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epilogue. 教壇を離れた私ができること

(※ 人物は仮名で、役職は当時のものです。)

「お父さん、本当は学校の先生になりたかったんだよ。」

母からそう聞いたのは、私が教職に就いた後だった。驚くのと同時に、そういえば…と思い当たることがあった。

小学生の頃、算数の宿題に躓いていると決まって父が見てくれた。分からなくて泣き出す私に、説明の言葉を分かりやすいように言い換えて、根気強く解き方を教えてくれた思い出が蘇る。

そういえば、私が小学校で働き始めた頃から「今、どんなことを教えている?」「今日は学校で何があった?」と、夕食を囲みながらよく尋ねていた。また、家で教材研究をしていると「こうやって説明してみたら?」と一緒になって考えてくれたこともあった。

父の夢が教師だったとは知らずに志した教職だったが、私が学校で働くことで父の夢を一緒に叶えているような気がしてうれしかった。

2017年3月、今回の件で小学校を退職した直後は、両親に本当の退職理由を打ち明けられず「非常勤枠が見つからなかったけど、また枠があったら連絡が来るはず」とごまかした。

その後、私の携帯が鳴るたび、息を飲むように電話に出る私の様子を見守る父の姿が今でも忘れられない。

私が裁判を起こすと決め、両親に「もう宮崎では教職に戻らないと思う」と告げた時、父は少し寂しそうに「もう二度と戻らなくていい」と言った。

「今日の新聞に教育についてこんな記事があったから読んでおきなさい」とよく新聞の切り抜きを持ってきくれていた父と、本当はもっと学校生活や今の教育について話し続けたかった。

これ以上、一緒に夢を叶えられなくてごめんね、と申し訳なく思い、私も悲しくなった。

性暴力を許さない、被害者も加害者も生まない社会にするためには、教育現場での性教育が最も重要だと思う。

子どもたちが正しい性教育を受けるには、教職員が正しい性教育の知識を身に着けることが必要不可欠だ。

例えば、「口や、水着で隠れるプライベートゾーンは自分だけの大切な場所で、他の人が自分の同意もなく見たり、触ったりしてはいけない」ということや、「性的な行為や発言を積極的に望むお互いの意思を確認する」という性的同意など、正しい認識をもって子どもたちの教育に携わってほしい。自分より目上の人から性的なことをされたり、言われたりした場合でも、止めてくださいと強く拒否していいと伝えたい。

私と同じような経験を、絶対に子どもたちにはさせたくない。

今回起こった一連の出来事は、A教頭や延岡市教育委員会、宮崎県教育委員会にとって「なかったこと」「終わったこと」になるかもしれないが、私にはこれからもずっと「なかったこと」「終わったこと」にはならない。

ジーパンのボタンに手をかけられたときの、胸の奥がぐわりと凍りつく感覚は今でも忘れられないし、今でも男性から「飲みに行こう」と急に誘われると、息ができなくなってしまう。

教育委員会からの二次被害に対しても、私が被害を申告してからずっと抱え続けてきた怒りや悔しさは、これから先も絶対に消えることは無い。

それでも日々、心の折り合いのつけ方を探し、少しずつ自分の時間を取り戻せたらと願っている。

気持ちを整理するためにこの手記を書き始め、それには本当に長い時間がかかるのだと身をもって感じた。

私の起こした裁判は解決とはいえない終わり方をしてしまったが「性暴力と教育委員会の対応について声を上げること」が、教壇を離れた私が子どもたちのためにできる最後のことかもしれない。「起こした裁判を意味のあるものにしたい」という思いが強くなった。

「どうしたらセクハラを発生させずに済んだのか」
「どうしたら被害者を救えたのか」を、私が教育委員会に考えさせることはできなかったが
「二度と繰り返させないために何ができるのか」は、今回の事件と問題を社会に問いかけることで教育委員会も組織として考え直さざるを得なくなるのではないだろうか。そして、性暴力に関する議論を繰り返すことで正しい認識が社会に広まっていってほしいと思う。

教育委員会には、子どもが未来に不安を感じることなく希望をもって成長していけるよう、まっすぐに目を見て、真摯に、誠実に説明できる判断や対応をしてほしい。今でも教育委員会の「職場における性暴力に対する認識」が変わる可能性を信じたいし、教育機関として、自浄作用のある組織になってほしいという望みを捨てきれないでいる。

私が被害を打ち明けてから
「あなたは悪くない」
「話せそうだったら話を聞くよ」
「いつでも連絡していいから」
「きつかったら止めてもいい」
「何かできることがあったら教えて」
「あなたの話を信じている」
「できる限り、全力でサポートします」
と寄り添ってくれる人たちがいて、心の傷をかばってくれた。

その温かさに私はどれほど救われてきただろう。

と同時に「ついていったんでしょ」「隙があるから」「その気があったのでは」「相手はハメられたと言っていた」など、これまでに受けた中傷で今でも傷つくことがある。

その度に気持ちが引き戻され、時間が経っても癒えない辛さを思い知る。

忘れることもできず、終わったことにもできない。

身近に起こりうる性暴力について、誰もが自分事として考え、被害者が職場を追われることがなくなるよう、性暴力を許さない、被害者も加害者も生まない社会になることを心から願う人たちと共に、私の経験を分かち合い、今できることを一緒に考えていけたらと思う。

教育に携わる幸せを教えてくれた子どもたちや先生、寄り添ってくれたすべての人たちへ

心からの感謝をこめて

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