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雫になって、やがては万人のアイスクリームとなる貴女達へ

これは私にとってほんとうに悲しい事で投稿しようか何度も迷って、それでも伝えたいことが山程あるから書くことにしました。他者に対する思いを自分の記事にするということは、やれその相手を軽んじているだのコンテンツ化しているだの言われがちだけど、そうではなくて、昇華する場として利用させてください。私が漸くその事象に対しての言葉を見つけた時には、私の友人達は皆先を走っていたのですから。(誰も傷つけることの無いよう注意を払っているけれど、もし不手際があったらごめんなさい)

学校というのは、又更に小単位の学級なんて言うものは、往々にして息苦しい。思春期の体調は厄介者、そしてテストだって、赤点を取れば足枷となる。
どれかなのか或いは全てが原因なのか、理由はなんだって別に責めたい訳じゃないから気にしないのだけれど、世の中には突然学校から離れる人々がいる。それも少なくはなく、大体1年間に全国で1%~2%は居るようで。(詳しく国家文書を確認したわけではないことをご留意ください)
だからそういった子たちが私のクラスに居たってなんらおかしく無いのだ。ただ、1人じゃなくって複数人いたという事が私の悲しみだった。

当事者じゃないので断言出来ないのが悔しいが、おそらく(これはprobably~definitelyの間位で)いじめは無かった。クラスの95%と友達を豪語する私の意見なので少しだけでも信じてほしい。いじめが起きない程仲が良い、というよりもいじめに至るほどには互いに興味を持てないクラスなのだ。だから簡単に浮かぶ理由すらない。みんな突然辞めてしまって、寂しい。

離れていってしまった子の1人は、私がとても好きな子だった。あまりじっくり話す機会は無かったけれど、穏やかで優しい森林の声を持つ人だった。学校行事か重なる2学期、徐々にカラフルなクラスから自分の色を薄めていくように休みがちになって、そして。クラスメイトたちはこう言った。「親友と同じクラスになれなかったから」「クラスの友達には自我を出し辛かったかも」それもそうかも知れないと思う。私はよく人の気持ちがわからない人だと称されているような人間だったので、私がほんとうに思ったことはここに載せないけれど。誰かが離れてしまった後は、多少なりとも教室はざわつく。でもそれもあっという間に、おそらくは皆なんとも言えぬ傷を隠す為に、沈黙に戻る。私が彼女達に伝えたいことを見つけたのは、見つけてしまったのは、そうして沈黙に戻った後の放課だった。もう埋まらない席に誰かが体操服のジャージを、乱雑に置いて移動教室へと向かっていったとき。




私と同じクラスに、学校に、所属することをやめてしまった愛しい私のお友達方へ。
元気ですか。貴方達がそれぞれ好きだったバトミントンとかクラリネットだとか推しとかを愛でる行為は、今も滞りなく続けているでしょうか。辞める前日に会いに来て、「私が居なくてもこのクラスは大丈夫」だとか宣った貴方。本当に万事滞りなく流れていますが、定期的にクラスメイトたちが寂しがっているのはご存知でしょうか。きっと本当に鬱陶しくて邪魔でもはや嫌いかも知れませんが、私たちは貴方達のことを忘れていません。どうか、貴方の居場所の一つとして計上してください。クラスメイトは未だにクラスの人数を間違えて覚えているし、私は空席だらけのクラスがとても寒く感じています。
でも、私がどれだけ寂しかろうと、貴方が自分自身にとって最善の選択をしてくれさえすれば、何も不安もありません。きっと世界は貴方に優しくあろうとしてくれるし、少なくとも私は、貴方に一番やさしい人でありたいです。どうか、今後も貴方たちが一番幸せな道を歩けますように。


敷かれたレールが一番大事主義の私には分かってあげられない苦悩とか幸福とかがあるのでしょう。でも、在校中も私に無い価値観を提案し続けてくれた彼女達の一つの選択として、とても尊敬を捧げているということを伝えたかった、早く。


#オープン学級通信

(ヘッダーは「みんなのフォトギャラリー」よりkiyoficoさんの画像を使用させて頂きました。ミニチュア、ジオラマのというのかそういった生物味のないお写真でとてもすきです。)


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