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家庭も仕事も。

「あなたの夢は?」と問われたら『良い余生を過ごすこと』と答えている。

具体的な何かを想定していた質問者からはよく笑われるが、嘘偽りもなく自信をもって言える夢である。真面目に現在進行形で実現に努めているので馬鹿にしないでほしい。

中学生~高校生の頃の夢は、より抽象的で「良い老後を過ごしたい」だった。当時イメージしてた老後の生活スタイルを、気がつけば今すぐにでも実現したくなっていた。ここ2~3年くらいの身の周りの変化も相まって、夢はより具体的に変わってきたのである。

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筆者は余生を”死ぬまでの時間すべて”と定義した。

できることなら、僕は刻一刻と過ぎる今日からいつ訪れるかわからない死ぬ寸前までの間、充実した生活をエンジョイして終わりたいと考えた。つまり夢としている"余生"とは、実は今から死ぬまでの間すべての時間じゃねーかと悟ったのである。「こいつ、すげー欲張りじゃん」って思うかもしれん。正直なところ、それは自分でも思った。「ジブン、無欲なんで物欲とかねーっすww」とか周囲に言いながら心の底は欲の塊である矛盾を抱えていた筆者、メンツも何もないことを悟った瞬間であった。

そこで「良い時も悪い時も、健やかなる時も病める時も、総じて胸を張れるくらい良い時間を過ごしたい」と誓い、ここnoteに証跡を書き始めた。

まだ結婚もしてないのに。。いや、一度は結婚したが当時は誓う前にh

いつの日か愛し合える人と誓いをかわす前に、一人でなんか変な誓いを立ててしまった。

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とはいえ夢の実現には気が遠くなる道のりが待っている。何からやればいいんだ?と悩み果てるのは本末転倒なので、地道に一つずつやっていっている今日この頃だ。冒頭で「実現に努めている」と書いたが、一つだけ必ず徹底している。

ありとあらゆる場面で不安の種を可能な限りなくし、メンタル的にも体力的にも余裕を作り出すこと。これに尽きる。

例えば、こういう人はいないだろうか?イメージしてほしい。そしてうんうんと頷いてほしい←
「~~が不安でどうすれば」と軽くパニックになって思考停止し、身動きが一つも取れなくなってしまう
「いつかは~~もしないと。あぁ、今・・・ができてないからやらなきゃ」と日々何かに追われてしまう
「~~できない/しちゃだめ。だってどうなるかわからないんだから」と日々何かを否定してしまう
他にも根拠のないものに固執したりとか、色々挙げられるが、身の周りにはこういう人は結構いるだろう。

共通しているのは『生き方や動き方に制約をかけてくる考え』だ。これを極力自分の中から排除するように、日々徹底している。

筆者の性格は論理思考×自由主義だ。
不条理なルールや制限とか、自身が自由にできない環境に強くストレスを感じてしまう。
だから、ストレスを避ける行動/ストレスが出てこない生活を日々心がけていけば、自ずと良い生活=良い余生が待っている。簡単なロジックだ。
(※人によって性格は違うので万人受けはしません。用法用量ならびに人によって効果は個人差があります。)

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仕事の場面でも生活の場面でも心がけは同じだ。
でもって、最後に一つだけ気をつけたいことを添えよう。それは「忙しさアピールや頑張ってますアピールは周囲にしない」ことだ。

雑談や近況報告で忙しさを伝えるくらいならいい。実際の近況なんだからな。そうではなく、周囲から労いの言葉をもらいたくて敢えてアピールしてしまうことは止めよう、という個人的なものである。

これは持論であるが、敢えてアピールをすることは周囲に言って半ば強制的に労ってもらわないと満たされない承認欲求の大きさであり、器の小ささでもあるので、嫌だな・・・と思っている。
本来の認められるべき相手と違う相手から認められて、何か嬉しいことがあるのか?と考えて、滑稽に思ってしまう。

一番嬉しいのは、日々の中でもらう言葉だ。これに尽きる。
日常の中ではそっと見守ってくれていればいい。その中で誰かが"良い"と思ったときに自然に出てくる言葉が、労いが何よりの糧になる。強制してまで得るものが嬉しいのか?とね。

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二週に一度、通院のある土曜は真面目に自分の生活を振り返る日にしている。今月も仕事はやり切った。引き続き佳境ではあるが、良い感じで進んでいる。
良い余生、引き続き継続していきましょう。

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