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episode11. 裁判の始まり

(※ 人物は仮名で、役職は当時のものです。)

2018年の春、宮崎県教育委員会、延岡市教育委員会を相手に行政裁判を起こすと決心した。

本当のことが知りたい。自分に起こった事件を受け止めきれない心に折り合いをつけたい。少しでも納得したい。理不尽さや苦しみから解放されたい。

私がこれから前を向くためには必要なことだと覚悟を決めた。

2018年11月21日
宮崎地方裁判所延岡支部へ訴状を提出し、裁判が始まる。合議で裁判が行われることが決まった。

損害賠償請求 354万6988円
(①慰謝料200万円、②逸失利益122万4535円、③弁護士費用32万2453円)

宮崎県教育委員会から任命され延岡市が設置する小学校の非常勤講師であった原告が、平成28年3月、同校の教頭からセクハラ行為を受けたことに関し、延岡市教育委員会及び宮崎県教育委員会の職員が原告に対する事実調査等を行うに当たって、原告の精神を傷つける言動や原告に対する安全配慮義務違反ないし労働環境調整義務違反に当たる行為があり、これらは国家賠償法上違反な行為に当たることから、同法1条1項及び同法3条1項に基づき、上記各教育委員会を設置する被告延岡市及び被告宮崎県に対し、連帯して、前記1の請求の趣旨記載の金員の支払いを求めたもの

2018年12月19日付で教育委員会からの答弁書が届いた。私と対峙せざるを得なくなった教育委員会は一体どんな主張をするのだろう。

私が申告した性被害でどんな事実認定がなされ、なぜ「文書訓告」という判断をしたのか。今までずっと苦しめられ、ずっと知りたかったことが少しずつ分かるかもしれない。

書面が手元に届くと、何度も何度も読み返した。読み返しながら、疑問をもった箇所に付箋をつけていく。そして、あっという間に付箋だらけになった書類を見ながら一つ一つWordに書き出していった。次の弁護士打合せで質問しよう。事実と異なること、反論したいことは一つ残らず書き出そう。教育委員会からの書面と自分のまとめたファイルを確認するのが私の日課になっていった。

2018年12月26日 
法廷で、原告である私の提出した訴状の陳述がなされた。

それから2年間、計12回、松永弁護士と共に裁判所へ出頭し続けた。

出頭①  2019年3月13日​ 
出頭②  2019年5月22日​ 
出頭③  2019年7月10日​ 
出頭④  2019年9月18日​ 
出頭⑤  2019年12月18日 ​
出頭⑥  2020年3月18日​ 
出頭⑦  2020年6月24日 ​
出頭⑧  2020年9月24日​ 
面談⑨  2020年10月14日 ​
面談⑩  2020年10月21日​ 
出頭⑪  2020年11月5日​ 
出頭⑫  2020年12月25日 ​

証拠調べ(尋問)前の双方の主張や、証拠整理のための2~3か月おきに行われる裁判所での弁論準備手続が行われ、宮崎県、延岡市側は代理人弁護士事務所から電話で出席して進められた。私は30分に満たない手続にもスケジュールを調整し、必ず出席した。

法律用語はどれも聞き慣れず、手続までの流れを理解するのにも時間がかかった。

それでも、絶対にその場に居合わせたい。聞こえる言葉を全てメモに取り、理解できるまで質問したい。そんな作業の一つ一つが私の気持ちに折り合いをつけるためにはどうしても必要なことだと感じ、意地でも欠席したくなかった。

松永弁護士は手続終了毎に裁判所の一階にある相談室に移動し、今後の流れと見通しを説明してくれた。私のどんな質問にも、法の説明や判例と共に、理解できるほどにかみ砕いて答えてくれた。

裁判所から家に戻ると、手続でとったメモを見返した。直近で手元に届いた書面を見ながらパソコンに向かう。教育委員会とのやり取りを時系列にまとめ、今までに録音していた教育委員会との電話のやりとりや事実確認などを文字に起こして、録音データと一緒に法律事務所に提出した。今、できることは全部やろう。「あの時こうしておけば」という後悔だけは絶対にしたくなかった。

訴状提出から10か月ほど経ったある日、被告らの第3準備書面が手元に届いた。

本件は原告と訴外Aとの間の個人的な付き合いであり、「職場」における11条2項指針が適用されないこと

原告が期間満了により退職しており、原告の退職後に被告らは原告が「労働者」であることを前提とする義務を負わないこと

仮に、被告ら(事業者ないし使用者)が雇用機会均等法ないし11条2項指針に定める義務に違反したとしても、これらの義務は公法上の義務であって、民法・国家賠償法に基づく司法上の請求権を直接に構成するものではなく、原告の主張は失当(不十分)である。

11条2項指針は「職場」における性的言動に適用されるものであって、本件は原告と訴外A間の私的な付き合いであり、

本件は原告と訴外A間の個人的な付き合いであり、日曜日という非勤務日であって、被告らが雇用上の権限を行使できない曜日に、訴外Aと二人きりで他の被告ら職員が参加していない状況で、飲食店という勤務先学校とは無関係な場所に行くことを了承した上、実際に同日午後6時頃から原告と訴外Aの2人のみで飲食店にて2時間程度飲酒をして交流をした上、同店にて(実際は店を出た後)訴外Aが「うちで飲まないか」と訴外Aの自宅という私的領域に行くことを明示して誘ったところ、原告が了承した上で、訴外A宅に行く途中で原告及び訴外Aが酒を買い足した上で、原告が訴外Aの自宅に立ち入りしており、これらの経緯は訴外Aと原告の私的ないし個人的な交流であることが明らかであって、原告と職場の関連性は皆無である。

本件が訴外Aの自宅という閉ざされた空間における行為であって他に聴き取りすべき第三者の目撃証言がないことが判明した。のみならず、本件当時、原告も飲酒していた上、被害の報告の時期が被害の発生から1年以上経過した後の平成29年3月21日であって原告の記憶が減退ないし変容している可能性も考慮せざるを得ないこと等からすれば、被告らには原告が主張する訴外Aから受けた強制わいせつ行為(セクシュアルハラスメントが生じた事実)が確認できなかった。

11条第二項指針を精査しても、原告主張の各措置(今後の手続きの説明等)を義務付ける規定は皆無であるから、被告らは、原告主張の各措置を行う義務を負わない。

セクシュアルハラスメントを行った証拠がないにも関わらず、行為者とされるものを疑い続けることになるのであって、行為者と疑われた者の名誉ないし雇用上の利益を害し、公平に反する事態となる。

原告によれば、一致していると主張する「大体」の範囲は不明瞭であって、否認ないし不知である。

原告によれば、「本件前からあった訴外Aの性的問題行動について原告以外にも被害を受けていた他の職員から聴き取りをする等しなかったのか(警察はこの女性教諭から聴き取りをしている)。」と主張する。しかし、他の女性教諭らがかかる本件を目撃して体験した事実はなく、全く関連性がないのであるから、他の女性教諭に聴き取りをする必要性はない。

特に本件では、原告から校長に対する本件の報告は、本件発生から1年以上も経過した後であり、それまで原告から何ら相談等はなく、かつ、原告による報告以外に本件発生を認知し、又は推測しうるような事実(原告が休みがちであった、原告の勤務態度に顕著な不自然さがあった、原告以外の職員等による告発があった等)もなかったことから、被告らは在職期間中における本件発生について認識できなかった。また、校長に初めて本件を報告した平成29年3月21日から雇用期間満了日までの間において、原告が勤務すべき予定日はそもそもなく、その間において原告が第一小学校に来たのは、平成29年3月30日の離任式(勤務扱いではなく任意出席扱い)のみである。したがって、被告らには原告に対する環境調整義務は、そもそも認められず、その違反もない。

原告によれば、訴外Aの言い分等を原告に開示し、又は説明しないことと、原告が精神的痛手を被ることの間に、因果関係がある旨を主張する。しかし、かかる原告が主張する因果関係は不明である。こうあるべきだという原告独自の思い込みに拠る主観的な関係を主張するに過ぎず、法的な相当因果関係ではない。

懲戒処分等は被害者の権利を保護することを目的とするものではない。また、処分(措置)は、被害者にその事実認定や処分(措置)理由を明らかにすることで妥当なバランスを図るなど外部作用を持ち込む性質のものではない。

原告は、県教委が訴外Aに対し、懲戒処分をせず、市教委が文書訓告の措置を行った理由について被告らに説明する義務があることを前提として縷々主張している。しかし、本件では、セクシュアルハラスメントが生じた事実が確認できなかったことからすれば、11条第二項指針に定めがない原告主張の各措置(措置の理由の説明等)を、行うべき法的義務を、被告らが負わない(P.40)ことについては本書面の第1の1の(3)のウで述べた通りである。また、そもそも処分等の理由については、被処分者以外の第三者に伝えるものではなく、その説明義務は認められない。被告らに原告との間で何を根拠に説明義務があると主張するのか不明である。原告に対して信義則上、処分の説明義務があるとの原告の主張は原告の希望や主観によるものである。

甲第12号証の意見書の作成者は「内科」の医師であって、精神科目を専門とする医師ではない。しかも、初診日は平成29年9月30日であって、原告が問題とするところの平成29年3月から同年6月までの間の被告らによる原告への対応がなされたとする期間について、診察した事実は全くない。したがって、同医師の意見書の信用性は、慎重に判断されなければならない。

原告によれば、原告が「被告市は小学校を設置・監督する立場にある」と主張していることから、被告延岡市は「小学校」を「監督」する立場でないと否認しているにすぎず、「小学校」を「監督」する立場ではなく、「教職員」の服務を「監督」する立場である。

また、市教委はこの聴き取り時に初めて、原告が契約更新しなかったのは訴外Aによる平成28年3月13日の事案が原因であることを知った。もっとも、これは原告が契約更新の打診を断り、平成29年度の非常勤講師に係る契約を更新しないことが決まった後のことであるゆえ、市教委は、原告への聴き取り時も含め、今なお原告から訴外Aがいなければ非常勤講師として働きたい旨の希望を聞いたことはない。

「概ね一致=意に反してセクハラ行為をした」ということに齟齬はないとする原告の認識ないし主張は、原告の一方的で飛躍した独自の見解である。

常識云々の話は、否認ないし争う。原告は、被告らの職員が名札を下げていたにも関わらず、被告らの自己紹介がなかった点をもって、常識に反すると主張するが、原告が被告ら職員3人の名前を確認したいのであれば、その時に確認することが容易にできたはずである。

仮に原告が、被告らに今後の手続き等の説明を求めていれば、被告らは可能な範囲で答えていたはずである。原告は、被告らが原告に対して説明しなかった状況に関して、今現在の訴訟において後知恵で思いついて、被告らを論難しているのであって、原告の主張は原告の過去の自己責任を現在の被告らに押し付けるものであり、著しく不合理な主張である。

そもそも開示決定後に審査請求ができたはずであり、さらに、真に原告が市教委に対する御通知書で「黒塗り部分の開示」を求めていたのであれば、平成29年7月に御通知書に対する市教委の回答が届いた時点で、原告は市教委に対し、「黒塗り部分の開示」についての回答がない旨の指摘も一切受けておらず、訴訟になって初めてこのような主張をするのは極めて不自然である。原告は、過去に原告が要求していなかった事項について、今現在思いついて後知恵で被告らに対して縷々主張しているにすぎない。

原告が、自身の在職期間において、被告らにおける労働環境配慮義務等の履行を期待し、その上で再更新を希望していたとするならば、原告は、本件発生からどんなに遅くとも、元校長による再更新の打診時までにおいて、本件を報告した上で「訴外Aがいないのならば再更新したい」旨の意思表示を明確に行うべきであった。にもかかわらず、原告自らこの機会を逸し、又は放棄したといえるから、原告の退職は、被告らの義務違反又は不履行によって余儀なくされたものとはいえない。

さらに、原告が教材を持ち込んだことは、訴外Aとの私的な食事での話題作りを動機とする原告個人の判断に過ぎず、教材を飲食店に持ち込むことについて訴外Aと事前に協議していたものではない。これらの点からすると、本件は、職務上の教材研究と認めることはできない。

原告が必要であったと主張する各措置は、指針などの法令上の根拠をもつものではなく、原告の主観ないし後知恵によるものである。

また、原告が主張するように原告の「真意」としては勤務を継続したい旨の希望があったとしても、原告は復帰を希望する意思を示していない。したがって、原告の真意を被告らが斟酌探求することが本件で義務付けられて、地方自治体に損害賠償責任が発生するようなこととなれば、宮崎県下のみならず、日本全体における期限付き公務員任用の実務に大混乱を来すことは明らかであって、原告の主張は当然に排斥されなければならない。

被告らが労働環境調整義務を負うことがありうるのは②平成29年3月21日以降であるが、同年3月21日には、既にその時点で原告は契約更新を断っているのである。(契約満了日は平成29年3月30日)

訴外Aによる行為そのものが原告のPTSDの根幹原因であることが明記されており、本件と原告のPTSD発症との間に因果関係があることを示している。


「本件は職場ではなくA教頭との私的で個人的な交流で起こったこと。A教頭の自宅という私的領域に行くことを明示して誘い、原告が了承したから」「当時、原告も飲酒していた上、被害報告が被害発生から1年以上経過した後なので原告の記憶が減退ないし変容している可能性がある」「被害を申告した後は、教育委員会に属さず自分たちは関係がない」「原告の主張は勝手な思い込み」「学校で働き続けたかったのならそう言えばよかった。辞めると決めたのは原告」「すべてを教育委員会のせいにして原告の希望や主観を押し付けているだけ」など73ページにも渡る教育委員会の主張を読んだ後、嘗てないほどに打ちのめされた。

被害に遭ったことも、教育委員会の判断やその後の対応も、繰り返し私のせいだと非難される。裁判は決して生ぬるいものではないと頭では分かっても、何度も心が踏みにじられた。

裁判が終わるまでずっとこれが続いていくのか。抜け出すことのできないどん底に迷い込んだように、途方に暮れた。

2020年9月24日
8回目の手続が終了した。いつものように松永弁護士と相談室に入り、向かい合って座る。

彼女は私をじっと見据え「相手の代理人が主張の中で突いてくることは、あなたをとても傷つけているかもしれないし、それはあなた自身がずっと責め続けていることかもしれません。ですが、私は絶対に、あなたに悪いところがあったと思ったことは一度もありません。」と言ってくれた。

被害を告白してから、私の周りの人は「私は悪くない」と言ってくれたが、誰よりも私が一番自分を責め続けていた。「私は悪くなかった」と何度自分に言い聞かせても、深い心の奥底にはそう思えない自分がいた。

「あの時、私さえ…。」という、悔やんでも、悔やんでも、悔やみきれない思いが私の中に刻み込まれていた。

松永弁護士の言葉に涙が溢れ「ありがとうございます。頑張ります。」と答えた。法律の専門家である彼女の言葉は何よりも心強かった。

裁判が始まってからの2年間は、教育委員会の代理人弁護士から主張が提出される度、どんなに心の準備をしていても傷をえぐられることの連続だった。

これ以上続けても、教育委員会には理解してもらえないかもしれない。今まで私のしてきたこと全部、意味がなくなるのかな。

…でも、裁判は絶対に止めない。

裁判を起こすと腹をくくった時の自分に戻り、絶対にあきらめるもんかという意地だけが私のすべてになっていた。

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