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家族の風景


たかまりぱっさむ、とか、はかまりだよ!とか、息子が言う。

その真実を知るものは息子しかいないので「はかまりってなに?」「たかまりぱっさむ?」とか聞いてみるものの

はかまりはね、これのことだよ!と言うのが靴ベラだったり、コンセントだったり、はたまた手拭きの白い布だったりして全く何なのかいまだに分からない。

「たかまりぱっさむ」に至っては、恐らく名詞ではない。
何かテンションの上がった時に「たかまりぱっさむ〜!」と言ってみたり、ふとした時に呟くように「たかまりぱっさむ…」と唱えたりしている。

謎すぎて絶対ないとは思ったものの一応Google検索までしてしまった。
「検索条件と十分に一致する結果が見つかりません」と出てきて笑った。

もしかしてこのことではないですか?の中に「たかまりぽっさむ」と出てきたので調べたら「ぽっさむ」という韓国料理だった。

ぽっさむではない。ぱっさむなのだ。

息子は歳の割に、そして男の子の割によく喋るとずっと言われてきて、2歳を超えるあたりから普通に会話が成り立つようになっていて、もうすぐ3歳を迎える今となっては会話に困ることはない。

そのおかげで癇癪も少なくて(要望を言葉で伝えられるからかなと思っている)ありがたいなーなんて思っていたのだけど、「はかまり」と「たかまりぽっさむ」についてはきっと永遠に謎だ。

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実家に帰ってきてもうすぐ1ヶ月が過ぎる。

私なりにもがいて、半年ほど息子と二人暮らしもしてみたもののコロナにかかり、治ったと思ったらまたコロナで休園になり、また息子が熱を出して(これはコロナではなかった)、とにかく生活がままならなかった。

シングルマザーになることを舐めていたわけでは全くないけれど、覚悟以上のものがふりかかり、人生で初めてプツッと何かがきれた。

いや、今までも人生の中で何かが音をたてて崩れ去るような、根底から全てひっくり返ってしまうようなことはあったけれど、わたしはその時1人だった。

たった1人きりならば、どんなに貧乏しようと、孤独だろうと、コツコツ働き、とにかく横になって目を瞑り、ぷらぷら散歩をして美味しいものを食べていれば時間はかかっても回復した。

今回は、息子がいる。

私の心がここで折れる訳にいかないのだと、両親を頼ることにした。

受け入れてくれた両親には感謝しかない。

わたしに彼らがいなかったら今頃どうなっているのだろうと想像するだけでゾッとする。

ああ、意味不明に泣かなくなったな、と思ったのは最近のことだった。
夜横になっているとき、朝歯を磨いているとき、本当にふとした瞬間、何も悲しくないのにただただ涙が流れていた。
あれはきっと心からのSOSだったのだ。

自分の無力さと、情けなさと、悔しさが胃の中でないまぜになってどろどろとお腹の底に溜まり毎日身体が重たかった。

わたしは何と戦って、何に勝とうとしていたのか。と考えるのだけど、結局弱い自分と戦っていたのだろう。

不思議なのは状況だけみると悲惨である今の方が、側から見て「普通の家族」に見えていたあの頃よりずっとずっとこころが健全だということ。

相手を恨めるうちはまだいい。
恨んでいる自分のことを嫌いになり始めたらもうその関係は終わってる。

恨み、妬み、嫉み、僻みからはうんと離れた場所にいたい。これまでも、これからもずっと。

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洗面台にドルツ(電動歯ブラシ)が3つ並ぶ。

父と、母と、わたしの。

父は最近ドルツを買った。
その歯ブラシには「 national 」と印字されている。

なぜ今ナショナル?と思って調べたら、14年前にナショナルはなくなっていた。(Panasonicに変わった)

そのナショナル製のドルツをわざわざオークションで見つけ、競り勝ったらしい。
(何のために?)

今年買ったパナソニック製のわたしのドルツよりうんと重い14年以上前のそのナショナル製のドルツを父はわざわざ今買って使う。

本当に意味がわからない。

けれどその重たいドルツで嬉しそうに歯を磨く父を横目に「どうせ買うなら新しいの買って使いなよ!」とは決して言わない母と私にはやはり同じ血が流れている感じがする。

意味はわからないけど、父が嬉しそうなことが分かるから、それでいいよねって思ってるのだ。たぶん。

本当に意味がわからないことに遭遇した時、何でもかんでも否定して通るのはつまらない。

むしろ意味のわからなさを愛している節がある。

父のナショナル製のドルツも、息子のたかまりぱっさむも、明日も意味がわからないと思いながらそのままにして生きていく。

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