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【無料記事】カンポンさんの説法〜流れを超えて(1)障害は「機会が訪れた」ということ

<100円設定にしてありますが、最後まで読めます。 ポチらないよう、お気をつけください>


カンポン・トーンブンヌムさん。


24歳の時の水難事故で

全身麻痺の障害を負い、失意のどん底を味わうこと16年。


しかし、カムキエン師と出会い、気づきの瞑想実践によって

「体に障害はあっても、

 心まで障害をもたなくてもいいんだ!」

と気づき、人生の最期の瞬間まで

苦しまずに生ききった方です。


2016年4月23日に亡くなられましたが

彼が生前伝えてくれたたくさんの説法やメッセージは

色褪せることなく、今も苦しみを抱えながら生きる

多くの人たちの支えになっています。


今日からは、彼の説法を訳していきます。

内容は、

「流れを超えて(カーム・クラセー)」

これは、2008年3月16日に

バンコクのラーチャモンコン技術大学にて行われた

NPOガラヤナタムのイベントでの説法です。


第1回目の今日の部分のタイトルは

「障害は『機会が訪れた』ということ」

としました。


実は、この説法は約1時間ほどあります。

カンポンさんの全盛期と言ってもいいほど

エネルギーに満ち溢れていた時期の説法です。


その時の動画は、youtubeにもアップされています。


さらにその時の説法は

タイ語ではすでに本になっているんですね!


その動画もご覧になりながら

内容をお読みいただけると嬉しいです。


カンポンさんの表情はもちろん

お話を聞かれているタイの皆さんの姿も

ご覧いただけますよ。


今日は、第1回目。

まだカンポンさんをご存じない方にも

ぜひお届けしたいので

無料配信にいたしますね。

。。。。。。。。。。。

こちらの動画です⇩


若干、絵と声がずれています。

( )内は、お話されている時間を表示しています。


(00:51ー05:15)

司会:善徳の友の会代表
    シニナート・プラサートパクディーさん


(05:21ー10:18)

 尊敬するお坊さま方

 ラーチャモンコン技術大学の学長さま

 ガラヤナタムのアドバイザー、サノーン・ワラウライ博士


 このような場を作ってくださった皆様に、

 心より祝福の言葉を申し上げます。


 そして、今日この場に集い、

 お話を修行を共にしてくださる皆様。


 私はこうした機会をいただけたことを、

 とても嬉しく思っています。


 法(タンマ)を伝える道具としてのお役目をいただき

 皆様の善き友として、

 修行を応援させていただけること。


 皆さまの信仰がより深くなっていくよう 

 また、精進の歩みがより進んでいかれるよう

 私自身の体験を

 皆さまにお分けしていきたいと思います。


 私は今日、「流れを超える」

 というテーマをいただいて、

 お話をさせていただきます。

 

 流れを超えるというのは、どういうことなのか?

 

 皆さまの中には、きっと話を聞いているうちに

 疑問を生じられる方もいらっしゃるかもしれません。


 なぜなら私は、自分自身の体験を基に

 お話しさせていただくからです。


 いくつかの言葉は、

 教科書に沿った言葉ではないかもしれません。


 でも私は、教科書から逸脱してはいない、と思っています。


 なぜなら、私自身が体験したことをありのままに

 素直にお伝えしようと思っているからです。


 私は、この人生の長い期間を

 通常とは違う体の状態と共に、過ごす機会を得ました。


 皆さま見てお分かりのように

 私の体は不便な状態で、この人生を歩んでいます。


 こうした人生は、苦しみに関するあらゆる知識が

 生じてくるんですね。


 いろんな障害がありますからね。


 そして心を悩ますようなことも生じてきます。


 しかし、障害もまたよし、苦しみもまたよし、と

 いうことも知ることができるようになったのです。


 障害を持つということは、

 心を消耗させ、人生をすり減らすことと

 イコールではないということを知りました。


 いろんな障害がありますよ。でも、

 それは「機会が訪れた」ということなのですね。


 どんな機会でしょうか?


 それは「自分自身を振り返る機会」です。


 自分自身を振り返る機会が、

 たくさん訪れてきました。


 私は、障害を持つ前

 自分自身のことには、

 そんなに関心がありませんでした。


 外側のことばかりに、興味を持っていました。


 自分自身を振り返るなんて

 やっていませんでしたね。


 しかし、苦しみが生じた時

 もう外側を見ることができなくなりました。


 なぜなら、外側に苦しみはなかったからです。


 苦しみは、この私自身、

 私自身の内側に生じていることが

 はっきりしていたからです。


 ですから、自分自身を振り返らざるをえなくなって

 しまったんですね。


 学びました。

 自分自身のいのちから、学ぶことができたのです。


 自分自身を感じる、ということを通してです。


 すると、人生というもの、いのちというのが何であるのか

 理解できるようになりました。


 体について理解し、心について理解する。

 すると心がどんどん変化していったのです。


 新しく人生が開けていきました。

 良き方向に、人生が、いのちが

 向上していったのです。


 この人生の価値が見えてきました。

 苦しみに出会うことの価値が見えてきました。


 苦しみは私に、

 たくさんの知識と経験を

 与えてくれるものとなりました。

            (続く)

。。。。。。。。。。

浦崎感想

 この説法をされた会場は

 大学内の講堂でとても広い会場でした。


 ガラヤナタムというNPOは、毎年

 お坊さまを招いての説法イベントをやっています。
 
 その場に、お坊さまではないカンポンさんが

 説法をする。

 こういう場でお話なさること自体がもう

 かなり異例なことだったのかもしれません。


 しかも、体の障害を持っている。。

 お話を聞かれる方の表情も見えますが

 多くが「この障害者の人は、どんな話をするのだろう?」と

 興味津々であるように見受けられます。


 教科書通りではなく、自分の体験から語る。

 障害は、自分自身を振り返る「機会が訪れた」ということ。


 このメッセージだけでも

 ハッと興味を引きますね。


 カンポンさんが、振り返る「機会」とは?

 明日からまた、詳しくお届けしていきますね!


 カンポンさんについては、このnoteでも

 過去マガジンにて発信しております。

 早く知りたい方は、

 どうぞ以下のマガジンなどをポチッとしてみてください。


 

 また、カンポンさんについての書籍は、以下の2冊

 現在も発売中ですので、もしよかったらお手元にどうぞ!


では、明日をお楽しみに〜!

 
 
 

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