タイトルなし

パイサーン師の説法~期待なき修行とは?(9終)なんで怒りに気づいているのに、去っていかないのだろう?



タイ仏教に関する説法を
日々少しずつ訳しています。


説法は、おなじみ森の寺スカトー寺の住職
パイサーン・ウィサーロ師の説法です。

説法のテーマは

「期待なき修行とは?」

です。

今日でこの説法は最後になります。
最後の部分のタイトルは

「なんで怒りに気づいているのに、
 去っていかないのだろう?」

です。

 このnoteをお読みくださっている方は、
ご自身でも瞑想修行に取り組んでいらっしゃる方が
多いかと思います。

 修行に取り組んでいくと、
生じてくるテーマの一つが、この
結果に期待せずに、修行を行う、ということですね。

 そのことについて、たっぷり30分以上
パイサーン師のわかりやすい解説が続きます。

皆さまの修行のお役に立てれば
嬉しいです!

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パイサーン師の説法~期待なき修行とは?(9終)なんで怒りに気づいているのに、去っていかないのだろう?

浦崎雅代(Urasaki Masayo)

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浦崎雅代(Urasaki Masayo)

翻訳家。タイ仏教(主に森の寺スカトー寺関連)の説法を翻訳して毎日お届け。(お坊様方からは邦訳許可、及び翻訳料としてnote収益を一部頂くことを了解済)タイ東北部ウィリヤダンマ・アシュラムに家族で移住。カンポン・トーンブンヌム『いのちの最後の授業』(サンガ)を翻訳出版ほか。

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タイ仏教、主に森の寺スカトー寺住職パイサーン・ウィサーロ師の説法を中心にタイ語から翻訳。東北タイ、カオヤイに住む浦崎がお届けします。
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コメント5件

思考がとめどなく生じてくること。
それはもう、あらゆる瞬間に起こっていることでありましょう。

その思考によって自分は脅かされることはない、と観えてくるようになります。

→この辺りの言葉に励ましを頂きました😀
思考をコントロールしようとすることと思考にコントロールされることから、心をケアしていくこと。なるほど!この違いを実践で確認して行きたい!
>Yokoteさん、思考はアナッター!バシッときましたよね。私もすっきり!という感じで訳していました。>こうじさん、パイサーン師からの励ましを感じ取ってくださり嬉しいです。微妙な違いですが、この見分けがつくとだいぶ心が楽になっていきますね!!
亀レスすいません。科学的にも、私たちの思考(脳)と体は無我であると証明されているらしいです。https://tocana.jp/2017/02/post_12191_entry.html
>shin さん、おおおー。こんな記事があるのですね。。非常に興味深い!!お伝えくださりありがとうございます。
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