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創作する日常。

「創作」って言うと、ものすごく難しい大層なことをやっている感じがする。

「精進している」って言うと、努力を重ねている印象が強くなる。

創作と精進の間にある状態、つまり日々こなさなければならないことについては、どう言うのがしっくりくるんだろう。

「習慣」「義務」そんなもの?

例えば今日のご飯を何にするか考えるとき。
今日は冷蔵庫にあるもので何か作ろうと考える。

卵の賞味期限が近い。ゆで卵を作ろう。

ゆで卵の白と黄色に添える野菜は緑の千切りキャベツと赤のプチトマトにしよう。

常備菜の千切りの炊いたんを副菜に。

野菜室を開けると。
人参と玉ねぎがあった。
たしか薄揚げもあったはず。
これでいりこのお味噌汁を作ろう。

メインは。
そうだ、冷凍庫にコロッケがあった。あれを揚げて熱々を頬張ろう。

ご飯は18時に炊けるようセットしておこう。早よ早よ!ってちゃっかりに急かされるとやっかいだ。

習慣とは恐ろしい。

どんなに夢中に作品を書いていても、試験の課題稽古をしていたとしても、この「やらなきゃいけないこと」が頭の片隅にある。

このバランスの中で日々を過ごしていると、たまに猛烈に疲れを感じることもある。

食事を作る、洗濯をする、掃除をする、買い物に行く、銀行に行く。

人にそれらを頼めば、全ての時間を自分の時間にすることが出来るのかもしれない。

しかし、これらのことを手放して得る時間で果たして良い作品が出来るのか?と考えた時、人それぞれだろうが、私自身の場合は、多分あまり効果は上がらないだろうと感じている。

一日は24時間。
時間は有限であるから、その限られた時間の中で捻出する時間が、私には尚更貴重なものに思えるからである。

以前長らく勤務していた仕事を退職した時、始めの3カ月くらいは幸せいっぱいだった。

朝の通勤ラッシュですし詰め状態の電車に乗らなくてよい、ゆっくりコーヒーを飲んで新聞を読みながらワイドショーなんかみたり。

丁寧な暮らしが出来ると部屋をやたら模様替えし、サロンのごとく飾り立て、友人を呼んではランチを作ってもてなす。

そんな暮らしに満足しているはずが、やっぱり飽き性な私。

素敵なお家ね、素敵な暮らしねって言われても嬉しいどころか辛くなってきた。

やっぱりこんなん私ちゃうな。

やはり、やる事をやって得る時間と、自由に使い放題な時間の中で自己満足的な『丁寧な暮らしごっこ』を過ごすことは根本的に違うことに気がついたのだった。

その時感じた虚しさや寂しさを思えば、鍋ふって料理しつつ、依頼された作品の構想を頭の中でイメージすることも何のそのと考えられるようになってきた。

無理しすぎず、怠けすぎず。

自分を律しながら、これからも喜んでいただける、期待に応えられる作品を創っていきたい。

#仕事 #エッセイ #書道 #雲泉堂


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