悲しみの裏表

強くなりたいという思いがとても長く心に住み着いて、わたしを呪縛しているのだとしても。きっとその思う強さは優しさだったり、人に対しての赦しであったり、自分自身の向上を願う、そういう強さなのだ。

裏切られたり離れられたり傷つけられたり、傷つけもする、悲しい言葉を正しいと思って声かけるかもしれない。あなたにとって、きっと私は悪にしかならないかもしれない。でも私の奥底の、見えないとこに、誰も自分すら知らないところに私は私も含めみんなひっくるめて認めてあげたいのだ

汚い自分も大嫌いだし罵倒も気持ちが悪い。それでもその人のためにすることなら仕方ないかもしれない。気づいて欲しいから、一般的に言う悪い方向や間違った方向をわたしから示唆することがあっても憎まれても、私は私だ。

自分を探すなんてなくて、ここにいてここにあり、悲しみも苦しみも楽しみも喜びも。過ぎた日々や超えていく壁も。私は知っているから、ここにいる。

気持ちや感情はとても大切で、素直に時にワガママに伝えたりする。それが、自分本来の幸せと違っても。

いつか必ず縁があり、必要性があり、求めるものがあるときは、戻ってくる。やってくる。そう自己暗示をかけながら、嫌われ者になるのも良いんじゃないかと哲学者の誰かは説いているのではないかなと

理想を一段階あげていかないとやっていかれないよ。

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