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2024年1月6日 スーパーウーマンはいらない

今日は、当地は曇りのはずが、たまに雨が降るおかしな天気でした。
とは言っても、この時期にしては恐ろしく、暖かかったです。
ニュースも、タイムラインも、眺めていると一言言いたくなるような情報ばかりなので、危険、危険と思いながら眺めています。

さて、今日は「人に頼ること」について、1日中考えていました。
ここ数年、「人に頼る強化年間」をやっている、と感じています。

人に頼らない性質というつもりは全くありません。それでも、「人に頼る強化年間」に入ってから、これまで「だいたいのことは1人でやれる!」と肩に力を入れて生きてきたのだ…と自覚するようになりました。
脱力して初めて、力が入っていたと気づくとか、マッサージで揉みほぐされて初めて肩のこりに気づくというのに、かなり近いと思います。
これまで、かなり長い間、「だいたいのことは1人でやれる」と自分に暗示をかけていただけで、
「だいたいのことは1人でやれる…けど時には面倒くさいよね」というのが本心だった、と気づいたのです。

以前は、「人に頼る」ということがあまりにも壊滅的に下手だったので、そちらの方が苦痛で、
ほどよく人に頼るありがたさ、楽さを感じていなかったのだと思います。
「人に頼る」ということは、多くの場合、「自分がそれを苦手であること」もしくは「自分がそれをやりたくないこと」、「自分がそれをする才能がないこと」のいずれかを認めなくてはなりません。
このどれもがとても苦痛でした。
特に、最後の「それをする才能がないこと」を認めるのが恐ろしかったように思います。
うん、今思い出すと、本当に、そのことが怖かったのです。

幸か不幸か、何とか頑張ればやれるタイプであり、なおかつ、インターネットであらゆるやり方を検索し確認できる時代になってしまったので、
そういった文明の利器を駆使して、何とか1人でやっていたのです。
「頼る」とか「お願いする」ということの前には、先ほど挙げた3つのうちどれか「苦手」「やりたくない」「才能がない」のどれかを自認するだけでなく、何をお願いしたいかについて、相手に説明する作業があります。
これもまた、とても苦手でした。
病院の問診で、「どこが痛いですか」「どんな感じですか」と尋ねられるのが苦手なことと少し似ていると思います。
自分としてはわかりきっていることを、他人にわかるように、説明しなくてはならないということは、
動画也映像の解像度をわざと下げるようなもので、 非常に難しく感じるのです。

先日、X(Twitter)で、「視力検査ではこの程度見えていたら、右と答えてください」というピンぼけの画像が回ってきて、ひどく驚きました。
これまで、世の中の人はものすごくクリアに、Cの開いた部分が見えていると思っていたからです。
いつもピンぼけの画像で何となく答えながら、嘘がバレたらどうしよう…とハラハラしていた子どもの頃から今までの時間を返してほしいと思いました。
こういうこと、結構あったなぁと思います。
「自分にはこう感じられるけれど、他人、特に大勢の他人はそうは感じないらしい」とか、「このように感じるのは異例で相手をおののかせるから言わない方が良いらしい」という体験を子どもの頃から山ほどしてきたのです。
「どうも自分が感じることは、皆にはピンとこないらしい」と思いながら、誰かを頼るというのはかなり無理があります。
そもそも困っていることを説明しても通じないとか、鼻で笑われることが多いのです。
「どうしてそれが嫌なの?」「どうしてそれをやらないの?」といわれても、素直に返答はできません。
素直な返答とは、
「何だかものすごく嫌だから」とか「とても疲れるから」であり、
大体の相手を困惑させる返答になるからです。
だからこそ、
「人に頼る」とか「お願いする」というのはあまり選択肢にありませんでした。
かえって、疲れる、と思っていてのです。

ここ、2、3年、それを見直す機会があり、苦手なことは出来るだけ、「苦手であること」か「やりたくないこと」か「才能がないこと」を表明し、
やってもらえるならお願いするという方針に変えました。
もちろん、なかなか簡単には行きません。
大体の場合、もう少し、頑張ればできるのではないか?と考えてしまいます。

しかし、とある方から「あなたはスーパーウーマンじゃないのよ」と言われる機会があり、
そこからじわじわと、「人に頼る」や「お願い」ができるようになってきました。

単なる人間であること。
何でもできる人間になる必要はないこと。 

そもそも、他人には当たり前のように思っていることを自分に対しては適応していないという事実に驚きました。
「そうかそうか、
何でもできる人間になりたかったし、
どうせわかってもらえないのなら、1人でそうならねばならないと思い込んでいたのだ」ということが、ようやくわかってきたのです。

1人で買い物に行くのも、1人で映画に行くのも、1人で外食するのも、1人で旅に行くのも、できると思っていましたし、できるのですけど
苦手なら、やりたくないなら、その才能がないと思うなら別にやらなくたっていいのです。
もし、やりたいなら、苦手でも才能がなくてもやったらいいのです。
しゃかりきになって、1人でやる必要はないのです。
やり始めて嫌だったらそこから誰かにやってもらってもいいし、
やめてもいいのです。

何でもできる人間になんてならなくていい、
こんな簡単なことに気づくのに、ひどく時間がかかりました。

もっと、人に頼って、お願いする、普通の人間でいましょう。
その方が、案外、お互い楽しかったりもするのですから。






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