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これはさ愛だ

星野源さんが、好きだ。
(以後、親しみと愛を込めて源さん、または源ちゃんと呼ばせていただきます。)
わたしの人生で初めて出来た推しだと思う。

2019年、妊娠中、源さんのライブに行った。

わたしと一緒に行った友人は、若い頃飲食店で働いている時に出会った。

ランチとディナーの間、3時間だけお店を中休みして食材の仕込みを一緒にする時、店内にラジオを流していた。

そのラジオから流れてきたのが、源さんの「くだらないの中に」だ。

3.11の震災直後だったと思う。

ラジオから流れてくるその曲の柔らかさと優しさに心を奪われて、
ラジオパーソナリティが最後に言った
「星野源で、くだらないの中に」という曲タイトルを聞いて、ああ、この歌手のひとのこと好きだ。と思った。

その後友達がCDを焼いてくれたので(今はもうない文化…!)
ばかのうた と
エピソード というアルバムをひたすら聴いていた。
(その後のCDは全て買って手元にあります。源さんファンとして、源さんの気持ちに応えたくて…!(源さんは若い頃CDが買えなかったり、どうしても欲しいものは買っても入っているのは2曲とかだったので、自分のファンのためにシングルでも最低4曲入っているし、買ってくれる人のためにめちゃくちゃ特典を用意してくれる))

たまたまスマホとパソコンが同時期に壊れて、好きだった音楽も全て消えた。
なので毎日そのCDを聴いていた。

この人は、なんというか闇があるな。
と思った。
しめしめ、仲間だ。とすら。
(めちゃくちゃおこがましい!!!)

それからの彼の活躍ぶりはわたしが説明するまでもないのだけれど、
正直こんなに売れる人だとは思っていなかった。

当時の曲はギターの弾き語りで、
現在多くの人が認知している闘病後(彼はくも膜下出血で活動を休止していた時期がある)のポップな感じと全く異なる。
(ご本人がいろんなインタビューで、闘病後、もう辛いことはやめて、楽しいことを歌おうと決めたというようなことをおっしゃっていた)

「殺してやりたい」
なんてフレーズから始まる曲も当時はあったのだ。
(バイトという、わたしは好きな短くていい曲なのですが、万人受けはしない気がしていた)

決して昔から好きだったマウントをとりたいわけではなく、ただただ本当にそう思っていたので、あれよあれよと大人気になり、ライブチケットも取れなくなった時には嬉しくも悲しくなった。

時は流れ2019年。
変わらず源さん大好き!仲間な私たちは、運良くチケットを手に入れ、ライブに行けることになった。

その矢先、わたしの妊娠が分かった。
ライブに行くことを躊躇したけれど、産んだらもう行けることもないかもしれない。
そう思い、参戦した。

案の定つわりがキツくなる時期で、
わたしはライブの大半を席に座って見ていた。

友人も大丈夫?と気遣ってくれて、
なんとか最後まで見ることが出来た。

最後の曲は、Hello Songだった。

Hello Songの歌詞に

何処の誰か知らないが
出会う前の君に捧ぐ
この世未来切り開く
何でもない君に

いつかあなたに いつかあなたに
出会う未来 Hello Hello
いつかあの日を いつかあの日を
超える未来 Hello Hello
笑顔で会いましょう

という部分がある。

この歌詞がまるでお腹にいる息子のことのようで、最後Hello Songを聴きながら号泣していた。


息子が小さな頃から、源さんのミュージックビデオを一緒に見ている。

息子のお気に入りは
アイデア
時よ
創造
の三つだ。

アイデアに至っては、一緒に自転車に乗る時に毎回私が歌うものだから、
息子はなんと1番がところどころ歌える。

2歳児の言う
「おはよう よのなか」!
可愛すぎる。

感慨深いのは、今息子と源さんの歌が歌えていることだ。

あの日お腹にいた時は本当に本当に小さくて、耳も聞こえていなかった息子。

その彼が今私と一緒に源さんの歌を歌っている。

Hello Songを聴くたびにわたしは泣きそうになる。

母になるという未知なる未来を楽しみにしつつも、
周囲にはうまく伝えられない不安がずっとあった。

でも最後に源さんがHello Songを歌ってくれた時、絶対笑顔でこの子に会いたい!と思ったのだ。

息子が生まれて半年が経った頃コロナの影が忍び寄り、
今となってはあんな風にライブに行くなんて夢のまた夢だ。

けれどラッキーだったこともある。
配信ライブが行われたことだ。

そのどれもを何とか時間を作って観ることができた。

この間行われた「星野源のオールナイトニッポンリスナー大感謝パーティー」の最後に、
源さんも言っていた。

コロナってほんとクソだけど、
こうしてオンラインライブが普通に出来るようになったことはいいことかもしれない、と。

わたしもそう思う。

コロナでよかったことなんて一つもないように思えるけど、
子育て中のわたしは、コロナじゃなかったとして、源さんのライブが開催されていても絶対行けなかった。

だからこうしてこの一年半でオンラインライブで3回も源さんに会えて、
とても元気と力をもらえたことは、
本当に有り難かった。

推しのちからは、偉大だ。

前回のオンラインライブは30分だけ息子とふたりでリアルタイムで観た。

源ちゃーん!!と画面に手を振るわたしを見て、

げんちゃーん!!と息子も手を振った。

思わず笑ってしまった。

それから源さんのYouTubeを観るたびに、げんちゃーん!と息子は言う。

たまに、げんちゃんやなの!ふうせんがいいの!(the wigglesの動画のこと)などとも言う。

ああ、いつか息子とまた源さんのライブに一緒に行きたい!
そしてその頃には言葉ももっともっと分かっているだろうから、わたしがなんでこんなに源さんのことが好きかということを伝えたい!!

きっと息子はキョトンとするだろうし、なんなら鬱陶しがるかもしれない。

昔のわたしも、「推し」がいる人のことを理解出来なかったからだ。

「推し」がいる人は、その人をモチベーションにしているから、その人が結婚したりするとモチベーションが下がるし、何もしてもらえないのにただお金だけ使わされて可哀想…なんてことを言っていた!
バカもんが!!!!!

ちがーーーう!

推しとは!!
もう存在してくれているだけでありがたいのだ!
推しが作品を発表してくれるだけで。
ただ輝いていてくれるだけで。
結婚して幸せになってくれるなんて最高だ!めちゃくちゃ嬉しい!!
飛び上がって喜んだぞ!
しかも源さんは!!
歌にお芝居に本にラジオまで!
あらゆるわたしの好きを全て網羅してくださっている!!!!!!

ありがとう。源さん。
生まれてきてくれて。
ありがとう。源さん。
いつもわたしに力をくれて。
ありがとう。源さん。
辛い思いもたくさんしているはずなのに、それでもめちゃくちゃ優しくファンに寄り添ってくれて。

はぁ。なんたるキモいファンなのでしょう。

いつもはそっと胸にしまっているこの想いを、
いきなり暴露する感じ。

なのに源さんの良さを全く伝えきれていないこの感じ。

残念がすぎる。

最後に…
推しに対して偏見を持っていたわたしはこうも言っていた。
「推しに対する愛って結局独占欲とかじゃないですか?わたしに気づいて欲しいとか、わたしが1番推しが好き!わたしが1番のファン!みたいなことですよね?それって愛ですかね?」

それに対する当時の上司の答えはこうだった。
「愛って、色んな形ありますよ。
それはやまめさんが愛を違う角度から見てるからよ。
いいも悪いもひっくるめてもう愛ってことにしときましょう。
それにここでどれだけ話し合ってもやまめさんはその人たち(推しがいる人たち)のことを理解できませんよ。
だって今までそういう気持ちになったことないんだから。」

ぐうの音も出ない。

時を経て今推しが出来たわたしは、
推しのいる生活の豊かさに
毎日源さんを拝んでいます。

推しのいる生活、最高!!
愛です!
これは、紛れもなく純粋な、
クリーンな愛です!!

人って変わらないけど、
変わるもんですね。

いいも悪いもひっくるめて愛。

とは言えよい愛で、
よいファンでいたいなと思うのでした。

源さん、また、笑顔で会いましょう!!

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