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老いと向き合う

40代に入り、なんとなく「老い」を意識するようになった。43歳の冬には、めでたく(?)初めてのギックリ腰を経験したのは大きかった。
公園で娘を抱き上げた瞬間、それは起こった。
身体が一瞬硬直する。死を意識するはずはないが、なんとなく走馬灯的なイメージが頭の中を駆け巡る。きっとこれから腰が上げるであろう大きな悲鳴をいち早く感じ取った脳が反応した結果だろう。
それから2週間ほど、腰の痛みと共に生活をする。すると腰を庇う腕の付け根、つまり肩が次に悲鳴をあげる。
「あぁ、こうして身体が少しずつ言うことを聞かなくなるのが老いなのだな。」
老いることを受け入れた。

ところが、それから半年。
身体の痛みや動かしにくさは当たり前となり、寧ろ、それをカバーできるよう身のこなしが今までよりもスムーズになってきた(ような気がする)。

様々な知識も経験も毎日積み重なっていく。
効率的な身のこなしを文字通り体得し、知見が増えるのであれば、歳を重ねることに恐怖などない。あえて言えば、「老い」すら感じない。


そう、全ては捉え方次第だ。
何を始めるにしても、これからの人生で今日が一番若いわけだし。

スクートwithコーヒー

さて、今年はスノースクートデビュー!
老いと向き合うつもりが、肩透かしをくらわしてやったぜ!


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