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世にも奇妙な塾に通っていた話

世にも奇妙な塾に通っていた。その塾に2年間通っていた。3/17。その塾を出たとき、たくさんの思い出、ではなく、本当にわからない感情に支配されて、涙を堪えるのに必死だった。2年間、私の心の半分は、その塾にあったんだと思うから。

その塾は、快速の止まらない小さな駅の、小さな雑居ビルの3階にあった。たったの一部屋に、小学一年生から大人までが、勉強をするという共通の目的のために集う。先生はたった1人。施錠も殆ど生徒が行い、いつ来てもいつ帰っても良い、本当に変な塾だった。レベルも、地元の高校を目指す中学生から、旧帝医学部や東大を目指す浪人生、再受験生等多種多様だった。学校大好きな人もいれば学校を辞めたり大学に通いながらだったり、何でもありの塾だった。朝から晩まで10時間以上勉強する人から先生と話すだけで帰る人など、いろんな人がいろんな時間にいろんな意味で通っていたその塾が、私はすごくすごくすきだった。

この塾の扉を叩いたのは、姉がそこで勉強し、医学部に進学したからであった。当初から勉強のやる気が 溢れていた私は、体験の日から6時間以上勉強していた。勉強と委員会の両立で母や姉から圧をかけられ、本当にストレスがかかっていた時に先生に相談したことを覚えている。
高3になってからは毎日のように話し合い、相談した。12時間以上勉強しても毎日不安で不安で堪らず、本当に辛かった。友達に100件以上のラインを大量送信したり、自傷行為をするときもあった。9月に入ってからが1番しんどかった。毎日涙を流しながら机と向き合い、1人になると涙が止まらなかった。行き帰りの電車で涙を垂れ流し、ホームで知らない人に心配されたりしていた。こんなに辛い思いをしてまで得られるものは何なのかと、問い続ける日々だった。

東京が大好きな私にとっては、毎夜帰りの電車で見える、新宿のネオンが救いだった。涙でぼやけていたけれど、あのキラキラはいつまでも忘れられないんだろうな。夜景を見る度に、今でもあの時期を思い出す。きっとこれからも。頑張っていたことは確かだったと、そう信じたい。

受験シーズンも変わらずストレス三昧だった。共通テストは1日目も2日目も、緊張で一睡もできず二徹で臨んだ。先生には大健闘だよと言われたが、国立医学部を目指すには全く勝負にならない結果だった。悔しかった。頑張って頑張って、だからこそ緊張して、結果が出せなかった。悔しかった。
私立は、ダサすぎることを言わせていただけば、先生が言うには結構ギリギリで一次落ちだったらしい。でもギリギリで一次通っても2次で落とされるから関係ないけど。重なり続ける不合格に絶望せずにはいられなかった。ストレスで蕁麻疹が止まらず、涙も止まらなかった。今まで頑張り続けたのは何だったのかと思うとしんどくて仕方なかった。

このとき、先生が私に言ってくださった一言を鮮明に覚えている。『サンクコスト(既にかけた時間や労力)を惜しんでしまって、ここからまだある時間を有効に使えない方がもったいない』私はこれまでの人生で、サンクコストをずっと気にしてきて、努力と頑張りは必ず結ばれるものだと思ってきた。効率と時間の掛け算が結果そのものに繋がると思ってきた。そんなことはなかった。そんなにうまくいくものではなかった。人生は。報われない努力は確かにある。報われた人ばかりが、報われない努力について語っているが、あまりにも残酷に、その周りには本当の報われない努力等が蠢いているのだ。

ここまで報われない努力という言葉を使うと、負け惜しみのようでかなりダサい。まるで私は運で落ちたんだ!と言っているようだ。受験が終了してしばらくたってから思うことは、報われない努力は努力ではないと言う言葉も、また事実であることだ。受かりそうでしっかり受かる人。それはやはり、本当に着実に、しっかりと積み上げてきた人だ。振り返れば本当に穴がないほど努力をしたかと言われれば、頷ける自信は無い程度なのである。妥協もたくさんしたからだ。妥協をしても受かる人はそれなりにいるけど、確実に受かる人はそこの妥協がない。妥協をした時点で、神に頼む程度の努力に過ぎなかった。

あとは、自分で考えると言う時間が少なかった。先生に頼ってばかりで、甘えてしまっていた。本当に今の勉強は正しいのか。自分のことは自分しかわからないはずなのに、向き合うことから逃げていた。先生に聞けばいっかと思っていた。嫌なことがあっても、先生に吐き出せばいっかと思っていた。

受験で得たものと失ったものは本当に底知れない。どれほどのマイナスの感情を使い尽くしたか計り知れない。結果も思うように出なかった。自分勝手なことに報われないじゃんと色んな人に怒りを覚えることすらあった。ただまずは、ここまできた自分を誉めなければならない。

また先生の話になってしまうが、受験に落ちた時に、まずはここまでの努力を自分が認めることだよと言われた。頑張ったじゃん!と言っているようで、私はあまり自分の頑張りを認めることができていなかった。最後まで。

改善することは沢山あるけれど、ここまで生きて来れたこと、頑張って来れたこと、試験に向き合ったこと。人生に無駄になったはずはない。よく頑張ったよ。私。お疲れ様。


来年は、強くなる。弱かった。自分に向き合うことから逃げていた。向き合う。もっと辛くなっても、結果を手にしてさらに向こうの喜びを得るには、向き合わなければならないと思うから。誰に甘えるでもなく、自分に厳しく生きようと思う。

両親、先生、友達には本当に感謝しても仕切れない一年だった。みんな本当にありがとう


3.17
塾に別れを告げた。先生も気まずそうでそれでいてすごく感慨深かった。また来るかもしれませんと言った時の、まずは自分でやってみなさいという言葉が先生らしくなくて、寂しくてたまらなかった。塾から出て、もうここを通らないのかと思うと、嫌だった。確かにそこには、愛すべき場所があった。


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