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マンションサク。

子どもの頃アパート暮らしをしていた時期がある。その名は『マンション サク』。木造二階建ての不思議なアパートだった。

新築のピカピカの建物だったからマンションと言ってしまったのか、たんに家主の趣味だったのかは定かではないが住人は皆『サクマンション』と呼んでいた。

『マンション サク』には、若い新婚夫婦、韓国人の大家族、トレーラーの運ちゃんファミリー、左官さんと料理好きな奥さん夫婦、公務員一家などかなり個性の強い顔ぶれの方々が住んでいた。

何故そんなアパートに住むことになったのか?

私が3歳の頃、我が家にもう1人赤ちゃんが産まれるということになり、両親が新婚生活をしていたマンションが手狭になるということで、もう少し広い部屋を探すことにしたらしい。

しかし今の時代と違い、昔の賃貸マンションのオーナーはペットや子ども連れには家を貸したがらないことが多かったらしい。ペットや子どもが住むと家が傷むからという理由で嫌がられていたそうだ。

貸主が強い時代だったのだ。

当時両親と私は神戸に住んでいたが、神戸ではなかなか思う物件がなく、仕方なく慣れ親しんだ街を離れ、明石に引っ越すことになったそうだ。私が4歳、妹が生後6ヶ月の頃である。

新築マンションで、2LDK、日当たり良好、お風呂あり、水洗トイレ、駐車場完備、駅から徒歩5分。お子様連れのご家族も入居可能。

これこそ求めていた物件‼︎
両親は小躍りして喜んだという。

いざ見学に来てみると『ピカピカだがマンションではないな』と一目でわかる真っ白なアパートの前面の壁にデカデカと書かれた『マンション サク』の文字。

詐欺だと思ったが、まだ誰も入居したことがない新しい部屋を見て一目で気に入った両親は即決で入居を決めたという。

しかし住み慣れた神戸の街とは違い、夜は真っ暗闇で、ゲコゲコ鳴く蛙の鳴き声しか聞こえない田舎町は、戸惑いの連続だったそうである。

それは私にしても同じで、神戸にいた頃と同じようにご近所の大人にむかって『おはようございます!』とご挨拶しても誰も返事を返してくれなかった。

綺麗なワンピースを着てエナメルの靴を履いた私を異人を見るような目で見る近所の子どもたちは、遊び仲間にはなかなか入れてくれなかったし、たまに入れてくれても泥水をワンピースにかけられたり、袋入りのスナック菓子を私にだけわけてくれなかったり。

泣いて家に帰る毎日だったことを覚えている。

両親は心を痛め、こんな町に引っ越してこなければよかったと後悔したそうであるが、幼いながらも負けず嫌いだった私は、母に皆が着ているようなゴムのウエストのスカートやキャンディキャンディの運動靴やサンダルを買ってくれとせがみ、お気に入りのワンピースやヒラヒラしたレースのブラウスに別れを告げた。

郷に入れば剛に従え、である。

汚れても平気なカジュアルな服や靴を身につけ、スナック菓子を袋から食べることも見よう見まねで実践し、汚くて触りたくなかった泥水にも手をつっこみ砂場で泥だんごを作るスキルも身につけた。

あれよあれよという間に野生児に変身していく私を見て両親はショックを受けたそうであるが、そんな大人の嘆きをよそに、子どもの私は非常に生きやすくなり、とりあえずは自分の居場所を確保することに成功したのだから結果オーライである。

そんなある日、私の誕生日会に参加したいといじめっ子だった近所の悪ガキどもが言い出した。

母は嫌そうにしていたが、私は自分のテリトリーに招き入れ、散々自分に恥をかかせた子たちに密かに復讐してやろうと思っていた。

正確に言えば、当時まだ5歳になるかならないかくらいだったから復讐などという言葉も知らなかっただろうに『いつか絶対仕返ししてやるからね‼︎』などと思っていたというわけである。

当時の母はまだ若くて美しく、部屋はいつも綺麗に片付けられていて、スピーカー付きのステレオなんかも置いてあり、アパート暮らしの中でもわりとおしゃれな部屋作りを目指していたのだと思う。

部屋には、黒と金の美しい額に額装された難しい墨字の言葉が書かれた書が飾られていて、意味は解らぬまま平仮名の部分だけをこっそり読み上げては、ちょっと大人の気分を味わっていたのだった。

『あの子たちが知らないことを私は知っている。聞いたことがない音楽も知っているんだからね‼︎』

誕生日会にご馳走とケーキ目当てにやってくるあのいじめっ子たちをギャフンと言わせてやるのだ。

そんな仕返しを企んでいたのだから、相当ませた嫌な子どもだったのだと今ならわかる。

誕生日会が近づいたある日、あの書の意味を母にしっかり教えてもらおうと額に飾られた言葉について読み方を訊ねてみた。

『これはね、武者小路実篤って人が作った言葉なんよ。』

母は言った。

『読み方がわからへんねん。教えて!』

『愛しあい、尊敬しあい、力をあわせる。それは実に素晴しい事だ。って書いているの。』

なんと!よく解らぬが、とんでもなくいいことが書かれているということだけは理解できた。

これを『あいしあい、しあい、かをあわせる、それはにしいだ。』などと、読めぬ漢字やカタカナをぶっ飛ばして心の中で読んでいたことは黙っていることにしよう。

そしていつも母がかけていたレコードを指差して聞いた。

『これは誰のなんて曲なの?』

『これはね、古賀政男さんって作曲家が作った曲で、古賀メロディーって呼ばれているの。』

チャンチャンチャー♪と哀しげなメロディーがなんとも言えないムードを醸し出す大人の聞く曲の名は古賀メロディーというのか。

誕生日当日、安物の駄菓子やスナック菓子を、家でとっておいたと思われるよそいきのお菓子の包装紙にラッピングし、ヨレヨレのリボンをくっつけたプレゼントを手渡され、いじめっ子たちは母が作ったサンドイッチやちらし寿司、手羽先の唐揚げなんかをムシャムシャ食べ、当時一等美味しいと言われていた、リリハのチョコレートケーキを旨そうに食べていた。

『uniちゃんの家おしゃれやね‼︎』
などと言うので、あたりきよ‼︎と心の中で舌を出しながらも冷静な顔を装い
『そんなことないよ、普通よ。』
と返事をし、ステレオに用意していた古賀メロディーをかけた。

『なにー?この曲‼︎キャンディキャンディとかないん?』

ボスキャラだったいじめっ子が茶化すように言ったが、視線は明らかにキョロキョロしていて、落ち着かない様子なのがバレバレである。

『これはね、古賀政男って作曲家が作った曲で古賀メロディーっていうの。知らなかった⁉︎有名な作曲家なんよ‼︎』

母の受け売りそのままに余裕を漂わせながら言ってみると。

ボス以外の中ボス、子分たちが感心したように言ったのだ。

『へぇ‼︎すごい‼︎有名な曲なんやね‼︎』

ボスは黙った。

そして武者小路実篤の書が書かれた額を指差して言ったのだ。

『これはね、武者小路実篤って人が書いた有名なことば。愛しあい、尊敬しあい、力を合わせる。それは実に素晴しい事だ。って書いているの。』

これも予習しておいた受け売りそのままに説明してみた。

『へぇ‼︎uniちゃんよく知ってるなぁ!すごい‼︎』
ボス以外の子どもたちは興味津々といった様子でそう言ってくれたが、ボスはブスっと黙ったまま、オレンジジュースが入ったグラスに刺されたストローをガシガシ歯で噛んでいた。

翌日からは皆が私をいじめなくなった。ボスが私を苛めようとすると、中ボスとその子分たちが庇ってくれるようになったので、しだいにボスも私に嫌がらせをするのをやめてくれた。

いじめっ子たちに私は勝った。

自分で自分を守ることに成功したのはわずか5歳だった私である。

しかし、武者小路実篤が残したあの言葉はまるで違うことを教えようとしているものだったと気がついたのは、それから後、随分経ってからであった。

恥ずべきことを自分もしていたと気がついたとき、武者小路実篤は私にとって特別な存在になった。

『マンションサク』で暮らした数年間は今も忘れられない。

#エッセイ
#cakesコンテスト





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