見出し画像

「#変わる時代でも変わらず青森で生きたい。」というメッセージにしびれた話

わたしははじめて2021年の衆議院議院選挙のお手伝いをした。
選挙は選挙でも、国政選挙のお手伝いを本格的にしたのははじめてで、
いいこともわるいこともたくさん味わった。
たくさんの経験値をどうもありがとう🎁

その中で、山内たかしさんという候補者と出合う。
と言ってもほんとうに出合ったことがあるわけじゃなくて、「知る」という意味での出合い。

その山内さんのスローガンが
「#変わる時代でも変わらず青森で生きたい。」だった。

なんてすばらしいメッセージなんだろう。

あと、Instagramの発信だけあってとにかく写真がいい。青森に行ったことがないけどなんか伝わってくる、って言ってしまう。

山内たかしさんのInstagramより ほんとうにいい・・・好み・・・

詳しくはInstagramを見てほしい。ほんとにいいから。

そして山内さんが町の人と対話しながら政策をつくっていく、
その過程を丁寧に発信されていた。

会ったこともないけれど、こんな人が選挙に出てくれている地域はうらやましいなあと思った。


「入れたい!」と思える候補者がいる選挙なんて、実はそんなにない。
考えに考えて妥協したり、
当選してほしくない候補者のために対立候補に入れたりすることだってあった。
心から投票できないときの、自分の中に生まれる悔しいきもち、情けないきもちはほんとにトホホだ。

それでもやっぱり選挙に行ってる。

入れたい候補者がいない選挙は特に、行くのいやだなって思う。
だけどやっぱり「行かない」っていう選択はできない。
選挙権の歴史や、ほかの国の不平等な選挙、その歴史なんかを見ると、
今、自分が手にしている選挙の権利は、今だけ・自分だけのものじゃないからだ。

そして、一票じゃ変わらない、なんてことも思ってない。
一票じゃ変わらないこともあるけど、一票で変わることもある。
どっちもある。
だから、「行かない」っていう選択は、わたしにはできない。

だいたい、選挙にならないときもある。
西予市長選挙なんてもう何年ないんだろう、16年?ヤバいでしょ。
わたしたちにはこの16年間、選択肢すらない。

これまで、ほかの地域の友人の選挙応援に何回か行かせてもらってきた。
そのたびに、「この地域の人はいいなあ」と思っていた。
「いいなあ。心から投票したいと思える候補者がいて。」

2016年のゆうきくんの選挙で、その気持ちを味わっていた。
投票所で心を込めて「うえはらゆうき」と書いた。
その場で大声で、
誰かに自慢したかった。

事務所で休憩してスマホいじってるのに正座で姿勢良すぎるだろ人柄出すぎ

だから国政選挙みたいなでかい選挙で、
そんなふうに思える候補者がいるのはすごいことだなあと思った。
地域のことを知らないで、その地域のことをアレコレ言うのは好きじゃないのだけど、そんなきもちを超えてしまってめちゃくちゃ応援していた。

結果は残念な結果だった。倍くらい得票率がちがう。投票率は53%。
当選した相手がどんなにすばらしいかたなのか、いろいろ見たけどわたしにはわからなかった。
でもこれが現実。やっぱり選挙ってむずかしい。

そのあと弘前市長選挙にも挑戦されたがそこでも当選は叶わなかった。

この動画見るとどうしても涙が出てしまう。

投票したいと思える候補者がいてくれるのは当たり前じゃない。
だからこそ、いろんな人が立候補できる世の中がいいなと思う。
供託金や年齢や、環境、制度のハードルがどんどん下がればいいと思ってる。
そしてそんな候補者が出てくれたら、なんか自分にできることしたい。


「#変わる時代でも変わらず青森で生きたい。」
そう思えるってすごいことだなあ。
ノマドみたいな生き方も、それはそれですてきだけれど、
そしてわたしは自由が好きだから、そもそもどこで住もうが自由がいいんだけど、
ここで生きたいと思い続ける生き方も、それはそれですてきだしそれも自由だ。

原発事故で発令された緊急事態宣言は、まだ発令されたまま解除されていない。
変わらず生きたいといくら願っても、生きられない現実もわたしたちは見てきた。

時代に合わせて変わることが求められ、良いとされがちな時代だと思う。
変わっていくのが成功のように見えることは、時代のフィルターのせいかもしれない。

でも、どうだろう。
たとえば地方が「このままじゃ暮らし続けられない」と思うようになるのは、仕方のない、自然なことなんだろうか。
時代が変わるのは自然なことなのに、
変わらない政治や変わらないしくみを維持し続けるせいで、そうなっている、とは言えないだろうか。

変わったほうがいいことと、変わらなくていいこととがあるのに、
なにかしらの理由があって変えられないことはそのままにして、
簡単に変えられそうなこと、変えても自分たちは痛くないことは、
変わらなくてもいいことまで「変わらなきゃ」って一方的に言われて変えられていないか。
そして地方はそのモデルになり続けているんじゃないんだろうか。
「お金がない」「都会のお荷物」「自立できない」などといったコンプレックスを植えつけられて。
でもほんとうにそうだろうか?
地方はもうなくていいの?
都会だけでいいの?

わたしはまったくそうは思わない。

そんな時代に、変わらないこと、変わりたくないことの話ができる、
それをきいてくれる、
それが政治の窓口にあるなんて、ほんとうにいいな。

変わること•変わらないこと、
みんなで話し合いながら、変わっていきたいし変わらずに生きていきたい。
どっちもどっちかに競わされることなく、どっちも大事にされるそんな世の中がいいなあ。
わたしはそんな世の中をつくりたいと強く思ってる。
一緒にやりませんか🎉❣

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?