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ワクチン推進派による無過失補償制度問題を理解する為の前提知識

はじめに


X(旧Twitter)でワクチン問題に関心がある方々の間で話題となった無過失補償制度問題について、久々にnoteを書こうと思います(なんと、書くのは1年ぶり…)。
1年前とは状況が少し変わり、ほぼ全てのワクチンが無害と推定されるプラセボとの比較がないこと(つまり旧来からのワクチンも全て危うさを孕む事が推察されるということ)、推進派とされる人達のクラスタが偏っていること(コロナワクチン推進派とHPVワクチン推進派は被り、いずれも安全を軽視した強引な主張が多い)など様々なことに対する問題が子宮頸がんワクチンで被害にあわれた当事者とその家族でなくともワクチン問題に関心のある人の知るところとなり、自分が被害にあったことに気付いて以来ワクチン問題を追ってきた私としては、隔世の感があります。
一方、最初のnoteの記事に書いた私の予想通りに、接種は進み、接種後死亡・接種後の体調不良・疾病・難病・障害などに悩まされる方は、過去に類をみないほどに多くなっていると感じております。医療の名のもとに理不尽な目に合う方は増えており、私自身は、これを戦争状態に類似したものと捉えております。どうか、たくさんの接種後に亡くなった方のご冥福を祈ると共に、現在も接種後の重篤な副作用で苦しんでいらっしゃる方が回復されることを祈らずにはいられません。


無過失とは?無過失補償とは?

それでは、この無過失補償制度問題を整理する為に、無過失とは何か?というところから解説したいと思います。
まず、理解の為に一般的な患者と医療機関との間で発生する医療裁判について考えてみます。一般的な医療裁判は、「過失」があるかどうかを証明し、争う必要があります。この場合の過失とは、「診断ミスや見落としがあった」「投薬量が既定の量を大幅に超えたものである」「医療従事者間の連絡ミスにより損害を被った」等々が、医療裁判で扱う「過失」と言われるものです。(医療過誤という言葉を使われることが多いです。)
つまり、無過失ということは、こういった問題がなく定められた手順にのっとっていてもという意味になります。

では、ワクチンの場合は、どのようになるのでしょうか?
過失の相手として考えられるのは、以下です。
①医師含む医療従事者、医療機関、②メーカー(製薬会社)、③国・自治体

①医師含む医療従事者、医療機関についての過失としては、たとえば、このワクチンへの「禁忌者」に該当するのに、問診で確認していなかった、事故が起こった際に速やかに蘇生、搬送などの対応を取らなかった等

②メーカー(製薬会社)の過失としては、治験で大幅な不正を働いたデータを提出し、承認機関を欺いた、(スモンの場合の例)動物実験でも強い毒性が報告されていたキノホルムを、十分な安全性調査をせずに適応を拡大した等
③国・自治体の過失としては、(自治体の場合)集団接種会場で充分な安全策を用意しなかった、禁忌者かどうかの確認の予診を行わなかった等、(国の場合 スモンの場合の例)その製造販売をキノホルムの神経障害の報告が出された後も、承認取消等の規制権限を行使しなかった等

分かりやすいように極力例を出しましたが、上記のような過失が過去争われてきました。
つまり、ワクチン等の薬剤における無過失補償というと、薬液・薬品自体に問題がなく、接種・投与等の手順に問題がなく、偶々何らかの被害にあってもその損害に対していくらかの補償(金銭)が支払われることを指します。(薬液に問題がないか、本当に偶々かというところはかなりの疑問がありますが、今回は割愛)

予防接種における強制性、日本の法制度の変遷

日本でまず予防接種が始まったのは、種痘(天然痘)で、1870年(明治3年)に太政官布告によって種痘を行政レベルで実施することとなりました。
この種痘は、強制を基本とし、各地の役場では未接種の児童を調べあげ、接種に際しては必ず巡査が立ち合い、子どもを手なづける為に煎餅を用意するなどの苦心がされていたという話、当時の伝染病対策は、明治政府の下で内務省が管轄し、伝染病患者の隔離、住宅の消毒、予防接種の実施等に警察官がサーベルをガチャつかせて強権的に行われていたようだという記述がありました。
1897年(明治30年)に伝染病予防法(法定伝染病として、コレラ・腸チフス・赤痢・ジフテリア・発疹チフス・天然痘・ペスト・猩紅熱)が制定され、これにより患者の届出・隔離・住居の消毒等が制度化。
1948年(太平洋戦争後 昭和23年)6月に予防接種法が制定され、12種(天然痘、ジフテリア、百日咳、腸チフス、パラチフス、インフルエンザ、コレラ、ペスト、発疹チフス、猩紅熱、結核、ワイル病)が強制接種対象。後に、結核が別の 結核予防法(1951年公布)で管理され、猩紅熱が対象外となり(1958年)、ポリオが新たに指定され(1961年)、腸チフス、パラチフスが対象外(1970年)となりました。また、この予防接種法に従わぬ者には、3千円(現在の価値でいうと、数万~十万円程度)の罰金を取るという罰則と強制性のあるものでした。(実際の罰金を受ける方は当時少なかったようです。)
よく憲法があったので日本は強制がないと勘違いされる方も多いのですが、1946年11月に個人の人権を尊重する日本国憲法が公布され、1947年5月から施行されたことを鑑みると、1948年に制定された予防接種法は、諸外国と比べても接種対象も多く、憲法施行後に制定されたのに対象が増え、憲法の下でも強制があったことの証左となるかと思います。

この予防接種法の大きな改定が行われたのが、1976年。インフルエンザワクチンによって急性脳炎を発症し痛ましい後遺症を負った第2子を持つ東北大学名誉教授吉原賢二さんを中心とした種痘後脳炎(天然痘においては、種痘後脳炎という名称が一般的になるほどその酷い副反応は知られていた)の被害者の親が多く集まる被害者会の運動の影響、それによる1970年の閣議了解で実施された救済制度の影響を大きく受けたものでした。

1976年予防接種法改定の要点


予防接種における健康被害についての法的救済制度の創設
・腸チフス・パラチフス・発疹チフス・ペストを対象外化
・風しん、麻しん、日本脳炎を対象疾病に追加
・政令で対象の疾病を定められるように
・臨時の予防接種を、一般的なものと緊急の必要がある場合に行うものに区分
・被接種者に対する義務規定を残すものの、罰則を廃止(ただし、緊急の場合の臨時接種を除く)

上記の内容を含んだ改定が行われました。

また、ここから20年近い集団訴訟の期間に、ほぼすべてのケースで原告勝訴が続き、1992年東京高等裁判所の判決後に当時の厚相が記者会見の上、被害者に謝罪。
そしてこの判決を受け、1994年に再度の予防接種法の改正を行い、強制性を薄め、接種を努力義務にしました。

1994年予防接種法改定の要点


・義務規定を廃し、努力規定とした
・天然痘、コレラ、インフルエンザ、ワイル病を対象外化
・ 破傷風を対象接種疾患に追加
健康被害に係る救済制度の充実
・一般的な臨時の予防接種の廃止
その後、2001年の改定がありました。

2001年予防接種法改定の要点


・対象疾病を一類疾病と二類疾病に区分
一類疾病:感染力の強い疾病の流行阻止、又は致死率の高い疾病による重大な社会的損失を防止するために予防接種を実施(努力義務あり) (ジフテリア、百日せき、ポリオ、麻しん、風しん、日本脳炎、破傷風)
二類疾病:個人の発病や重症化を防止し、このことによりその疾病の蔓延を予防することを目的として予防接種を実施(定期接種については努力義務の廃止)

また、2006年に感染症法の改正と結核予防法の廃止に伴い、一類疾病に結核を追加する改定が行われています。

2006年予防接種法改定の要点


・一類疾病に結核を追加

薬品における副作用救済制度の変遷

また、予防接種法の画期的な1976年の改定と前後し、1963年のサリドマイド訴訟、1971年のスモン訴訟での被害者の早期救済システム構築の要望により、医薬品副作用被害救済基金が設立。薬剤による副作用被害救済制度が開始されました。これが現在のPMDA(独立行政法人 医薬品医療機器総合機構)に繋がります。
こちらも、同じく無過失での補償(過失・医療過誤がなくとも、定められた手順で薬品を使用したとしても起こる副作用・健康被害に対しての補償・給付)が行われるようになりました。

ここまでが事前に整理しておきたい前提知識となります。
続いて、次の記事でワクチン推進派による無過失補償制度問題について、述べていきたいと思います。

参考文献


吉原賢二著 私憤から公憤へ―社会問題としてのワクチン禍―
厚生労働省資料 過去の予防接種法の改正について


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