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時代遅れの後始末

二月二十四日、ロシア軍がウクライナに侵攻した。国境付近に集結していた大量の部隊が、次々となだれ込み陸路を侵攻していった形である。まさか、本当にするとは思っていなかった。圧倒的な武力をちらつかせながら圧力をかけて、タチの悪い脅しをかけているだけではないかと思っていたのだが‥‥。大量の戦車や戦闘車両がウクライナの幹線道路を列をなしてずんずん進んでいた。ミサイルによって破壊される都市、無差別攻撃に逃げ惑う市民、国境を越えて国外に避難する多くの難民。あれから、テレビのニュース番組では、連日連日もう目を背けたくなるような悲惨な映像が繰り返し流れた。人間たちだけでなく、犬も怯えて震えていた。居た堪れなくなった。涙があふれた。そんな中で「二十一世紀にこんなことが起こるなんて」という言葉をよく聞いた。起きていることに驚きつつ、それに対して大いなる疑問を投げかけている。そして、とても多くの人が「こんなことは二十一世紀に起こるべきことじゃない」と思っていたようである。まだ人類は、こんな下卑たレヴェルにいるのかと、半ば呆れつつ驚嘆し、あまりにも前時代的な惨状すぎて愕然とした。まるでかつてアフガニスタンに侵攻したソ連軍の再来のようなウクライナで戦闘行為を行なっているロシア軍を見て、ユヴァル・ノア・ハラリが語っていた「人間の愚かさを決して見くびってはいけない」という言葉を思い出していた。あんなにもあからさまに隣国に対して「戦争」を仕掛けられるなんて。どう考えてもちょっとまともではない。あんなにも「戦争するぞ、戦争するぞ」という姿勢を見せておいて、そのまま何の捻りもなく本当に「戦争」を始めるなんて。やることなすこと、野暮だ。あれは、誰がどう見ても侵略である。そこにいる他者を人間だと認めていないような行いだ。自分たちと同じ人間だとは見なされない生き物が生息する土地に武力をもって攻め込んでも侵略にはあたらないということか。理不尽すぎる。しかし、明らかに一方的な破壊行為ではある。どうしてそんなことができてしまうのか。まともな神経をもつものであれば、あれが許されざる行為であることは、明々白々ではないだろうか。いきなり隣の家の窓ガラスを勝手に割り始めたら、すぐさま取り押さえられるだろう。ロシア軍がウクライナでしていることは、それと同じようなことである。だが、誰もそれを止められない。悪事をなすものは、すぐさま取り押さえないといけないはずなのに。それができない。わかっていても、それができない。いや、わかっているからこそ、それができないのだろうか。その理由のひとつとして、時代はかつてよりも一歩進んでいて地球上の隅々にまでグローバリゼーションが深く浸透しているということがあげられる。つまり、国と国との紛争や戦争がある、だが、その裏側には、もはや国境など関係なくヒトやモノやカネが忙しなく動き回るグローバル化した世界が広がっていて、もはやこの両面の欲望の発露である動きを切り離すことができないのである。グローバリゼーションの時代だから、みんな繋がっちゃっているのだ。SNS上の親ロシア派と親ウクライナ派は言葉と情報で地球上の隅々までをも巻き込んだ戦いを繰り広げるだろう。この無駄な「戦争」は、周囲のものが下手に口出しや手出しをすれば、もっともっと大きく燃え広がるような「戦争」である。ゆえに、もはや、誰にもこれを止められないのだろうか。それを見越しているかのように、多くの一般市民を人質にして犠牲にして、プーチンの戦争はじりりじりりと続けられている。まるで、まだこれくらいなら大丈夫だろうと放置されていたがんから、いつの間にか世界中の隅々にまで悪性の腫瘍が転移していて、もう手の施しようがなくなってしまっているみたいだ。今や世界はそのがんと共生共存してもいる。無理にこれを治療しようとすることは、ほかのところに悪い影響を及ぼすことにもなりかねない。しかも、このがんの一番の大元の患部には手が出せないのである。悪循環である。そして、その皺寄せが押し寄せたウクライナで火種がくすぶりつづけて、今の「戦争」につながっている。グローバリゼーションの時代だから、ロシアに対する経済制裁も世界的に足並みが揃うこともないし、そもそも経済制裁もどこまで意味があるのかがわからない。その証拠に、ずっと厳しい経済制裁を受けている北朝鮮は、何の問題もなくミサイル開発を進めていて、ぼんぼんぼんぼん試し撃ちをしている。それでも経済制裁を理由にロシア本国との直接的な輸出入の交易は、かなり難しくなることが予想される。プーチンとその取り巻きや新興財閥のオリガルヒなどは経済制裁を受けても、それほど痛くはないのかも知れぬが、逆にロシア産の海産物などが高騰し大きな打撃を受けるのは、ごく普通の家庭の食卓や飲食店の方なのかも知れない。よくラジオの通販などで激安で販売されていたカニや鮭、イクラなどは、みんなロシア産ではなかったか。経済制裁と侵略戦争が釣り合うものであるのかどうかはよくわからない。だが、侵略戦争が起こるということは、まったく二十一世紀的なことではない。おそらく、多くの人がそういう感覚を抱いている。二十一世紀に、こんな古めかししくてダサいことが起こることはないだろうと思い込んでいた。ああいうのは二十世紀に流行ったことで、みんなちゃんと反省していて、もう二度と起こらないようにしているのだと思っていた。もはや二十世紀に起きたことは遠い昔のことで、今とはまるで世界が違っているのだからそれがまた起こるとは夢にも思わなかったのだ。なのに、こういうことが起きるのは、なぜなのだろうか。まだ二十一世紀になっていないからではないだろうか。ずっとずっと二十世紀は続いていたのではないか。その昔、ジャン・ボードリヤールは「西暦二千年は来ない」と書いた。もしかすると、われわれが気がつかなかっただけで、本当に西暦二千年は来ていなかったのかも知れない。実際、頭の中がまだ二十世紀のままの指導者というのは、世界には結構いる。そういったところからも窺い知ることができるように、いまだに二十世紀のままの部分が、この世界には多く残されている。そのことが、今回のことで明るみになったようにも思う。そんな時代遅れが生き続けてこられたのは、紛れもないこの世界であった。そして、その時代遅れを生かし続けたのも、それをまあよしとしてそのままにしていたわたしたちなのであろう。世紀の境を跨いでから、もう二十年以上も経っている。いろいろなものをうやむやのままにしてきた二十年であったのかも知れない。しっかりと切り替えてゆくようにしなかったことが、大きな失点であったのだろう。悪夢のような二十世紀の因縁は、早いとこ退場させなくてはならなかったのだ。頭の中は、まだ二十世紀のままの、時代遅れの先生たち。そういう大きい大人は、結構多い。一国の舵取りをする指導者や代議士、官公庁や大企業の上層部に居座る人たちにも、そういうタイプは少なからずいる。そういう人々が新しいことをしようとするとき、これが二十一世紀の新秩序だとか新生活様式だなんていうことをわざわざことさらにいったりする。だが、よく見ると、その根幹部分には、二十世紀的な時代遅れな考え方がまだびっちりとこびりついていたりするのである。新しい時代としての二十一世紀は、そういうものとは別のところにある。それは、まだ、新しい自由と平等を模索し、平和で穏やかな世界を目指して、飽くことなくもがく動きである。完成されたそれを誰かが用意できるものではない。ただし、そういうものに対して敢えて逆行し、力で捻じ曲げてしまおうとするものもある。それこそが、時代遅れなものが自らの力と椅子を守るために執る常套手段なのだ。あのウクライナの領土内で行われていることは、その大々的な暴力装置を用いた展開である。しかしながら、当然のように、それは何も「戦争」という形をもってしてのみ行われるものではない。わざわざ議事堂にまで出かけていって、大事な仕事の最中に居眠りしている国会議員はどうだ。頭の中に埃が溜まってたり黴の生えてそうなおじいさんやおじさんばかり。かったるそうに重い足取りで議場や委員会室にぞろぞろぞろぞろやってきて、席に着くなり目をぎゅっと閉じて微動だにしない。日本では昔から家臣たちが城の中に集まって、腕組みし目を瞑って城主の言葉に耳を傾け、様々なことを決定していたのだろう。だから、この国会の光景は、日本の古くからの伝統なのだ。海外の人ならば、そんなふうに考えるのかも知れない。そして、まるで十八世紀のままのようだとも思うだろう。こんなことが、まだ二十一世紀の世界にあるなんて。もう二十一世紀なのにこんなことが行われているなんて、と驚くとともにショックを受ける人もいるだろう。国会議員に占める女性の割合が一割を下回るという事実を知って、さらに驚き、ショックを受ける人もいるだろう。居眠りしているのがおじさんばかりなのもそのためだ。女性議員の割合も社会における男女の格差も、先進国中でだんとつの最低レヴェルである。日本では、当たり前のように女性は劣位・低位に置かれる。古くからの伝統だから、それは簡単には変わらないのか。もう二十一世紀なのに、まだこんなことが行われているなんて。これは、とても時代遅れなことなのではないか。思えば、認知症の母を父はいつもいつも強く怒鳴っていた。普通に考えて、言葉による虐待が毎日のように続いていた。わたしも最初は少し強く言えば途切れかかっている思考の回路が何かの拍子に繋がって、ちゃんと言われた通りに行動できるのではないかと思っていたので、できるだけ繰り返し強くいうように心がけていた。そのうちに、何かしてほしいときや言った通りにしてほしい時に、強く何度も何度も言って聞かせるようになった。それでも、まったく言った通りにしてくれないと苛々して怒ってしまうことも多々あった。でも、そうやってがみがみ言っていても、何について怒られているのかということも直ぐに忘れてしまうし、そもそも何についてうるさく言われているのかも頭の中でちゃんと結びついていないであろう母に、何かを期待する方が間違っていて、うるさくいって怒っても無駄なのだということがわかってきた。それからは、ひとりでバカみたいに怒ることをやめた。それからは、ひとりでバカみたいなことを喋ったり歌ったりして、まったく表情のなくなってしまった母に少しでも笑ってもらおうと、とにかくがんばった。わたしの拙い話術や歌では、ちっともうまくゆかなかったが。母の前であほなことばかりしているわたしをどう思っていたのか知らないが、その間も父はずっと母のことを怒鳴り目の前にいるのがひとりの人間だとはちっとも思っていないような扱いを続けていた(今日、これを書いている日(三月十七日)に、母は老人介護施設に入所した。約一ヶ月ほど入院していた病院から退院して、自宅には戻らず、そのまま施設に入ることになった。だがしかし、こういうことでよかったのかと、ずっと考え続けている。家にいて、ずっと父からひどい扱いを受け続けるよりは、ある程度の距離を置くようにした方が、母も無駄に罵倒されずにすむだろうし、結果的にはよかったのかもしれない。だが、わたしがもっとしっかりしていれば、ある程度の余裕のある生活を送れているちゃんとした大人の人間になれていれば、母の面倒をわたしがすべてみるということもできたのかもしれない。まだまだ自分のことだけで精一杯で、何もしてあげることのできない自分が、とても情けない。あれこれと理由をつけて、こうするより仕方がなかったのだと思うようにしているだけなのではないか。もしかしたら、母は病院を退院したら住みなれた家に戻りたかったのかもしれない。しかし、わたしにはどうすることもできなかった。もしも、母の気持ちに背くような結果になってしまっているのだとしたら、本当に心から申し訳なく思う。少しでも笑顔で楽しく日々を過ごしてもらいたいと思っていながら、まったくそれを実現することができなかった。自らの非力さを痛いほどに思い知る。本当に不甲斐ない。母が病院を退院し施設に入所する日の昼ごろ、父は「もうここには帰ってこないぞ」と言ってきた。わたしは、その言葉の意味するところを、ずっと考え続けてもいる。どこか、もやもやしてしまう)。今、ウクライナで行われているようなことは、地球上のいたるところで人と人との間でも起きている。それは程度の差こそあれ、根本的には同じことなのである。片方では、多くの血や涙が流れ、恐怖が一面を覆い尽くしている。その一方では、けろっとした表情で攻撃なんてしていないといっている。二十一世紀にあってはならないようなことというのは、今回のウクライナのことに限ったことだけではまったくなく、実はとても見慣れた光景の中にもあるということに気付かされる。わたしがいつも何気なく書いている言葉が、もしかしたらどこかで砲弾や銃弾のように炸裂し誰かを撃ち抜いているかもしれない。こちらにはそんなつもりがなくても。だから、やっぱり、そのときに、こちらとしては攻撃などしていないといってしまうであろう。だけど、やはり、あれもこれも同じことなのだ。理不尽な攻撃にさらされる不条理は、何もウクライナだけで起きていることではない。それは、つまり、人の心というもの、どの人心の中にも、ウラジミール・プーチンや習近平、金正恩がいるということなのではなかろうか。時代遅れな人の心が、時代遅れな蛮行をみて、あれこそ時代遅れだという。本当は、自分も同じように時代遅れであるのにもかかわらず。それは誰も止められないような奴らではない。化石のような議員や前時代的な議会は、われわれの手で本当は変えることができる。だが、それをしてこなかったツケが今になってようやくまわってきているだけなのではないか。それが、「二十一世紀にこんなことが!」という驚くべき事態になって、目に見えるようになってきているのだ。そんな時代遅れは、テレビの画面の中にも、あちこちの議会にも、たいていの人々の心の中にもいる。しかし、今こそ、何かすべきときなのではないだろうか。「こんなことが二十一世紀に起こるなんて」とか「こんなの二十一世紀にはありえない」というふうに、誰の目にもはっきりと時代遅れが時代遅れとして見えるようになってきた、今こそ、そのときなのではないだろうか。人の心の中からインターナショナルなつながりまで、ローカルからグローバルな動きの中まで、今ここで止めなくてはならないものや変えなくてはならないものは山ほどある。それらがあらかた片付いて、初めて本当の二十一世紀が始まるのかもしれない。まだまだ、われわれは前世紀の後始末をしなくてはならない段階にある。

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