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29歳、ロンドンは夢の果てなのか

29歳、私はフリーランスのライター・編集者として生活していた。気づけば、東京で暮らし始めて10年が経つ。

私が手にしたYMSというワーホリに似たイギリスでの就労VISAは2年間分。雑誌などのライター仕事だけで生活ができるというのは、すごくありがたいことだ。語るべき言葉を持つさまざまな人に話を聞くこの仕事がとても好きだ。この仕事を今手放してしまっていいのか?

他人にとって、私が2年間東京を不在にすることなんて、たぶんなんともないのだ。案外、「もう帰ってきたんだ」なんて言われて、これまでどおりの仕事をする日々にきっとあっけなく戻れてしまう。

イギリスでインタビューを仕事にできるほど英語が堪能なわけではないし、「海外に住んでみたかった」という気持ちをただ消化したくて渡英した。どうせ仕事が減るのなら、あと一つくらいやりたかったことの消化を欲張ってもいいんじゃないかと思った。

告白すると、私にはイギリスで叶えたい大いなる野望があった。もう一度、モデルの仕事がしたいのだ。

だけど、東京でできなかったことが、海外に行けば叶うわけではない。

渡英してから数ヶ月、なかなかモデルエージェンシーを回りに行けなかったのは、「これでダメだったら、本当に終わりだ」と思っていたからだ。わざわざロンドンに移住した大きな目標を失ってしまうことが怖かった。

いやむしろ、「本当に終わりだ」なんて言っているけれど、本当に終わりにはならないことを知っているからかもしれない。人生ってそんな単純に終わってくれない。モデルエージェンシーが決まらなくても、人生は続くし、私はもうすぐ30歳になるし、ロンドンでの生活だってまだ始まったばかりだ。思った通りに事が運ばなかったとき、そこで何も終わってくれないからしんどいんだよなあ。

モデルとして働くことでポンドを稼げたらいいな、という野望があったものの、先立つものは必要だ。あまりの円安に、日本からの収入をポンドに替えるのがバカらしく、実は渡英してからしばらく現地で日系のキャバクラでアルバイトをしていた。

ロンドンのキャバクラでバイトする29歳

数ヶ月とはいえ、なんでそんなところでバイトしていたかというと、家も何も決まっていなかったときに、慣れないバイトで心労を増やしたくなかったのが一番大きい。

主に日本の駐在員らが来客し、その接待をするので、すべて日本語でOKだし、特に新しく覚えないといけないこともほぼない。狭いロンドンにあるミニマムなトーキョー。英語の勉強にはまったくならないけど、逆にいうと、働いている女の子はほとんど日本人で同じVISAで来ているひとが多いから、何か困ったことがあったときに似た境遇の誰かに相談ができる。知り合いゼロの状態で渡英したので、これはとてもメリットだった。あとは、待機中は時給がほとんど出ない代わりにスマホを触ることはできるので、家探しをしたり、銀行口座を開いたり、みたいな生活の初期設定をしていたら、いくらでも時間は潰せてしまった。数ヶ月続けられた理由はそれが一番大きいかも。

これから同じYMS(ワーホリ的なビザ)で渡英する女性もいるかと思うのだけど、働く場所としては正直ぜんぜんおすすめできない。なんてったって待機時給(女の子がお客さんを接客していない勤務時間のこと)はロンドンの最低時給の1/3なのだ。

私はかつてまったく売れないモデルだった。仕事がなくてもスケジュールは空けないといけないのが「オーディション」のある職業のつらいところだ。事務所に所属すると、基本的にスケジュールをそっちに明け渡しているので、バイトで事前に決められたシフトを守るのがむずかしくなる。だけど、オーディションに行ったからってすぐに仕事が貰えるわけじゃないし、仕事を勝ち取っても、自分に給与が振り込まれるのは撮影したものが世に出て、さらにその翌々月……みたいなスケジュール感。

みんな一体どうやってバイトしてるの?と同業のお姉さんに訊ねたら、「みんなやっぱりガールズバーとか、クラブとかラウンジで働いてるかな」という返答があった。そんなわけで、7〜8年前に私は西麻布のラウンジでバイトをしていたことがある。席について、適当に笑って、大袈裟に相槌を打っていたら、大学生のアルバイトにしてはいいお給料をもらえたけど、本当に嫌な気持ちでいっぱいだったのを覚えている。

あれからもう10年近く経って、自分なりにやりがいのある仕事を見つけたはずだったのに、またこんなところに戻ってきてしまった。本当に何やってるんだろ、と薄暗い店内でふと絶望する。

私はインタビュアーを仕事にしているので、人の話を聞くのは上手なほうだと思うけど、なんていうか、求められているのはそういうことじゃないんだよなあ。たとえば、「今日スーパーに行ったら見たことないくらい大きなレモンが売っていた」くらい、中身はないけど、誰も嫌な気持ちにならないような日常の話を、延々と明るく楽しくできるような女の子は、きっとこういう仕事がすごく得意だ。私にはそういう才能がぜんぜんない。支給されるドレスは我ながらよく似合うけど、なんかやっぱり、そういうことじゃないんだよなあ。

モデルに再挑戦する、という目標を先伸ばしていたけど、今、最初の結果が出たといえる。私は今、ここでモデルとして求められなかった。じゃあ、もうこの薄暗い地下で向いてない仕事してる場合じゃないよ。

深夜に求人情報を手繰る

実は、別の日系の日本食レストラン(日系じゃない日本食っぽいレストランがたくさんあるのです)でも少しバイトをしてみたけど、これまでずーっとデスクワークで、出勤すらしてこなかった身体に5時間以上の立ち仕事はかなり厳しかった。

日本人向けの人材紹介会社のサイトからデスクワーク系の仕事を調べてみると、金融系が多かった気がする。就活、大学生のときにやっておけばよかった。私は会社員経験のないままフリーランスの編集者・ライターになってしまった珍しいタイプで、他業種の人たちがどんな仕事しているのかぜんぜんわからない。学生の時のアルバイトも、飲食店、犬の散歩、出版社のアシスタントの3つくらい(犬のお散歩だけは今イギリスでスキルが生かされているかもしれない)。

とりあえず自分の経歴をまとめ、過去の仕事をかいつまんだポートフォリオとCV(イギリス式の履歴書)を作ってみたものの「日本語のライティングができる」なんてスキル、イギリスの就活市場においてニッチすぎる。

一番近いのは広告だろうか? それぞれのサイトで業種のジャンルを選択してみたら、3社合わせて求人情報が2つヒットした。1つはあるスポーツ系日本語メディアの編集長職、もう1つはテック系企業の日本語コピーライター職。どちらもイギリスの企業らしい。

とにかく両方応募してみる。そしてキャバクラには退職の連絡を入れた。妻子を日本に帰国させたばかりの駐在員から不倫に誘われるような生活には、もううんざりしたのだ。


Oggi.jpの連載のサイドB、『29歳渡英日記_14.5』でした。
本編はこちらから。

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