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失くす


さくら野弘前の大型水槽が無くなると知った時、私はそれを見るために地元に帰ることができなかった。何度も家族に手を引かれて、訪れた百貨店の一階にある大きな大きな水槽。

渡嘉敷地方をイメージしていたらしい。そうだな、シーサーもあった。雪が積もった外や冷え込んだ立体駐車場からそこを目指すと突然南国の雰囲気が漂うのが可笑しくて好きだった。
水槽の上部には鯨の尻尾と波飛沫を模したオブジェがあって、そのスケールが怖かった。
無くなることを受け入れられなかった。

記憶の中でだけ美しく残って欲しくて、写真に納めずさよならをした。あの美しい熱帯魚たちは一体どこに行ったのだろうか。
背伸びをしたり、誰かに肩車をされながら、幼く柔らかいおでこを水槽にくっつけてゆらゆら動く熱帯魚を眺めていたのはもう18年前らしい。
私より年上のその水槽はもういない。
ぐるぐるその水槽の周りを駆けて、段差に躓いて転んだり、見ず知らずの子とかくれんぼをしたのだってもう、遠い遠い。でも鮮やかな記憶なのだ。おばあちゃんとも行った。ほしいものを買ってもらえてニコニコしたり、逆に買ってもらえず駄々を捏ねて叱られた私もいた。迷子になりかけたらその水槽の前に行くこと、と暗黙の了解もあった。輪郭がはっきりしている部分と、うっすら歪んで見える部分。
今住んでいる場所の百貨店移転に伴って蘇る水の記憶。

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