同売店を考えてみたいと思います。

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