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おもいでぽろぽろ④母との再会[母が認知症になりました。]

そもそも認知症とは何か、聞いたことはあっても詳細は知っていたのか。
答えは否。母が認知症になる前から『マンガでわかる!認知症の人が見ている世界』(文響社)という本を買って読んでいたのに、中途半端な知識しかない。やはり他人事だったということか。猛省だ。

「政府広報オンライン」で「知っておきたい認知症の基本」を見てみた。
認知症には種類があるようだが、どうやら母は「アルツハイマー型認知症」だ。

弟が「認知症だ」と認識した時点(2022年12月)での症状は、
・弟のことは憶えているが、弟の嫁を憶えていない(「弟は結婚しており娘がいる」ことは何となく認識している)。
・同じことを何度も何度も繰り返し言う。

この時点では自分でできる生活の動作が多かった。
・歩行
・着替え、紙おむつをはくこと
・トイレ
・食事

しかし「動作」の方法はまだ憶えているが、「それをやったかどうか」は一つ一つ憶えていない。例えば「朝食を食べたかどうか」憶えていない。よく聞く症状だ。私だって持病の薬を飲んだかどうかあやしい日もあるが。

もっと早くに認知症の症状に気づいていれば進行を遅らせることはできたのかな。そういえば「③どこでもチーズケーキ」で、認知症になる前の2021年1月頃に2人でココスへ行った話を書いたが、あの時にサインは出ていた。私のバカ!

ココスで話をしていた時、私を可愛がってくれた近所のおにいさん(初めてレコードを聴かせてくれたり、外国の文学に触れさせてくれた)の名前を出したら「知らん。誰け?」とひと言。漁師じゃなく会社勤めだったけど、近所に住んでいて、父と酒を飲むこともあったのに……「引っ越しちゃったからかな?」「物忘れかな?」ぐらいにしか考えていなかった。あの時、サインは出ていたんだ!  後悔は尽きない。

多分、どんどん症状が進んでいくと思う。どんどん記憶を失っていく。
介護経験のある何人かの友人に聞いたら、そのうちに性格も変わっていくし、表情・人相も変わっていくという。

——遠く離れて暮らしている私を、母は憶えてくれているだろうか。

北陸新幹線停車駅に着いた時から気がついていたが、「雪が全然ない!」「残ってもいない!」のだ。都心ではニュースであんなに日本海側の大雪ニュースを流していたのに、北陸はそんなでもない。いや、楽だからいいのだが、それも寒いのは寒い。

駅まで弟が迎えに来てくれていた。駅前でiPhone撮影しまくっていたため、弟の軽トラが停まっていることに全然気づかなかった。手でも振ってくれればいいのに、姉が撮影している様子をジッと見ていたのか。恥ずかしいじゃないか。ホントに愛想なしじゃ。

クルマの中で最近の母の症状が進行しているのを聞いた。

——徘徊が始まったようだ。

外に出て行って、迷子になってしまい、おまわりさんに保護されて、家に戻ってきた。母の失いつつある記憶の断片がおかしなつながり方をして、変な映像を見せている気がする。

弟は、徘徊対策を早急にとったようで、母がいる棟の出入り口をすべて施錠できるようにした。田舎の家は昔からセキュリティーは甘い。玄関の鍵はかけないのがデフォルトだが、そんなことを言っていられない。母が出入りするドアは鍵を付けて施錠し、その鍵は母の手の届かない場所にある。

実家に到着して、玄関先に荷物を置いたら、10メートルほど先の母のいる棟へ(田舎の昔の家は無駄に広いし、ウナギの寝床が多い。昔は玄関先の幅によって金額が決められる「間口税」といった税金対策への側面もある)少しドキドキしながら進む。

母がいる部屋(昔は茶の間だった)の引き戸を開け、母に声をかける。
何気なく、何気なく……。自然に、自然に……。

「お母さん、ただいま。久しぶり〜」

刹那の母の表情。目をまん丸にして見開いている。
そして、次の瞬間、私に飛びついてきた!

「あいたかった!あいたかった!」

私にしがみついて、私の名を呼び、わんわん泣き始める。大号泣だ。
姪っ子がその様子を笑顔で見ていた。

よかった……私のことは忘れてない。顔も名前も憶えていてくれた。

安心はしたが、正直なところ少し戸惑ってしまった。
母は本来、感情を爆発させるタイプではない。
親子で抱きしめ合ったりもしたことはない。無論、ハグなんかの文化はゼロだ。

あと、いつも世話をしてくれている弟の嫁に申し訳ない気持ちが少し。

私にしがみつく母の頭をポンポン撫でたり、背中をさすったりしていたが、心情的にはホッとしたり戸惑ったりとかなり複雑であった。

母の認知症のレベルは、弟から聞いてからそんなに進行してないような気がしたが、数時間でその考えは甘かったと気づく。

母の寝床からトイレまでの床には新聞紙が敷き詰められている。母はトイレに行って、自分で用足しはできる。紙おむつも自分で脱ぎ着もできる。しかし、用を足した紙おむつを替える時に床にこぼしてしまい、汚してしまうのだ。細かいことに気が回らなくなっていく。

先ほど、涙の再会をしたばかりなのに、数分経って、私の顔を見ると「おや、あんた、いつ来たんけ?」と言うのだ。これを、ちょっとトイレに立ち、戻ってくるたびに、言う。5分おきに言う。私が実家にいる間、100回ぐらい繰り返したと思う。

最初は「さっき来たよ」「つい今し方」などと答えてきたが、正直、いちいち答えるのが嫌になってくる。

それからお金のことばかり言うようになった。財布の紐は弟が握っているため、お小遣いをくれない弟の悪口を言うのだ。これは弟が可哀想だ。

久しぶりに会った弟の嫁からもいろいろ話が聞けた。
今回、弟から「家族で泊まりがけの温泉旅行に行っている間、母親をみていてくれ」と頼まれて帰省した。

でも、この旅行計画は母が認知症になる前に立てられて、ネット予約も済んでいたのだ。それが急に認知症が発覚して、弟は私に頼んできたが、嫁は「母を温泉に連れて行きたかった」と言う。ところが、ネットで予約すると人数など変更ができないらしく、いろいろ問い合わせたのだが、無理だったらしい。

嫁のその気持ちはありがたいが、私は弟の気持ちも少し分かる。

漁師の弟は夜に沖に出て行って朝に港に戻ってくる。
嫁は平日はお勤めでいない。
弟は昼間は寝たり、起きたら家事もやる。母をみる。
喋るのは得意じゃない。
子どもは全員女の子で、成人してしまった。
前から楽しみにしていた家族旅行。
母の面倒はみているし、母のことは大事にしている。
しかし、母をみるストレスから1日だけでも解放されたい。

そんなところではないかと思う。

私も私でそんな親切な姉でもない。
お節介なくせに、嫌いな人にはその表情を隠せない。

お母さん、ごめんね。
お母さんのことは大好きだけど、単純に「会えて嬉しい!」って感情を爆発はできなくなっちゃった。
おっかなびっくりな再会だ。
でも、まだ私のことを憶えていてくれて嬉しいよ。
お母さんが憶えていてくれた私は、何歳の私なんだろう?
多分、子どもの頃の私なんだと思う。

母に再会して、しばらく母を見ていて、ふと気がついた。

——お母さんってこんな顔だったかな?

……母の人相が少し変わっていた。

母が認知症になりました。離れて暮らしているので、介護を任せている後ろめたさが常にあります。心配、驚き、寂しさ、悲しさ、後悔、後ろめたさ。決断と感謝と孤独。感情的にならずに淡々と書きますが、時々泣きます(笑)。一人暮らし還暦クリエイターによる☞脱力記録です。不定期で綴っていきます。

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