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「瑠璃唐草」(原作:梶井基次郎『桜の樹の下には』)

「ね。私たちって、花の下の根っこみたいなものかしら」
 ノンアルの梅酒を飲みながら友人は言った。
「なぁに?」
「だってさ。主婦なんて、家族の縁の下の力持ち。雑用係じゃない」
 グビリと缶を傾ける。
「旦那や子どもに養分取られてさ」
「・・・・」
 私たちは小学校のPTAで知り合った友人同士。
 やりがい搾取、無償奉仕の役員を共に二年務めた。
 彼女は更に続ける。
「それもさ、根っこの上に咲く花が薔薇や百合ならいい訳よ」
「どういうこと?」
「自分の人生を吸い取られて、上に咲く花がさ。メジャーリーガーとか国民的アイドルなら、養分になりがいもあるってもんじゃない」
 想像力が豊かな友人に、私は懸命についていく。
「普通の会社員や大学生じゃ、嫌なの?」
「嫌って言うか・・・しょうがないかなぁ、私自身がフツーの養分だし」
「・・・ナッツ食べる?」
「ありがと」
 
 私たちは、しばし目の前の景色を眺める。
 ネモフィラが見頃だと聞いて、市街地から車で20分の公園に出掛けてきた。小さな花が青い絨毯のように広がり、春風に揺れている。
(彼女は別に、家族をディスっている訳ではなくて)
 私は思考が遅いので、ゆっくりと彼女の言葉を分析する。
(他人に人生を捧げて時が過ぎたことに落ち込んでいるのだ)
 心の中で頷く。
 性差別をしてはいけないといくら社会が叫んでも、結婚して子どもを産めば、人生を捧げるのは女だ。友人は子どもが二人。私は一人。人数の多寡はあるけど立場と世代は変わらない。
 PTAを離れてからもメッセージで繋がっていて、時折会ってお茶をする。
 会う度に定型文のように話すのが、パート代があっという間に教育費に消えていくという嘆き。その後、働く先があるだけいいよねと慰め合う。
「バタバタしているうちに、あっという間にアラフィフだぁ」
 友人はナッツを宙に放り、器用に口で受けようとして・・失敗。
 私たちはアハハと笑う。
「やばいやばい。だめねー、昔は百発百中だったのに」
 私は芝生からナッツを拾うと細かく砕き、蟻さんご飯だよと呟いた。
 
 私たちの人生は、とてもありふれたものだと思う。
 
 彼女の言葉をさかしまにすると、働く夫も養分を吸い取られ、地上に妻子という花を咲かせている。互いに養分を奪い合うのが、夫婦や家族というものだろうか。
「私、写真撮って来るね」
 彼女はスマホを握って立ち上がった。
 花畑へ向かう背中は以前より痩せていた。
 
「綺麗に撮れた?」
「うん。撮りに行ったら?」
「そうね」
 私も立ち上がる。
 
 私たちの悩みはありふれていて、そして贅沢だ。
 “もっと大変な人はいくらでも居る“
 それは本当だ。でもその言葉は、慰めにも解決にもならない。
 人には自分の目の前の問題しか見えないから。
 異国の子どもの飢餓よりも、我が子の不登校が。
 隣国の領海侵犯よりも、認知症の親の徘徊の方が深刻なのだ。
 誰もが心のしべに悩みを抱えて生きている。
 私は花に留まるミツバチを狙ってシャッターを切ったが、ぶれてしまった。
 
「ごめんねー。私、変なこと言って」
 レジャーシートに戻ると友人に謝られた。
「ううん?面白いなと思ったよ」
「最近母からの電話が煩わしくて。気が滅入ってたんだよね」
「分かるー。実の親の方がきついよね」
「そうそう」
「誰かと喋りたいなぁって思ったら、つい和美さん誘っちゃった。ごめんね」
「ううん、嬉しいよ」
 誘われたのは、本当に嬉しい。
 私たちは、もう若くない女友達。
 コツは適度な距離感だと知っている。その距離を保てる相手が貴重なことも、知っている。
「そろそろ片付ける?」
 話の種が尽きないうちにお開きにした。
 もうちょっと、と思う位に別れるのがちょうどいい。
 運転の出来ない私は彼女の助手席に乗った。
 
 ・・・私たちは繁茂している。
 感情や物資を奪い合い、連綿と連鎖してこの星を覆い尽くす。
 そして最後には、同じ土の下へと還り、新たな誰かの肥料となる。
 私はふわりと宙を飛び、足元を見る。
 闇に浮かぶ瑠璃色の星。
(私もあの、小ちゃな小ちゃなお花のひとつ。花びらのひとつ)
「肥料になるまであと少し・・・」
 私は呟く。
 
「着いたよ!」
 肩をチョンと突っつかれた。
「あれ?」
 彼女はくすくすと笑っている。
「すっごい寝てたね。座ったら秒で」
「・・あ・・・ごめ〜ん・・・」
 彼女は私の家の前まで送ってくれた。荷物をまとめて車を降りようとする私に、彼女が笑いかけた。
 
「また付き合ってくれる?」
「うん」
 
 手を振って別れる。
 
 私たちは他人同士で。夫とも他人で。血の繋がった子どもは、手元を離れていって。私たちは咲いては散り、咲いては散り、連なっていく。唐草のように。
 奪い合うのではなく、与え合っているのだと、気付けたら幸せなのだろう。
 
 ネモフィラの和名は、瑠璃唐草。

 私はその名を、今日好きになった。

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