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12月8日の手紙 綿の詰まった脳

拝啓

今日はそれほど寒くありませんでした。
気温が高いからか、しっかり防寒しているからか、寒いと身をよじることがなく過ごせました。
暖かいって良いことだ、としみじみ思います。

12月は本当に忙しいですね。
頭の中に綿が詰まったような感じがします。
生きている脳細胞が全て綿に変わり、ぎっちりと頭に埋まっているような気さえします。ひとつひとつは軽いのに、ぎっちり詰まっているせいで、首や肩に軽やかさはなさそうです。せめて、脳に綿が詰まるのなら首こりや肩こりくらい解消して欲しいのに…と妄想を繰り広げてしまいました。

毎日、大したことはやっていないと思うのですが、脳がとても疲れている気がします。
何も考えたくない、何もしたくないという言葉がまだ、頭の中で繰り返されています。
ふと思い出したのは「決断疲れ」という言葉です。
一説によると、「小さなものでもたくさん決断を下すうちに疲れてしまう」そうで、その後のパフォーマンスが下がるのだとか…。しかもその決断というのは人生での大きな決断などではなく、「複数の色からTシャツを選ぶ」「複数のブランドからシャンプーを選ぶ」などが実験では行われたそうなので、本当に小さな判断、決断でもたくさんやり続けていくと疲労が溜まるということなのでしょう。

言われてみると、1日の中で、判断、決断する場面というのは、とても多いものです。
目が覚めてすぐ起きるか起きないか、サッと歯磨きをするかしないか、朝食を食べるか食べないか、食べるなら何をどれくらい食べるのか、着替えはどこからするのか、夕食の準備をするのかしないのか、メニューは何にするのか仕事はどういうルートで行くのか、など。
朝の数分を切り取っただけでも…さまざまな判断によって成り立っていることがわかります。目が覚めた時点から、あらゆる判断が人間を待ち構えているわけです。

まあ、だから、仕事へ来ていく服はほぼ固定していて、2パターンを交代で着ているわけですが、その程度ではおさまらないくらいの脳の疲れが溜まってきているのでしょう。
仕事着については、以前、この記事でつらつらと書いています↓。

服装や食事での決断を減らすようにしていますが、それでも脳は騒がしい、気がします。
ひたすら穴を掘るとか、
川に草を流すとか、
空や海だけ見てぼんやりするとか、それすらなくて、
自然な呼吸と自然な瞬きだけをして壁を見つめている時間があっても良いのかも知れないと思います。

日の光で照らされた白い壁紙が、太陽の移動と共に、灰色にそして、暗い中に沈むまで見つめるという1日があっても良いし、むしろそういった日がない現実の方が異常なのかも知れません。

しかし、脳が疲れているとジャンクな情報を摂取したくなる傾向があるので、実際には壁だけを見て過ごすことはできないだろうと思います。スマホの誘いに勝てる気がしません。
だとすると、脳と同じくらい身体を疲労させる、運動が結局最強なのかも知れません。
くたくたになって眠る…脳の強制シャットダウンになりそうです。
しかし、忙しいと、運動に時間を割くのが後回しになるのですよね…。堂々巡りですが…。

また、疲れすぎてくると独り言が増えるような気がします。
つい口をついて出る言葉が増えると言うことかも知れません。おそらく、脳のストッパーが緩んでいて、考えた言葉の検閲がなされていないのでしょう。産地直送というか、想起直送というか、思いついたまま、口から、漏れてしまっているのです。
脳は休みたがっていて、その言葉がどんなことを引き起こすかなんて考える余裕もないのです。
なんて言ったって、綿の詰まったような脳なわけですから、複雑なことなんてできるわけないのです。
こういう時に、SNSで、炎上が起きたり、人間関係で、トラブルが起きたりするのだろうと思います。
もともと口が過ぎると言われる方なので、人といる時、リプライを飛ばす時には重々気をつけようと思います。

というわけで、今日は早寝します。
おやすみなさい。



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