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信じる。

毎日生きていると様々なことが起こる。

JKドカ弁がやらかすこと、JSちゃっかりがやらかすこと、色々あるがすべては娘たちの人生の一部である。

それがどう見てもあかん感じの時、軌道修正させることは親の裁量である程度可能かもしれないが、子どもは一人の人格を持った個人でもある。

多様性は大切だと最近よく耳にするが、自分を大切にし、なおかつ人を傷つけない上でのそれを大事にしてもらいたいと娘たちには望む。

例えばであるが、私は『一心』という言葉が好きだ。

『一心に書道に精進すること』は私の目指す理想の姿である。

それはたんに『私が好きな言葉』ということだけである。

だからそのことについて『一心に頑張るってどういう意味?』と聞かれても困る。

それ以上でも以下でもなく、ただ私の好きな言葉だとしか答えられない。

これを『なぜ、どうして』と問いただされるのを私は好まないし、『その言葉の本来の意味は』と持論を展開されたとしても私には答える言葉が見つからない。

娘たちが小さな頃は矢継ぎ早に質問される小さな疑問『なぜ?どうして?』になるべくきちんと答えて育ててきた。

しかし最近は彼女たちには自分でどうすべきか、何をするのが一番良いのか、逆に何をしてはいけないのかについては自分自身で考えていってもらいたいと思っている。

ドカ弁やちゃっかりが自分で考えた結果
『こうしたらいいと思うんやけど、これでいいと思う?』という相談があった時に一緒に考えていこうという形を取るようになってきた。

彼女たちもいつかは大人になる。

守ってもらう子どもから誰かを守っていく大人になる時がやって来る。

『そろそろ本格的に子離れの準備をしていかないと』などと思っている今日この頃ではあるが。

『スナフキン、そろそろ2人で旅行したいなぁ!もう姉妹2人で留守番できるよね!』

夕飯のお好み焼きを食べながらそんなことを話していると。

『いってらっしゃい!は言えない‼︎ちゃっかりも一緒に行きたい‼︎』

JSちゃっかりからなんとも面白い何が何やら発言が出た。

ちゃっかりにはもう少し『なぜ?どうして?』に付き合う必要があるかなと感じた土曜日の夕飯どき。

『ママ、パパ!』と親の後を追うのはあと少しなのだろう。

寂しい気もするが、それが自然だし、親として子に望むことである。

親離れ、子離れ。

手は離れても心はしっかりと繋がっている。

そんなふうになっていければいいなと思っている。

娘たちの幸せを今日も願う。
そして彼女たちのこれからを信じる。

#エッセイ #子育て


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