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映画『今夜、世界からこの恋が消えても』レビュー

【記憶が失われても記録が消されても思いは残る、永遠に】

 記憶が失われても、どこかに記録は残っている。記録が消されても、誰かの記憶には刻み込まれている。あったことはなかったことにはできないし、いたことはいなかったことにできないのだということを知って、今日もまた生きていこうと思わされる映画がある。

 三木孝浩監督の『今夜、世界からこの恋が消えたとしても』だ。

 交通事故に遭ってから、以後の毎日の記憶を翌日に持ち越せない日野真織という少女がいて、そんな真織のことを知らないまま付き合ってと声をかけた神谷透という少年がいて、そして付き合い始めた2人の日々を描いていく一条岬の原作小説を読んでいても、観ていて涙が出てしまう。

 内容に大きく踏み込んでしまうから、どうして泣けてしまうのかにはあまり触れないけれど、言えるとしたらたとえ紙の上、ネットの中に記録された情報に過ぎなくても、自分と関わりのあることに人は想像力が働いて、感情を大きく刺激されてしまうのだということだ。そうした感情を心の中に押し込めようとして押し込められず、溢れ出る様を目の当たりにして、人は忘れることの難しさであり、忘れられないことの苦しさを知るのだ。

 「なにわ男子」の道枝駿佑が演じる神谷透はとことん優しくて、真織の毎日を楽しくしてあげようとするキャラクターは、主張してこそ主演男優といったある種の常識とは真逆の透明さを持っている。それでいて強い存在感を残すのは、単にストーリー上で与えられたその役割からといったことだけではない。

 それは、透というキャラクターが真織のことを思い、自分自身のことも考えて毎日を精一杯に生きようとしていたからなのだろう。そんな透の一歩身を引くことで醸し出す存在感といったものを、道枝駿佑は表情からも仕草からもしっかりと出してくれていた。

 TOHOシネマズで映画を見る人には、幕間に登場する女性として良く知る福本莉子も、日野真織という特異なキャラクター性をもった役を、どのように演じたら良いかをしっかりと考えて見せてくれていた。毎朝の苦しみを飲み込んで、午後に明るく笑おうとする真っ直ぐさがにじみ出ていた。

 白眉は真織の友達の綿矢泉を演じた古川琴音だ。『メタモルフォーゼの縁側』でBL漫画家を演じていた時とはまた違って、真織と透との出会いから始まる日々を少し離れつつ寄り添って見守る女子高生をしっかりと演じていた。真織の今しかない心を思う泉のある決断は、明日も続く自分自身の心を痛め傷つける所業。それを分かって厭わず進んだ優しさに泣けた。

 もうひとり、松本穂香が演じた透の姉の神谷早苗も、その行為が自分の心を削り取り、穴の底に埋める過酷なものだと分かっていて、唇を噛み締めつつ進み続ける悲壮感に溢れていた。よく頑張ったねと言ってあげたくなった。自分のやりたいことに逃げずに向かって成功を手にしたからこそ、そして成功の裏側にあった幾つもの支えを意識していたからこそ、やり遂げられたのだろう。

 恋があったという記録や、恋をしていたという記憶が消えてしまったとしても、ひとりの人がいた痕跡は絶対にどこかに残っている。今夜、世界からこの恋が消えたとしても、絶対に消せない思いがあるのだということ身に感じて、毎日を懸命に生きていこう。(タニグチリウイチ)

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