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年の功は印籠じゃない

年長者は敬うべき、という考え方がある。年の功ともいわれるその考え方自体を否定はしない。

けれど、自ら「敬え」といってしまうのは、なんだかちょっと好ましくないな、と感じた。


確かに、そのひとは年長者だった。わたしはそのひとに対して、別段失礼な態度を取っていたわけではない。むしろ、親しいわけではない間柄だったので、ふだんよりも丁寧にしていたはず、だと思う。

ですます調ながらフランクなノリできた文面には、わたしの承諾を訊きたい内容が綴られていた。わたしはそれに100%同意ができなかったから、丁寧に(むしろ回りくどいレベルで丁寧だったと思う)その旨を伝えた……ら、「年長者への礼儀がない」ということにされてしまった。


礼儀ってなんだろう。年長者への礼儀って、なんだろう。

はいはい賛同することが礼儀だとは思えないのだけれど、そのひとはそれを求めていたということなのだろうか。

誰かにやり取りを見せて判断を仰ぎたくなったくらい、わたしの頭の中には「?」がいっぱいになった。わたしが、このやり取りの中で、一体いつ礼儀のない対応をしたというのだろう。

時折、「ん?」と思うことがあったので、そのひと自身、ズレているところがあるひとだったのかもしれない。……と、思うようにしている。


結局、意味がわからないことで突然殴られたような感覚が残るという、なんとも後味の悪い結果になってしまった。


生きてきた年数に応じて、敬意を払うべきところは多いと思っている。年の差の分、経験してきたことや量は違うのだから、素直に耳を傾けたいと思っている。その上で、わたしに必要なものを自分で考えて決めたい、選びたいのだ。

でも、年長者だから問答無用にすべてのひとが尊敬できるわけではないとも思う。むしろ、年下のひとを尊敬することだってある。そこに年の差はあまり関係ないと思う。

ただ「年上だから」というだけで、自ら年下に「敬うべき」だと決めつけてくるのは、いかがなものかなあ。敬いたいと思うかどうかは、相手が決めるものではないのかなあ。

まあ、そもそも、今回は「年上に対する礼儀がなっていない」とまで、なぜだかいわれてしまったのだけれど。ただの肯定がほしかったのかもしれないね。


年齢なんて、生きてきた経験を除けば、あとはただの記号だよ。

年齢だけを掲げて「敬えよ」というような年の重ね方はしたくないなあ。そんなの、中学時代の部活動の無意味な上下関係みたいだよ。

今回のことは、ちょっと事故に遭ったとでも思うことにして、反面教師にしたいと思う。



#エッセイ #コラム #ブログ #日記

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