似合う服がよく似合うこと
ずっと、可愛くて似合わない服を着ていた。
「人間というのは、何を望んだところで、どこまでいったところで、自分以外にはなれないものなのねっていうこと。ただそれだけ」
村上春樹の『バースデイ・ガール』という短編の一節だ。同世代の人たちはピンとくるかもしれない。たしか高校生のとき教科書にも載っていた。
あの小説が良いとか悪いとかじゃなくて、ただその一節だけはまだわたしの中に残っている。
天才の名を思うままにし、炎上を物ともせず、火を操るようなミュージシャン・川谷絵音も曲にしていた。
私以外私じゃないの
当たり前だけどね
だけど、私は今も昔もわたしじゃないものになりたくて仕方がない。
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私は少しだけ映像に出たり、真剣にお芝居を習ったりしていた。今やワークショップ映画の金字塔のようなENBUゼミナールの面接で、「演技をしているときはどんな気分なの?」と聞かれて、「自分じゃないみたい、です」と答えた。ちょっと素人ぶりっこしすぎたなと反省したから覚えている。ありきたりな上に、23歳がもったいぶって口にするには幼い。
自分じゃないわけないのだが、そうだったらいいなと思った。そう見えたらいいな かも。
自分じゃないものになりたかった。モデルも自分じゃないところが好きだった。わたしは自分自身でいることが好きじゃないんだと思う。自信がないからかもしれない。
自己肯定感というのは、自分に存在理由を求めないことだ。だっているんだから仕方ないって、できるだけ幸せに生きるべきなのだ。頭のなかでは答えめいたものに辿り着いても、実践できるわけじゃない。
わたしは歌や踊りが苦手なので、理解はできても身体が動かないことがあるのを知ってる。思ったとおりの声が出せないことと同じように私はいつも今の自分が許せない。
だけど、わたしは私以外にはなれない。
髪を切っても、仕事を変えても、恋をしても、どんなに反省しても、ちがう人にはなれなかった。
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お風呂上がり、ワンピース1枚で駅に向かう。保湿した肌はつやつやしていて、化粧はしていないけどこれでいい。今の私はけっこうかわいい。裾がたなびくくすんだ桃色のワンピースは私によく似合う。
わかっているけど、心惹かれるのはいつももっとラブリーなお洋服だったり、うんとミニスカートだったり、あわいパステルだったりする。わたしが好きな可愛いものは、いつでもとっても可愛いけど、好きなものと似合うものはいつも同じであってくれない。
自分ではないものになりたくて始めた仕事で、自分の輪郭を知った。服を着ることが仕事ではなくなった今、輪郭だけが残る。
似合わない洋服を着ていた頃、自分に似合うものを知っているお姉さんがとても眩しかった。すごく強そうで、かっこよく見えた。
いま、うんと可愛くてぜんぜん似合わないお洋服を着た若い女の子をみると、幸せそうですごく眩しい。今でもつい、似合わない服を着てしまう日がある。そして扉に反射した自分を見て、絶望する。
よく似合う服を着て、うすい二重が消えないようにアイラインを引く。ハイライトを的確に入れた肌はぴかぴかしていて、そういうときの私はたぶん綺麗なんだけど、自分らしいとは思えない。綺麗だねと褒められても、綺麗にしてるからねと返してしまう。
わたしにとって自分らしさは、まだ絶望の中にあるのかもしれない。似合うのと自分らしいのは違う。似合う服がよく似合う自分を早く手に入れたい。
シュークリームはいつでも私に優しいので、おいしいシュークリームを買うお金にします。あなたもきっとシュークリームを買った方が幸せになれます。