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自然主義文学の入口①「首飾り」~ギ・ド・モーパッサン


~Une vie(ある一生):邦題「女の一生」(1883)

革命後のフランス文学は、感情をあらわに表現する「ロマン主義」が主流となりました。しかしやがて反動として、スタンダールやバルザックを経て、フローベールに代表される「写実主義」が台頭して行きます。

写実主義の特徴は、主観をおさえ、事物をありのまま描写しようとする作風です。その隆盛の背景には、社会全体の変化がありました。

19世紀ヨーロッパは、科学と産業の発展に伴い、貧富の格差等の社会問題が明るみになりました。
文学を主とした芸術は、個人の感情を謳歌するロマン主義とは対極にある「リアリズム」によって、人間と社会の真実を正確に活写する方向に向かったのでした。

さらに写実主義は、「自然主義」に発展して行きます。
自然主義は、科学的な裏付けを重視して、より実証的に社会や人間の醜悪な側面をも隠さずにあぶり出すことを旨とした思潮です

その代表的作家が、エミール・ゾラでした。

彼は実験色が濃い「居酒屋」(1876)や「ナナ」(1879)で、遺伝や社会環境の因果律に縛られた人間を、赤裸々に描き出そうとしました。

もう一人、自然主義の作家として挙げられるのがモーパッサンです。

モーパッサンはフロベールやゾラのもとで学び、中編「脂肪の塊」(1880)や長編「女の一生」(1883)で名を上げました。

また、彼は短編の分野でも手腕を発揮し、生涯に280本もの作品を残しています。
 中でも、よく知られている「首飾り」(1884)は読みやすく、ストーリーも面白いので、このジャンルではお勧めの一編です。
 


その美貌にも関わらず質素な境遇に甘んじるマティルドは、上流社会へのあこがれを捨てることができません。

ある日、晩餐会にたまたま出席することになった彼女は、その夜着飾るための高価な首飾りを裕福な友人から借ります。しかし、それを紛失してしまいます。

彼女は、その弁償のために追った莫大な借金を返すため、丸10年を犠牲にして身を粉にし、美貌も失ってしまいます。

歳月を経たある日、彼女はその友人にばったり遭います。そして驚愕の事実を知ります。

モーパッサンの作品は一般大衆の人気を博しました。中でも33歳のときの「女の一生」は、トルストイにも高く評価され、当時としてはたいへんな数である3万部を売りました。

このような成功によって裕福な暮らしを送ることができたものの、彼は健康面では恵まれませんでした。二十代から先天的梅毒により神経を患い、それは眼の疾患に及びました、

活発な執筆活動の一方で、病はモーパッサンを蝕んでいきました。
やがて奇行が目立つようになり、自殺未遂を起こして精神病院に収容されました。その病院で彼は42歳の生涯を閉じました。


ギ・ド・モーパッサン(1850-1893~フランス・小説家)
ゾラとともに自然主義を代表する作家。
普仏戦争に従軍後、パリに出て文部省等に勤務。その後、フローベールに師事して処女作「脂肪の塊」(1880年)で名を上げた。以後「女の一生」「ベラミ」などの長編小説を世に出した。また、約280にのぼる短編小説でも多くの傑作を多く残した。
その生涯は不遇であり、作品群は、生涯変わらぬ暗い厭世観を特色とした。
日本では、田山花袋、島崎藤村、永井荷風らに多大な影響を与えた。



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