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2024年3月5日 思考が変わると時間の速度が変わる

ひどく怪しい、自己啓発本のようなタイトルになってしまいました。
科学者で無くとも、眉をひそめたくなる怪しさです。
本屋に平積みしてあり、
パステルカラーの表紙で、
ページ数が薄く、行間がスカスカで、ひらがなが多い本にありがちなタイトルです。
自分で書いててもゾッとするくらいに陳腐だと思います。

ですが、ここ数日の、真実なのだから尚更、タチが悪いのです。
全部勘違いなのかもしれないが、体感が確かにあります。
 どういうことかと言いますと、
「仕事よりも生活を大切にしよう」と決めたら、
時間の流れがゆったりと流れるようになったのです。
怪訝そうな顔をしている人々の姿が、見えるような気がします。
しかし、ここはとにかく何でも書く場所なので、どういうことかを書いてみます。


例えば、仕事の最中のことです。
これまでだったら、
スケジュール調整がうまくいっていないと
軽く苛立ちを覚えていたのですが、
「仕事よりも生活を大切にすると決めたんだから、そこまで苛立つ必要はない」と
はたと気づきます。
無理矢理に予定通りに行かせようとしたり、
後から予定を組み込んだりはしません。
「こういう流れなのか」と思って、
今出来ることを、探し、丁寧に取り組みます。
結果、無理矢理仕事の予定を直したり、
組み入れたりせずとも、まわりは何も言いませんし、
あまつさえ、丁寧に取り組んだ仕事に感謝されたりもします。
その上で、焦って、仕事をしたわけではないので、心にゆとりがあります。

例えば、別の場面、家事の一場面です。
いつもならば
「どうしてこんなことをしなければならないのか」と不満をたらたら心中で吐きつつ、
重い腰を上げるのですが、
仕事でできた心のゆとりがあるので、
家事への移行がスムーズです。
葛藤がない分、無駄な思考がなく、作業に素直に没頭できます。
「野菜の作り置きを作ろう」という考えが浮かんで、
スマホで調理法を検索、
冷蔵庫の前まで行き、ほうれん草を取り出す、
ほうれん草を洗い、水を切る、
鍋に水を入れて、火にかける、
ほうれん草を切る、
湯が沸いたら、鍋にほうれん草を入れる、
その間に保存容器に和え衣をつくり、
茹で上がったほうれん草を冷水でひやす、
キッチンペーパーでほうれん草の水分を搾り、
保存容器に入れる、
ざっと、混ぜ合わせる
と、これだけの行動がシームレスにできるようになったのです。
結果、いつもやっている時刻より、前倒しに、常備菜作りが終わり、
時間にゆとりができます。
時間にゆとりができたので、軽く掃除をしたり、
これまた前倒しで、洗濯機を回したりできます。
気づくと、帰宅してからの家事がいつもより、ずっと早く終わっていました。

それとはまた別の一場面、
例えば、noteの記事を書く場面です。
仕事や家事で心のゆとりや時間のゆとりができたものですから、
note記事作成についても、
時間も気持ちにも多少、ゆとりがあります。
いつものように、
スマホのメモアプリを開けて、思いついたことを打ち込んでみます。
「ネタとして、書けないことはないけれど、そこまで気が乗らない…」、
そういう時も、今日はゆとりがありますから、
そのネタにこだわる必要はありません。
書きかけてやめ、新規作成をタップすれば良いだけです。
書き始めのストックが増えるくらいで、何も困ることはありません。
そしてまた、気持ちが乗りそうなネタを探します。
今書きたいと思えるものについて、じっくりと考えることができます。
入力のスピード、書く速度が上がったわけではありませんが、
気づくと、記事が書き上がっています。
そして、気持ちの余裕はまだあります。
へとへとで書き上げたのとは、疲れが違います。
もしかすると明日の記事のための書き出しをかける余力があるかもしれません。
少し書いてみようかな…という気持ちになります。
時計を見ても「まだこんな時間!」という時間です。
時間の進みがゆっくりに感じられます。
のろのろしているというよりは、
たゆたっているような、
ほとんど流れのない川のような感覚です。
その昔、高千穂の渓谷で友だちとボートに乗った時を思い出します。

イラついていないためか、
疲れも軽減されているような…。
気のせいかもしれませんが…。

思考を変えると
時間の体感速度がここまで変化するのだろうかと
不思議な気持ちがします。
魔法のようです。
「時間がない、時間が足りない」と叫んでいるとその通りに、時間がなくなっていき、
「仕事よりも生活を大切にしよう」と決め、そうするべく、動いていると、
時間にゆとりができ、流れる時間もゆっくりになる、
書けば書くほど、うさんくさく、怪しい話です。
でも、実際にここ数日、明らかに時間の流れが変わってしまいました、
多分、「先にそう決める」というのが大事なのでしょうね。
ここで言えば、「仕事よりも生活を大切にする」ということを決めてしまうということです。
流されるままにやらない、自分の方針を決めることが、魔法の呪文であるのでしょう。
そして、「忙しい、忙しい」「時間がない」ということもまた呪文なのです。
そうした上で、思い出してみると、飛ぶように過ぎていた過去も、自らでそうしていたのかもしれません。
あの時はそうしたかったし、
そうでないと得られない経験があったので、
後悔はしていません。
それでも、時間加速の魔法をかけ過ぎたかもしれないとも思います。
もう少し、あの日々を味わえばよかった、
毎日をこなすのではなく、もう少しだけ丁寧に扱えばよかった気がします。
時間魔法を使い過ぎた魔女のような感想を書き散らすことになろうとは
人生はまだまだ
予想外のことが起こるもののようです。

いずれにせよ、
仕事をして家事をして
note記事を書くという、ひとつひとつの日常を
時間と心のゆとりを持って取り組めるようになったのは嬉しいことです。


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