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いつか別れてしまうものだから

髪が長いだけで、こんなに思考を支配されるなんて。

流石に平安貴族程ではないが、少々うっとおしくなるぐらいに、そう、バレリーナくらいには長い。(そういえばバレヱをやっているのかと聞かれることは少なくない。恐らくは顔立ちも関係しているのだろう)あんまりに長いものだから、下を向く度に首にぴったり沿うように髪が流れ落ちて、私が下を向くことを許してくれない。更に癖っ毛が災いして、先の方はすぐ絡まってしまう。ボブのときにはこんなことは無かったのになあ、と思いながら無心で髪を梳かす。梳かしすぎて逆に髪の毛が傷むんじゃないかとも思うけれども。

学生ゆえ、平日は毎日外へ出ることを強制される。毎日凝ったアレンジをするのは疲れてしまうので、と結局雑だけど下ろすよりかは綺麗なひっつめに落ち着いてしまう。が、そうすると首が凝る。一日の終りにはやや頭痛がするぐらいである。

あんまりに長いので、遂に髪を切る決意をした。そうすると、髪を切った後のことばかり考えているようになった。次第にドライヤーも疎かになる。私の心は髪を切ることだけでいっぱいである。

形あるものは永遠ではない。誰かはそう言う、私もその言葉を指針に容赦無い断捨離を繰り出すこともある。髪も同様に容赦無く切るつもりである。おまけに髪をファッションとして捉えていない私にとって(或いは子供たちが髪をファッションとして遊んでしまわぬようにとあれこれ校則の重みを増やした大人たちが悪いが)、真の邪魔でしかない。(余談だが、他人のロングヘアは好きだ。傷んでいようがいなかろうが、染めていようがいなかろうが、生活に髪を違和感なく溶け込ませることのできる人たちは素晴らしい。)

しかし、「形あるものは永遠ではない」というありきたりで余りにも疑う余地を残さない言葉(と諦めしかない私の思考)に、新たな解釈を吹き込んでくれる人がいた。「形あるものが永遠ではないのは、私達が形あるうちに愛せるように出来ているからだよ」その人はそう言った。そんなふうに捉えたことはなかったが、とても優しい人の思考で好き、そう思った。とはいえ、その考えを受け入れるとなると、自然、私の髪の扱いは如何なものかということになる。私は悩みに悩んで、スマホの検索ボックスに「ロングヘア 維持」と打ち込んだ。







私は髪が長い。ので、そろそろ切る予定である。でも、それはそれとして、今しかない長くてうっとおしくってよく絡まるこの問題児を、私に下を向かせてくれない救世主を、深く愛していたいと思う。