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映画『僕と彼女とラリーと』レビュー

【人生はレースではなくラリーなのだ】

 2021年の11月に愛知県や岐阜県で開催される予定だった、FIA世界ラリー選手権「フォーラムエイト・ラリージャパン2021」が中止となったことで、ラリーへの興味を喚起する内容の映画『僕と彼女とラリーと』が宙に浮いてしまった。

 東京オリンピックの開催に合わせたような内容の『名探偵コナン 緋色の弾丸』は、2020年予定の公開を1年延期したことでオリンピックとの繋がりを保てたが、『僕と彼女とラリーと』にそうした配慮は難しかったようで、ラリージャパンという格好の追い風を欠いた中での公開となった。

 結果として、逆境だからこそ公開される意味があり、そして逆境にこそ人は前向きで臨むべきだと強く思わされた。

 東京で俳優をしている北村大河のところに、何度か父親から電話がかかってくる。父親はかつて凄腕のメカニックとして世界のラリーを転戦していたが、今は引退して愛知県の足助で整備工場を営んでいた。近所から持ち込まれる車に限らず、その腕を見込んで全国から旧車をして欲しいと以来があった。

 大河はそんな父親と大河は折り合いが悪かった。母親が病気となってそして倒れた時も、父親は外国から戻ってこなかった。遅れてやって来た父親に大河は怒り憤った。以来、父親を父親とも思わない日々を続けていたが、そんな大河に父親が倒れて死んだという連絡が入る。戻った実家には、大河と同じように父親に反発を抱いた兄もいた。

 暮らしていて仕事もしている名古屋から、兄はBMWで駆けつけた。今は豊田市となっている足助の整備工場に、こともあろうにBMWで乗り込むとはこの兄が、相当な悪役であるとうかがわせる。実際に兄は、父親が経営していた整備工場を潰し、実家も更地にすると言い出す。

 存続して欲しいという従業員の願いは聞かず、無慈悲に閉鎖を言い渡した兄に大河は反発を覚え、自分で整備工場を続けたいと言い出す。父親を怨んでいたはずなのに、気持ちが変わったのは、家にいない父親に対して母親が抱いていたことが綴られた日記を読んだからかもしれない。一緒に働いていた人たちに同情したからかもしれない。

 いずれにしても、兄とは敵対して整備工場を存続させようとした大河は、ガレージの奥に置かれていたラリーカーを引っ張り出し、近く豊田市で行われる誰もが出場できるラリー大会に出て、整備工場を宣伝しようと考えた。

 経営に関わったことのない大河や、父親のようなメカニックとしての腕もない従業員たちにいったい何ができるのか。そう兄が思うのも当然だった。取引先も二の足を踏んで継続的なメンテナンスの依頼をためらった。まさに逆境。だったらと、残された面々が良いところを出し合っても及ばない父親の実績に、少しでも近づこうと頑張る大河や仲間たちの奮闘ぶりが映画では描かれていく。

 応援したいと思わせた。けれども現実は厳しかった。なおかつとてつもない災難が降りかかって、絶望以上の思いを面々にもたらした。そこからの復活劇が映画の見どころだ。

 道を外れたらもう戻れないレースなら終わっていたかもしれない。けれども彼らが目指したのはラリーだ。たとえ壊れても修理をして道に戻っていく。そしてスタートした場所に帰ってくる。それがラリーの神髄だ。

 人生をレースに例えて、道を踏み外したらもう終わってしまうかもしれないという思いに囚われている人が少なくない。けれども、間違っても踏み誤ってもやり直してまた始めることで、得られる新しい道があるのだということが、映画の中で語られる。人生はレースではなくラリーなのだ。そう教えられる。

 大河を演じた森崎ウインは、俳優としての意欲はあるもののどこか感情が気迫でのりきれない。それも理由があってのことだが、父親の死で田舎に帰って、隣家に済んでいるバツイチシングルマザーの上地美穂と再会し、日々を重ねることで感情を取り戻していく様を巧く演じていた。

 元乃木坂46の深川麻衣も、30歳のシングルマザーと行った役を年齢も同じということで、浮かずかといって沈まない明るさと美しさで、美穂という役を演じてくれていた。父親役は西村まさ彦。すっかり白くはなっても無くなってはいない頭で、息子に理解されない父親像を見せてくれた。そして竹内力。弁護士なのにヤクザにしか見えない豪快さで、暗くなりがちな展開に風をくれた。

 香嵐渓や猿投山や豊田スタジアムや豊田市美術館なども登場して、そういったものに記憶がある人を楽しくさせ、懐かしくさせる物語でもあった。肝心のラリーのようなランのシーンも2度、競技としてというより人の命をつなぎ未来を開くために必要なものとして描かれていた。そこから少しでも、ラリーの魅力が伝わったのなら映画の意味もあっただろう。

 次のラリージャパンも同じ地域で開催されるかは分からない。ただ、小規模でも一般の人が参加できるラリーは開催されている。そうしたイベントへの参加を通してラリーという競技を持ち、ラリーによって何を得られるかを感じ取ることはできる。その窓口になり得る映画だった。

 見たら走りたくなるだろう。曲がりくねった西三河や美濃の道を。そして帰りたくなるだろう。そんな道がある故郷へと。(タニグチリウイチ)

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