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本と音楽の日記|書原のカオス。

書原のつつじヶ丘店が閉店する。これで店舗としての書原はなくなるのかな。

そういえばと、書原という書店に初めてめぐり合ったとき、その気持ちの昂りをブログに書いたことを思い出した。2004年、20年前!だ。店舗は虎ノ門、霞が関。得意先の近場。雑多な棚作りが魅力でありカオスとまで書いたが、その後、きれいな店に縮小移転されたときもコンセプトは保たれていたはずだ。ちょうど虎ノ門書房の桜田通りの店もなくなってしまったので通い続けたが2016年に閉じてしまった(虎ノ門そのものがそこからまったく違う街に変わっていった。SPBSもあるので嫌いではない)。
そのブログには、「それならぜひつつじヶ丘店へ」というコメントもいただいていたのだが、結局、店舗としての書原には、生活圏の違いもあり、泉ガーデンタワー店にしか行けなかった。以下、そのときのテキストを再録する。いまほどアホみたいに本を買っていなかった時期だ。もし、いま、そこに虎ノ門の書原があったら、あのとき以上に気持が昂り、おそらく歯止めが効かなくなるだろう。


「書原」のカオスと、発見した本。(2004.11.27)

虎ノ門あたりの書店といえば、おおむね虎ノ門書房だろうか。もしくは、城山ヒルズ・トラストタワーのブックファースト?前者は、外堀通りの店舗は、さほど大きくないにもかかわらず岩波書店の新刊書などもひとおり揃っているし、桜田通りの店舗はコンビニなみの狭小敷地に、ビジネスパーソンであれば納得いく品揃えを実現している。双方とも規模に応じた本を揃えていて好感がもてる。もし、新刊を確実に抑えたいのであればブックファーストが手堅いだろう。

そして、もう一店、忘れてはならない書店が「書原」だ。 じつのところ、ここを知ったのはごく最近、今年に入ってからで、クライアントとの打ち合せの合間の時間つぶしで界隈を徘徊しているときに偶然知ることができた。

その間口からは想像できないほどの大量の書籍が、けっしてユニバーサルデザインとはいえないレイアウトに深く混沌と配架されており、最初に足を踏み入れたときには、確かに目がクラクラした。床に本が散らばっているわけではないのだが、なんだか本を踏んでしまいそうな錯覚に襲われもした。住所としては霞ヶ関に位置するため、官行物や、政治・経済の専門書が充実しているのだが、一般書についても、かなりの目利きの意図が棚割りに現れている。なにより驚くのは、入り口、レジ前に哲学思想書の新刊コーナーが位置していることで、これは急いでるときなどはたいへん役に立つ。

奥に足を進めると、どうやら一般的な書店とは少し発想が異なっていることがまざまざと分かってくる。このことが顕著にあらわれているのが、新書・文庫のコーナーだろう。そもそも、岩波文庫、岩波現代、ちくま文庫、ちくま文芸、平凡社ライブラリーなどが相当数在庫されており、背の高い棚にしっかりカテゴライズされている。書店の規模を考えるとこれはこれで稀有なのだが、しかし、注目すべきは平台で、一般の書店にみられるように、新刊一覧やベストセラーの大量平積みになっていなし、それどころか、ちくま新書の棚の直下が、ちくま新書の注目書になっているというわけでもない。
平台には、文庫と新書が、出版社・テーマ・新旧入り混じり、あたかも出鱈目に、無造作に投げ置かれているようにみえる。しかし、もちろん出鱈目というわけではなく、よくよく見ると並んでいる隣りどうしは、ほぼ同一のテーマであることが多いし、その周辺は、ゆるやかな関係性が演出されており、この連続性のなかに各出版社がなんらかの理由でプッシュをかけているような文庫・新書が配置されている。具体的な書名を覚えていないので恐縮だが、たとえば、ちくま新書の『フーコー入門』の隣りに、岩波現代文庫の『自己のテクノロジー』や洋泉社新書の『はじめて読むフーコー』があり、よくよく見れば平凡社ライブラリーの『構造主義とは何か』が少し離れたところにある。これを介して、『はじめての構造主義』『寝ながら学べる構造主義』や『表象の帝国』に緩やかにつながっている、といったようなことになる(ちょっと明示的すぎる例ですね)。

心ある大規模書店であれば、単行本においてこの手のことは実践されているし、たとえば、再建中の青山ブックセンター本店の思想書コーナーは、この手のことを意識しているだろう。しかし、せいぜい著者別であり、カテゴリーの境界線はかなりくっきりしている。書原の場合は、「関係なさそうで関係ある、関係ありそうで関係ない」書籍の連続であり、こうして繋がり続けることが、ボーダーが感じられないような錯覚を生んでいる。新書・文庫・出版社の種別なく、それぞれは少しづつ、総体として大量に、まるでパズルのように、縦軸横軸のラベルを持ちながら入り乱れ並んでいることが、そう思わせるのだろう。

縦軸横軸。そう、これはまるでくもの巣、つまりW.W.WEBの世界を彷彿とさせる。サーチエンジンへの複合的な検索語の入力を起点として、ある作家の一冊の本への興味が全体テーマに拡がり、そのテーマのつながりで、予想外の別の作者への関心、別のテーマへの関心が生まれていく。このことは、じつは読書遍歴が拡がり成長していくプロセスでもあるわけだが、書原の平台が実現している曼荼羅は、同様のナビゲータとしての可能性を宿している。もちろん実際の完成度は、ここでいうほど高くはないが、少なくとも、本好きがワクワクする場になっていることは間違いない。

ちなみに、わたしは、きっと在庫されているであろう確信をもって行方昭夫の『英文快読術』(岩波現代文庫)を買いにいったのだが、WEBに絡めとられてしまい、結局『英文快読術』は書棚に戻し、まったく別のビジネス書を買ってしまった。

出遭ったのは、『反戦略的ビジネスのすすめ』(平川克美、洋泉社)。立ち読みの時点で、心が震えてしまった。わたしの仕事人としてのこれからのマインドセットを大きく変えていくかもしれない、すばらしい示唆にあふれた本である。正確には、ビジネス書とはいえないが、この手のカテゴリーの書籍としては、ほんとうに久しぶりに心に染み入るすばらしい出会いとなった。
まず、帯の「平川克美」名が目に入り、その横に印鑑のように押されている「内田樹(との特別対談収録)」名で、瞬時に『東京ファイティング・キッズ』が想起され、同書は未読だが内田名義で気になっていたこともあり、その書簡相手である平川氏とはどのような人か、といった短慮の、しかも内田先生寄りの動機で、手に取ったものである。今回もまた、内田先生に感謝しなければならない。

同書は、勝ち組/負け組みを喧伝する競争主義や、似非起業、虚業、拝金主義に対し、多くの人が感じているにもかかわらず明確い言い表すことのできない、曖昧な不安のありかと処し方を明解に、そしてきわめて洗練された言葉で論じている。このことが、巷の成功読本で得られるような贋の短命な元気ではなく、本質的で長期的に持続する活力を与えてくれる。
現在、半分を読み終えているが、付箋だらけになってしまっている。2度読みのあと、当BLOGで、この本について、深く考えてみたいと思う。

なお『反戦略的ビジネスのすすめ』は、ここでしか売っていないわけではなく、おそらくいまは中規模以上の書店であれば、ビジネス書のコーナーで平積みになっていると思われるし、場合によってはベストセラーに位置しているかもしれないが、おそらく普通の書店であれば、流行りの啓蒙書にありがちなタイトルから(すいません!)手に取らなかっただろう。そういった意味では、書原のカオスに、これもまた感謝する必要があるかもしれない。


ちなみに平川克美氏の『反戦略的ビジネスのすすめ』(洋泉社)はその後『ビジネスに「戦略」なんていらない』というタイトルで洋泉社新書になり、そのあとさらに角川新書として『一回半ひねりの働き方 反戦略的ビジネスのすすめ』と解題・加筆・修正されたようだが、紙の本は手に入りにくいのかな。

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