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高校演劇のドキュメンタリー映画「走れ!走れ走れメロス」と「メロスたち」をみてきた

高校演劇部(正しくは同好会)のドキュメンタリー映画「走れ!走れ走れメロス」と「メロスたち」を2本連続でみてきた。

話題の作品だったので長らく気になっていて、YCAMシネマで上映されると知ってからこの日を心待ちにしていた。
映画は素晴らしく、そして監督と亀尾先生のトークイベントまで聴けて本当に良かった。

「走れ!走れ走れメロス」では2021年の夏~2022年の3月までを、その後を追った「メロスたち」では2022年の春~2023年の3月の期間、島根県三刀屋高校の高校生と顧問の先生5人が中心に収められている。

彼らが、地区大会で初めて「走れ!走れ 走れメロス」(演劇)を上演したのは高校2年生の時。当時は観客をいれずに、上演をしたそうだ。

その後、自主公演や、顧問の亀尾先生が参加した若手演出家コンクールの審査等で何度か同作品を上演する姿がみられる。
公演を重ねるごとに、演技がよりいきいきとしている変化に、演劇をやるっていいなと感じられる幸せな時間だった。
徐々に堂々としていくというか、自由にはっちゃけるというのか。映画約2時間で、2年分を凝縮してみているのでその成長が凄まじいことがよくわかる。
成長期の、その年代特有の吸収力の高さと変化を、そばで見て接することは、きっとものすごく楽しいのだろうな。

初演時、人生で初めて演技をする彼らの演技がいわゆるトレーニングを受けた「上手」なものなのかというときっとそうではない。けれど、惹きつけられる魅力があって、特にその後俳優の道を志す曽田くんの演技は細切れの映像ではなく1本通して観ていたかった。
ちなみに曽田くんは、観て吸収する力が強いらしく(トークイベント談)前日にみた他の学校の演劇部の作品を覚えてセリフを練習していたそうだ。
北島マヤかよ…、恐ろしい子。

亀尾先生は、この作品で2021年の若手演出家コンクールの最優秀賞をとっていらっしゃる。俳優の身体と切っても切れぬ演出家のコンペで、舞台経験数回の幼い俳優たちとともに作った作品で、最優秀賞をとったというのは稀有なことなのではないだろうか。

作風にもよるだろうが、演出力とは何かを考えさせられる。
必ずしも、鍛えられた俳優を思い通りに動かす力ではないんだよな、と昨今のパワハラ、モラハラ問題がふと頭をよぎる。

下北沢でおこなわれる演出家コンクールの最終審査に行くことになった時、映像の中で誰だったか。出演している子が「下北沢ってどんなところかな」と呟いていた。
山口で生まれ育った私には、高校生の頃、東京は外国と同じくらい遠い感覚のところで一生に何度もいけるところとは思っていなくて、ひょっとしたら現実にないかもしれないくらい夢のような存在だったことを思い出す。当時は、下北沢が演劇の街と呼ばれていることすら知らなかった。
高校生の彼らが東京に行き、舞台に立つ。どれほどの大冒険だったのだろう。

しっかし、ドキュメンタリー映画といえどもよく出来すぎているというか…。「走れ!走れ走れメロス」の上演で、演出家コンクールの最終審査まで進んだから1本の映画に仕上がっているが、これが地区大会で終わっていたら映画にはなっていなかっただろうな…。2本目の「メロスたち」では曽田くんは一人で舞台に立ち、中国大会にまで出場している。
映画のポスターに「青春は、筋書き通りにはいかない。」と書かれているけれど、事実は小説よりも良く出来すぎている。
地区大会のために作られた作品が上演を重ねて、顧問の先生の演出家コンクールで最優秀賞なんて筋書きは都合が良すぎて書けないよ…。
現実はつくづく不思議だ。

そしてコロナのこと。

2本の映画は、コロナの5類移行前で、イベントをやるにしてもおそるおそるせざるを得なかった時期のもの。
映画を通してみて、コロナ禍の記憶を既に過去のものとして忘れかけていたことに気付かされた。
公演を企画をすること自体、間違っているんじゃないかと何度も考えながら上演したこととか、本当に効果があるのかわからないと思いながらも感染症対策をしたことだとか。
映画に収められていたのは、私が経験したことと近しい思いだったのに、そんな苦労も、2023年の春からのこの1年で随分と記憶が薄らいでいた。

たった1年でこんなにも忘れられるんだと、自らの薄情さになさけなくなってしまった。

忘れてしまえるほど、日常が戻ってきたというのはハッピーなことではあるけれど、時々思い返さないと、中止された公演が、諦めた公演が浮かばれないと感じてしまう。
だから、この映画がコロナ禍で撮られたもので良かった。
この時の無念さや戸惑いを残してくれていて良かった。

コロナに関しては、曽田くんが一人で出場した、中国大会の現場で別の学校の生徒さんたちの話も撮影していたそうだ。

結局そのシーンは映画には使われず、アフターイベントで釈明があったが、その映像もいつか別の形で目にする機会があれば良いなと思う。

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