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20人のオバチャンと私の人生観【躁鬱日記】

2年弱続いたフリーター生活も終わり、3月から正社員雇用で働けることになった。
12月いっぱいで、2つ掛け持ちしていた内の1つである児童福祉のバイトをやめた。元々はそこの社員登用制度に期待をしていたが、毎回毎回怒られ続けた挙句に人格否定も始まってきたので辞めた。そこを辞める時に、福祉はもうやめよう!と思い、福祉以外の全てを視野に入れて年明けハローワークに飛び込んだ。私は元不登校で、福祉にとてもお世話になってきた身で、新卒からずっと福祉の仕事を続けていたが多分普通に向いていなかった。ハローワークでは、絶対元ヤンですよね?って雰囲気のオバチャンが2時間くらいずっと対応してくれて、その日のうちに、企業での面接日が決まった。話が早すぎる。
後日、履歴書と職業経歴書の添削もしてもらって、2月に内定をもらった。採用が決まったあとも、契約書や業務内容で困ることがあれば連絡してねと電話で言ってくれた。手厚いし優しい。

お世話になった掛け持ちのもう1つの飲食店には、突然辞めることになって迷惑をかけてしまった。申し訳ないと思っていたが、主にオバチャンばっかりの職場だったので「若いうちに社員なっといた方がいいよー」「こういうのはオバチャンの仕事やから」「自分のことを第一に考えんとなー」「新しいとこ楽しみやなー」等、色んな人から暖かい言葉を貰った。毎回のように私に食の差し入れをくれていたオバチャン(おばあちゃん)は、残念がりながらモスバーガーのセットを買ってきてくれた。おばあちゃんってモスバーガーでセットのシェイク変更メニューを注文できるんだなあと感心した。業務中にお客さんから隠れてセットを完食した。嬉しかった。4店舗くらい回って働く中で、一緒になるのはほぼ全員オバチャンだったので、私は20人くらいのオバチャンと関わったことになる。みんなそれぞれ個性のある良い人だった。しかも、その店で20年以上も働いている猛者たちばかり。年下扱いぽいオバチャンも、10年くらいを普通に勤めている。働き始めた頃、私は前職を辞めて躁(混合)状態真っ盛りで、東京に住みたがっていたり、YouTuberになりたがっていた。焦燥に苦しみながらも、むしろ、その向上心(子ども心?)を失ってはいけないと思っていた。なので、歯医者の評判とかを話題にしているオバチャンを尊敬出来ていなかった。しかし働いていく中で、近所のバイト先に自転車ですっぴん通勤し、電車に乗らなくなった。都会の景色を観ることも基本なくなった。バイト先でオバチャンに皮膚科の評判を聞いたり銭湯の評判を聞いたり、地域の祭りやら神社のことやら、どこのスーパーは何が安いやら、自炊のレシピについてやら、近くの駅にコメダ珈琲が新しくできることやら、新しく出来たハンバーガー屋が美味しかったかどうか語り合ったり、税金とか保険料の支払いについて聞きまくったり、あ、2月は区役所に税務署の人が出張で来てくれてるんですね、とか、3人目のお孫さん生まれるから上の2人見てあげてるんですね、とか。色々と話して、地に足の着いた人生ってすごいなと思い始めたのである。地域に根付いた店で数十年勤めて、地域の娯楽で癒されて、それって凄いことなんじゃないか。
私は企業の面接で、正直にこの気持ちを伝えて、地域に根ざした仕事を長く勤めたいですとかなんとか言った。本当はハローワークで、「地域に根ざす仕事」という言い回しがハッキリしていないとか、御社に本当にそぐうのか、わかりやすく文章を変えた方が良い、と添削してもらったが無視した。(無視するな)
だって私は正社員になってあのオバチャンたちのようになりたいと思っていて、その気持ちを面接で言いたかったからだ。

オバチャンたちに囲まれて、都会のぴちぴちOLに囲まれず、ルッキズムにも以前ほど振り回されなくなった。彼氏と銭湯に行ったり鍋をしたりして、たまに映画とか寿司に行ったりして、本当に今、これ以上もうないと思っている。私は今まで、『ジェットコースターのように波のある人生がいい!例えそれで死んでも本望や!』というえげつない快楽主義の人間だったのが、落ち着いたオバチャン型人間に進化した。

正社員になったのは、彼氏と結婚したいからである。貯金を増やして、安定した生活を送りたい。長く生きると、街も変わっていくと思うが、あのおばあちゃんは、近所の珈琲館が潰れたのにも関わらずモスバーガーでシェイクを頼んでいる。おそらく私も大丈夫。

おわり


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