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バルナックライカの真贋判定

皆さまこんにちは。うにょーん(@giondoll)です。さて今回はタイトルの通りバルナックライカの真贋判定についてお話していこうと思います。早速本題に参りましょう。

前半「ライカの偽物とは?」ではなぜバルナックライカに偽物があるかの説明、後半「ライカの真贋判定」では実践的な真贋の判定方法について記述します。
歴史なんて興味ねぇぜ!って方は後半からご覧ください。


ライカの偽物とは?

「軍用」に便利なカメラ

E.Letiz社が送り出した135フィルムを使用する小型システムカメラ。これがLeicaです。なぜここで定義を再確認するのかと言うと、この「小型システムカメラ」である点が重要であったからです。
今までの4×5inchフィルムを一枚ずつ交換しながら使う大型カメラと異なり小型で、120フィルムを用いるボックスカメラと異なり接写から望遠までをこなすことが出来るシステム性を持つLeicaは、長い小銃を携えながらでも容易に携行出来、狭い戦艦の中でも取り回しに困らず、望遠レンズを用いて敵の装備を明確に記録できます。ついでに言うと、同じようなコンセプトを持つZeiss社のContaxより安価でした。
つまり「軍用カメラ」として最適だったのです。

ドイツ空軍で使用されていたLeica iiic "Luftwaffen-Eigentum"
41st Leitz Photographica Auction出品

そしてさらに重要な事実として、当時はLeicaという存在は唯一無二でした。全世界の軍事組織が欲しがる画期的な小型カメラを生産出来るのは当時の大ドイツ国ただ一国以外に存在しませんでした。そしてそのことを当時アドル・フヒトラーが率いた政党であるNSDAPは見逃すことは無く、当時の仮想敵国を中心に徹底した輸出管理が行われるようになりました。
この為に後に連合国と称される各国では軍用カメラが不足する様になります。この時期の有名な珍品Leicaとして「英国の」軍用Leicaがあります。Leicaの対英輸出が止まって以来、英国政府は民間人からLeicaなどの小型カメラを徴用していました。

イギリス海軍の重巡洋艦エクセターで使用されたLeica iiia
40st Leitz Photographica Auction出品

この当時同盟国でありながら地理的要因によりLeicaの輸入が困難になっていた日本軍が光学精機(後のニッカカメラ)にE,Leitz社のパテントを無視してLeicaコピーを作る様極秘裏に命令しました。これが1941年に「ニッポン」として完成します。

「ニッポン」が侵害したLeitz社のオスカー・バルナックによる実用新案「201490号」を発見することが出来なかった為、参考として距離計内部にファインダーを設ける事でカメラ本体を小型化する技術を保護する米国特許1,967,279を引用する。

「ニッポン」についてはニコン研究会様による以下の記事が詳しいです。

ライカパテントの消失

小型カメラを作る上で「ニッポン」が利権を侵害したように、Leicaに使用されている各種パテントをクリアする事は大変困難でした。E.Leitz社が持っていたパテントこそが、Leicaを唯一無二たらしめていたと言えます。しかし1945年のドイツ降伏後、連合国への賠償の一つとして各種ドイツ企業のパテントが失効したのです。

デモンタージュの概要を示したアメリカ軍政当局の文書
wikimedia commonsより

1945年2月のヤルタ会談において米英ソは第一次世界大戦の賠償においてドイツが賠償支払いを実行するための外貨調達が困難であった事例を回避するためと、ドイツの戦争能力を弱体化するために、賠償は通貨ではなく工業設備、資源、工業製品、労働者の徴用などの現物で行われることで同意しました。戦後の連合軍軍政期において、デモンタージュと呼ばれる工場、機械の接収と共に、米軍のペーパークリップ作戦に代表される知的賠償が行われました。この知的賠償の中に、E.Leitz社のパテントが含まれていました。

米軍のペーパークリップ作戦で渡米した独人科学者
wikimedia commonsより

これによって世界各国でLeicaの模倣品やLeicaの構造に野心的な改造を施したものが開発、生産されることになります。これがコピーライカです。コピーライカは、戦勝国にとっては自国生産品でLeicaと同等かそれを越すカメラを作れるように。敗戦国にとっては、高級品の輸出で外貨を稼ぐ為に。それぞれ異なる理由でしたが、熱心にそして大量につくられました。その中でも、特に「大量に」コピーライカを製造した国があります。それがソビエト連邦です。

「大量に」作られたソ連製コピーライカ


ソビエト連邦ではフェド(FED)シリーズやゾルギー(Zorki)シリーズが大量に生産されました。大量に生産されたということは、量産効果が働きその分値段が下がります。そのために後の時代において多くのフェイクライカの元になりました。

ソ連製Zorki 1
wikimedia commonsより
FED 50mm F/3.5
うにょーんの私物

自国に精密機器製造のノウハウの根付かせよう、国民が楽にカメラを持てるようにしよう、Leicaを超すカメラを作ってみせよう、様々な理由で作られ、実際に日本では後にこの国を光学大国にする基礎を作ったのがコピーライカです。しかし安価で手に入るLeicaのようなものが大量に市場にあるというある意味で異質な状態に気付いた者が、コピーライカの刻印を潰してLeica刻印を刻んで偽物を作り始めてしまいました。これが所謂、フェイクライカです。

ソ連製コピーライカを基に作製されたフェイクライカ
ヤフオク!より

ライカの真贋判定

Leicaの真贋判定において肝要なのは以下の三つです。

  • ボディや鏡胴の淵

  • 刻印の細さ

  • ファインダーと距離計の幅

逆に肝要ではない点は以下の三つです。

  • レンズマウントの精度

  • コールドシューの緩さ

  • ボディの色

本物のLeica

戦前のLeica

Leica iiia
うにょーんの私物

本物の戦前Leicaのボディは職人が板金で叩き出しているので、端は直線と曲線が同居している複雑な造形をしています。また、ダイアルのダイア型のすべり止めは細かいパーツですがよくエッジが出ています。

Leica iiia
うにょーんの私物

刻印は細く鮮明であり、サイズも一定です。
シリアルナンバーはNo(表示の関係で簡略化。本来はoの下に横棒が入る)から始まっています。

Hektor 13.5cm F/4.5
うにょーんの私物

第二次世界大戦の真っただ中に製造されたレンズには戦時下にあって質より量を重視された為に本物であっても品質が悪いものがあります。
このレンズは1943年、クルスクで独軍とソ連軍が史上最大の戦車戦を行った年に製造されたレンズです。マウント部の精度が悪く、三脚穴が斜めになってしまっています。

戦後のLeica

Leica iiif
うにょーんの私物

戦前に製造されたLeica iiiaと戦後に製造されたLeica iiifでは少々雰囲気が異なる事に気が付いたのではないかと思います。
シリアルナンバーはNr.より始まります。

Leica iiif
うにょーんの私物

ボディはダイキャストで製造されるようになり数ミリ厚くなりました。刻印は工作機械の精度が向上したことでより繊細に入っています。

Leica iiif
うにょーんの私物

ファインダー内部の構造です。この複雑な光学が詰まったファインダー回りの構造が真贋を見分ける鍵です。

Leica iiic
41st Leitz Photographica Auction出品

ブラックやクローム以外のライカは偽物と思われがちなのですがこれは誤りで、実際には特殊用途向けにグレーで塗られた個体が存在します。なおこの個体が3120ユーロ(約45万円)で落札されたことから分かるようにかなりの珍品ですが。
また、派手に塗られたLeicaであっても偽物とは言い切れません。世の中には好きな色にカメラを塗装して楽しんでいる人もおり、古いカメラへの塗装を得意とする業者もあります。カメラへの塗装を行っている業者の一つであるルミエールカメラの塗装見本ページではカラフルに彩られた美しいカメラを見ることが出来ます。


偽物のLeica

打って変わって偽物のライカです。

ソ連製フェイク
eBayより

ボディの端は甘い(丸っこい)作りになっていて、刻印にはなぜかNSDAPを思わせる鷲の刻印が入っています。シリアルナンバーはめちゃくちゃです。

ソ連製フェイクライカ
ヤフオク!より

一見Elmar付のLeicaのようですが、距離計周りの造形がゾルギーそのままです。またレンズの刻印も作りが甘く文字が太くなっています。

ソ連製フェイクライカ
ヤフオク!より

刻印も太く不格好で、シリアルナンバーの始まりがNのみと不自然です。

上記の例はわかりやすいものを選んで引用しましたが、実際には本物のLeicaの部品を混ぜて作ったものや本物のLeicaに刻印を足して珍品ライカを装うものまで多種多様です。

やはり高い買い物、Leicaをネット等保証のない所で買う際は十分にお気をつけて…

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