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淀みに浮かぶ小さな愛は、


僕は君たちに、適切な愛を提供できない


学校の先生が、感情を込めすぎたプリントを作った結果、みんなの成績が悪かった時に、懺悔しながら口にしていた。
あまりにも好きすぎて、その場で写真を撮った。


愛には適切な量、適切さってものがあってさ、それより豊かな愛も、それより乏しい愛も、私達をずっと苦しめてるんだろうな。
そうなった瞬間にきっと、愛は愛じゃなくなるんだろうなって。       


弟が、学校に行かない。
母がそのことで悩んでいることを知っている。その為に色々な努力をしていることも。
ただそれは、適切な愛ではないのかもしれない。もうその愛は、愛ではなくなっているのかもしれない。

ずっと家で布団に包まり、YouTubeを眺める弟に、あまりにも母が不憫に思えてきて、
「学校に行こうよ、ママが悲しむから、お願い、学校に行って。」と言ってしまった。その時、母と電話が繋がっていたらしく、母に、「大丈夫だよ、あなたはあなたの人生を全うしなさい。彼には彼の人生がある、学校に行くことだけが全てじゃない。」と言われてしまった。泣いてしまった。私の言葉で母はまた私にまで気を遣わないといけなくなった。


私も、また適切な愛を提供できない。  

悔しい。乏しい愛はまだしも、溢れすぎてる愛に、お互いが苦しむ状況は、正直かなりしんどい。
悔しいけれど、でも、弟が学校に行かないのも、今まで私たち家族が弟に構わず放ったらかしにしてきた結果なのかなとも思う。勿論弟の先天的な理由もあるんだろうけれど。      


母とか家族のことを大人に相談すると、決まって皆母を批判する。私は母のことが大好きだから、批判なんてされたくない、求めてない。
もっとちゃんと批評してほしい。大人はいつも自分の事ばかり。
それで満足すると思うなよ、子供舐めてんじゃねーよ。      


弟には学校に行ってほしい。弟のためではなく、母のために、そして私のために。
めちゃくちゃ自分勝手だなぁ、こう書いてみれば。こうやって、また溢れすぎた愛が、一人を苦しめているんだろうな。 


でも弟へ。溢れすぎた愛でも、愛は愛なんだよ

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