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その階段を降りたら


わたしには大好きな洋食屋さんがある。

ご夫婦でやられている、こじんまりとした、素敵なお店だ。

味はもちろんのこと、マダムの接客が本当に素晴らしい。

23歳の時、一年だけカフェで接客業をしていた。
その時の常連さんが、ここは美味しいよと言って教えてくれたお店だ。

なんと、もう10年以上通っている。
途中、引っ越したりもして、なかなか行けない時期もあった。
でも半年に一回、多い時は1ヶ月に一回は通っていた。

一番好きなメニューは、デミグラスソースのかかったメンチカツだ。
そしてディナーでもランチでも、スープとサラダも必ず頼む。
全てのメニューが細部まで繊細に作られていて、「神は細部に宿る」とはこのことか。と思えるほどに美味しい。

つやつやとした皮むきされたミニトマト。ドレッシングとアンチョビの塩味が程よく効いたレタス。緑と黒のオリーブ。さっとかけられたツナ。輪切りにされた黄色がまんまる綺麗なゆで卵。芸術的なサラダ。

口に運べば運ぶほど、いろんな味わいの広がるミネストローネ。

そして、付け合わせまで美味しいメンチカツ。
デミグラスソースは、ご飯につけて舐めとるように食べる。
少しも残したくないほど美味しいのだ。

今こうしてここで思い出しながら書いているだけで涎が出る。

そのお店に、2年ぶりに行った。
妊娠、出産、育児からのコロナで全く行けず、本当に久しぶりになってしまった。

マスクをつけていたにも関わらず、マダムは開口一番、「お久しぶりですね」と言った。
それだけでも驚いたけれど、「髪の毛、随分と切られたんですね。でもとてもお似合いです」と笑顔でお水とメニューを持ってきてくれた。

この人は、接客のプロだ。
このお店に来るたびに、料理だけでなく、マダムに癒される。

今のお店に移転する前は、カウンター席だけのもっとこじんまりとしたお店だった。

移転された後はマダムともうひとり、パートかバイトかの接客の方が増えた。

それでも、このお店にいてマダムと共にいると自ずとそうなるのか、皆さんとても感じが良い。

だけれど、マダムには敵わないのだ。
そのテキパキとした働きぶりからは想像もできないほど柔和な声と、優しい笑顔。天使のようなひとだ。

店に入る前からオーダーは決まっていた。
マダムもそれを知ってくれているので、一応本日のメニュー(もうこれは終わってしまって、や、今日のスペシャルはこれです、など)を説明し終えたあと、「サラダ、載ってないけどお作りできますよ。ハーフでいいですか?」と聞いてくれた(!!!!)
すごすぎる。

はい。それでお願いします。
あと、メンチカツで。
(ランチにはスープがついてくるのだ!)

「かしこまりました。ご飯は少なめで大丈夫ですか?」

そんなことまで覚えてくださっている!?と、とても感動した。

はい!お願いします。
と答えると、
承知しました。
と、笑顔でメニューを下げていく。

寡黙そうなご主人が調理場で黙々とお料理を作られている。
その姿をじっと見ていると、よく冷えたお皿に入ったサラダをマダムが持ってきてくれた。

カウンター席だったので、一口食べた瞬間、マダムと目があった。

「美味しいです」
堪えきれず、そういうと、

「お久しぶりですもんね」と言って
グラスのコップをきゅっきゅと拭きながら、マダムが微笑んだ。

その瞬間、なんだか涙が出そうになった。

上京したての頃から、就職、結婚、妊娠、出産と時は流れ、それでもこのお店の味と雰囲気は変わらない。

わたしがどんな時でもマダムは笑顔と素晴らしい接客で、ご主人は黙々と美味しいお料理で、わたしを出迎えてくれる。

10年間も。

少し飲食に関わったことのある人間として、それがどれだけ大変なことかを知っている。

この人達は本当にすごいなぁ、と、心から思った。

コロナで潰れてしまうのではないかなんていう心配は杞憂だった。

1日でも長く、お二人の作るご飯を食べることができます様に。

色んなことで心疲れていたわたしは、パワーチャージされて、電車に乗る頃にはすっかり気持ちも身体も軽くなっていた。

彼女にも、疲れている日も、心穏やかにいられない日もあるはずなのに、いつ行っても笑顔で、全くその気配すら感じさせない。

彼女に会いに行き、メンチカツを食べると、ああ、私なんかまだまだだ。
明日も頑張ろうと思える。

お互いに名前も年齢も、なんにも知らないのに、不思議だ。

いつもありがとうございます。
また、食べに行きます。

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