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第13回:藤井青銅さん(後編)[連載/ボクっ娘のなれの果て、還暦を迎える。]

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前回の「第12回:藤井青銅さん(前編)」(リンク)もどうぞ。

言っておきますが、この画像たちは拾ったものではなくて、ちゃんと撮影させて頂いた写真。藤井青銅さんのご著書『幸せな裏方』出版記念イベントを取材させて頂いた時のものです。

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その『幸せな裏方』をお持ちの方はその本を片手に、お持ち出ない方も(下記リンクのAmazonでご購入どうぞ)お読み頂ければ幸いです。

ネタバレ注意ですが、藤井青銅さんにはこの件を書くことをお許し頂いております。青銅さん、ありがとうございます。

『幸せな裏方』(新潮社)
「面白い」にはウラがある!! 手塚治虫、星新一、大瀧詠一、松田聖子、伊集院光、デーモン閣下、オードリー……。ラジオ番組の放送作家をはじめ、作家、作詞家として時代を彩る著名人と仕事を重ねてきた著者が綴る、興奮の舞台裏。ヒットを出してもなぜか儲からないけれど、一番うしろにいるからこそ、すべてが見える! 思わずニヤリのエッセイ集。

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今回は藤井青銅さんのエッセイ集『幸せな裏方』に収録されている「人生の選択」に登場する2人の男性と私・魚住陽向(当時・魚住晶名義)のお話

2人の男性のうちの一人は当然、藤井青銅さん。もう一人は、とある出版社の編集者O氏。

ーーそれは、2002年のこと。魚住は人生最大のピンチを迎えておりました。フリー編集者として若手芸人を取材してきて、ようやくようやく在京芸能プロダクション約35社から取材許可・出版許可が下りた『若手芸人パーフェクトカタログ』。その版元であるケイブン社(昔「月刊デビュー」を刊行していた出版社。その後「オリコン」が版権を獲得)がある日突然、倒産(民事再生法手続き開始)したのだ。その時すでに、巻頭カラーページの取材を8割方終えており、引き返せない状態になっていた。

いや、今思えば、引き返しても、バッくれても構わないのかもしれないが、根が真面目な魚住。何カ月もかけて頭を下げて出版許可をもらったのに引き返せないし、これでバッくれたらこの業界で生きていけない。そう思って、この企画をゼロから制作してくれる出版社を探すこととなったのである。

ちなみに、この時点で経費は15万円を超えており、全て自腹である。そして、自分で言い出した企画、つまり編集長であり「1人編集部」なのだ。自分で手配したカメラマンやライター、DTP入力のバイトちゃん、全てギャラを支払わなければならない。こうして、新たな出版社を探して、普段の10倍の稼働で飛び込み営業が始まったのである。

フリーランスとして飛び込み営業は経験済み。いつものことだ。フリーになってから何度もやった。人見知りなんて言っていられない。電話して、アポとって、会ってもらう。とてつもなく疲れるし、ストレスがハンパない。私はこれで一気に人間嫌いが加速したし、出版業界が大嫌いになったし、今となっては飛び込み営業なんて二度とご免だ!

でも当時はまだ、そんなことは言っていられない。藁をもつかむ思いで必死に電話しまくって、事情を話して、会ってくれる編集者に感謝しながら企画を持ち込んだ。ほとんど会ってもらえない。電話で「けんもほろろ」状態だ。編集者は会ってくれるだけでまだ全然親切な部類に入るのだ。

今もおぼえている光景。新たな出版社が決まらないどころかどこも会ってももらえなくて暗澹たる思いで能面のような表情でテレビを見ていた。
「あんなに楽しみにしていた日韓ワールドカップが全然楽しくない!」

そんな中で会ってくれる出版社の編集者がいた。こういうのは運だ。偶然、電話をとってくれた編集者さんの趣味や相性が合うという運。それがピタッと合ったのが、世界文化社にいた編集者の小田部さんだった。

私は訪ねて行った世界文化社のロビーで小田部さんにお目にかかって、この企画の趣旨と現在の状況の話をした。

しかし、小田部さんは「この会社はお笑いに関連する企画ってやらないんですよ。上が頭が硬くて。私はお笑い大好きなんですが」

なるほど。お笑い好きだから偶然とった電話で縁を感じて会ってくれたんだ。私はお笑い・演芸や仕事の話を進めていく…その中で、小田部さんのアンテナがピピッと立った。

「え! 魚住さん、藤井青銅さんとお知り合いなんですか? 私、ファンというか、もう尊敬しているんですよ。一度、お目にかかりたいなぁ。何か、本の企画をお持ちじゃないでしょうかね?」

そのひと言で、魚住は世界文化社に藤井青銅さんを連れて来ることになったのだ。

藤井青銅さんを連れて行って、紹介してからの小田部さんの嬉しそうなこと、嬉しそうなこと。青銅さんの過去のお仕事について「あれはこうでしたね」「あれはそんなことがあったんですか」と楽しそうに話が弾む弾む。

小田部さんの目にはもう私と私の企画なんて全然映ってなかったし、私の存在さえ忘れてしまうほど2人は盛り上がっていた。

それから2人がどんな企画の本を作って出版したかなんて知ることはなかった。なぜなら、小田部さんから連絡が来ることも、私から連絡することも二度となかったから。

どうせ、尊敬する藤井青銅さんに会うための踏み台だったんだろうし。
そういえば私が藤井青銅さんの名前を出した時に小田部さんの「ここでやっと繋がった!」感が非常に強かったのをおぼえている。

なんか、とても踏みにじられた思いと、どっちに焼いたのか焼きもちを焼いて、私は「ふん!」とへそを曲げていた。
後に、東京・市ヶ谷に通うことになり、お堀の向こう側にある世界文化社のビルが目に入るたびに苦々しい記憶に変わりつつあった。

小田部さんは「世界文化社の社風から言ってお笑いの本は出せない」と言っていたのに、断られた数年後にお笑い関連の本が世界文化社から出版されていたのを見つけた時にショックも受けちゃったし。

その後、藤井青銅さんとはつながりは続き、いろんな企画に携わっていたのは知っていた。だが、青銅さんの口から小田部さんの名前も挙がっていなかったし、私も一時、都落ちしていたので「その後」は考えてもいなかった。

ところで、版元倒産によって宙に浮いていたお笑い本の企画はどうなったかというと、とある出版社に引っかかって2003年に出版された。今や、古本だ。Amazonで見られる程度(お笑い芸人調査団となっている。新版元が「こうしろ」と言ったので団体に見えるが、私一人である)である。

手相でブレイクした島田秀平くんは「号泣」というコンビだったし、タカ&トシのタカがモデル並に痩せているし、オードリーはまだ「ナイスミドル」というコンビ名だった。当時のコンビ名でおぼえてしまうとなかなか新しい名前が出てこないよね。ロッチのコカドくんを見るたびに未だに「ジャムパン」とか「ギャルソンズ」と言ってしまう(笑)。あ、コカドくんがいた前のトリオ名とコンビ名ね。そして、いつまで経っても私にとってアンタッチャブルの山崎くんはザキヤマじゃなくて「山崎くん」のままだ。

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『若手芸人パーフェクトカタログ』

閑話休題。

さて、時期は飛んで2017年のこと。藤井青銅さんの著書『幸せな裏方』が出版され、私も手に取りワクワクとページをめくる。
「人生の選択」を読んでいた時のことである。

「あれ?」

賢明な藤井青銅ファンの皆さんはもうお気づきですね。

『ぼくが編集者のO氏と知り合ったのは、彼がS社という出版社にいる時だ』(藤井青銅『幸せな裏方』「人生の選択」より)

これはっ!

古い名刺ファイルを探したら、当時いただいた名刺がそのまま出てきた。残っていたのだ。物持ちが本当に良いなぁ、私ったら(笑)。

これは確定だ!
O氏=小田部さん
S社=世界文化社

読み進めていくと、当時私が知らなかった「その後」が書き綴られている。
小田部さんが、藤井青銅さんの本の企画を通すために次々に転職して出版社を渡り歩いたこと。
元々、好きだった演芸の世界で生きていこうと決断し、2011年8月に44歳で立川談四楼に入門し、落語家となったこと。

ネットのインタビュー記事も読んだ。
腰が抜けるほど驚いた!
あの、小田部さんが編集者を辞めて、落語家・立川寸志になっていたなんて。

A:元々、小田部さんが好きだった演芸の世界。
B:藤井青銅さんに出会えたことで、どんどん加速していった演芸をやりたい想い。
C:立川談四楼師匠に出会って、揺るぎない想い。決断。

そう! 小田部さんのAとBの間に魚住が居ます!
そして、彼が落語家になった経緯の一端に魚住が居るわけです。

思わず叫んで、みんなに知らせたくなった。

藤井青銅と立川寸志を出会わせたのは私ですよーっ!

長年、魚住が一人でウダウダと抱えていたくだらないモヤモヤがぶっ飛んだ!焼きもちなんて焼いて、しょーもないね、魚住ったら(笑)。

取材で知り合った芸人が後に有名占い師になって、未だにコンビ名「ゲッターズ」を名乗っている。その、飯田氏の占いで「魚住さんは、人と人を結びつける性質を持っています」という言葉を思い出した。

また、結びつけちゃったか、魚住!
まるで仲人だね!(笑)

しっかし、ひとの人生なんてわかんねーなー!
ホントに「好き」って強えーなー!
なーんて思ったりする。

『幸せな裏方』の「人生の選択」はこう締められている。

『真打ちになったら、彼のためにタダで落語を一席書く約束になっている』(藤井青銅『幸せな裏方』「人生の選択」より)

ジーン……。刺さるね、もう……。

詳しくは『幸せな裏方』(藤井青銅・著/新潮社)をぜひお読みくださいね!

小田部さん。いえ、立川寸志 様へ。

魚住は現在、小説を書いてます。45歳で初めて書いた小説が連続で新潮社の賞の最終選考に残ったけど、大賞を逃してばかりで、未だに出版社からはメジャーデビューできないし、全然売れないし(ココで買ってね♡)、最近はもう小説書くのは辞めようかなと思っています。

あなたは立派です。
勇気ある決断!

「真打昇進お披露目」の際には魚住も招待してくださいね。

その前に、ぜひ取材させてくださいませ!

※私が2015年に取材させてもらった記事。2021版も取材し直す予定!
アークのブログ『「二ツ目」専門の寄席『神田連雀亭』で気軽に落語を楽しみたい!』https://www.ark-gr.co.jp/blog/kanda_renjakutei/

それでは、また!
還暦まで、あと217日

あの頃(2002年)こんな曲がヒットしていました。
BGM by 宇多田ヒカル『SAKURAドロップス』


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