「聞けばわかる」ことは、かなり少ない

小さい頃、わからないことがあると母か父に聞いていました。
母に聞くと「んー...わかんないなー」「パパに聞いてご覧」と返ってきて、父に聞くと「そこに百科事典あるから調べてご覧」と本棚を指さされました。
たぶん、覚えていないだけで教えてもらえたことも沢山あったのだと思いますが、その記憶はない…なぜ…。
ちなみに、素直に調べたのかと言えばそんなことはなく、面倒だからいいや…と疑問をそのままにしておくことの方が多かったと思います。

ただ、なんとなく、聞いても教えてもらえないんだな、ということはわかりました。
小さい頃の私はひどく人見知りで、担任の先生に質問するなんてことはできませんでした。
お友達のお母さんなども然り、です。
なので、私が知らないことを教えてもらう大人は、自分の親だけだったのです。
しかし、教えてはくれない。

ただ、父は私に惜しみなく本を与えてくれていました。
漫画から小説から図鑑から、お願いしたものからしていないものまで、毎月必ず何かしらの本を買ってくれていました。
二十代前半で高卒という父の当時のお給料を考えると、なかなかキツい出費だったのではないかと思います。
最初は本棚にしまうだけでだった私も、小学校に入ってからはよく本を読むようになっていたように思います。
そして、本には知らなかったことがたくさん書かれていることを知りました。
聞かなくても教えてくれるし、(小学生が読むくらいの本では)別の本を読め(参照しろ)って言わないし。

もう少し成長して、人とのコミュニケーションもいくらか上手に取れるようになってから気づいたのですが、わからないことを人に聞いてもスパッと答えが返ってこないことの方が多いんですよね。
スパッと答えを教えてくれても、記憶違いとかで間違っていたり。
会話のリズムが噛み合わなくて、私があまり理解できなかったり。
複数の人が全然違う答えを言っていたり。
中学生くらいから、「その人」に聞いて、間違いなくわかることは「その人に関すること」だけなんだな、となんとなく思うようになりました。
それに、答えが1つであることなんて、思ったほど多くない。
こういう見方もあるし、ああいう見方もある、とか。
でも、そういうことって、手近な人に聞くと全部の見方は出てこないことが多い気がして、だけどその人にしつこく聞くのも悪いし、別の人に聞くのもその人を信じてないみたいで嫌だし…。
やっぱり、自分で調べた方がいいや…人と喋るの苦手だし…と思ったのが高校生くらいの頃でしょうか。

幸い、オタクなので調べることは苦にならないんです。
今は本だけじゃなくてインターネットも使えるから、本当に便利。
親やお友達とおしゃべりする時は、調べればわかることじゃなくて、相手のことを聞いたり私のことを話したりする方が良い。
だから、私は疑問に思うことがあったら、人に聞かずに調べるようにしています。
もちろん、「これは誰が言っていることなのか?」も含めて。
自分の読解力をそんなに信用できないし、引用した人やまとめ直した人の文章の癖で結論のイメージが変わってしまうから。
しかも、その人が言っていることが本当であっても、私が正しく受け取れているとは限らない。
それってすごく怖いし申し訳ない。

ちなみに、私が誰かに何かを聞かれた時、私のことじゃなければ一緒に調べるようにしています。
たとえ知っていることだったとしても、その出典を忘れてしまっていたら、もう一度調べる。
そして、相手と一緒に見て、「へーーーー!」って言う。
まず調べるという習慣は、両親が私にくれた沢山の物の中の一つだけれど、まさに今、この習慣があって良かったなと思っています。
色々な情報や意見が飛び交っているからこそ、自分は何が知りたいのかを考えて、そのためにはどんな情報を集めれば良いのか考えて、他の情報と比べてみたり、情報を細かく分けてまた調べたりしていく。
だって、今、これまで聞いたことなかった言葉がいっぱい使われている。
なんとなくわかった気になって使ってるけど、いざ説明しようとしたらできない言葉ばかりでした。
だから、調べなきゃいけないんですよね。
だって、嘘はつきたくない。

私に子供はいませんが、小学生向けのワークショップを行なっています。
講座の中では、「人に聞いてわかることなんて、そんなにないんだよ。わかんないことは、実際にやってみるか、調べるんだよ」と伝えています。
「先生の言っていることだって、数年後には間違いになってるかもしれないよ」とも。
私の講座に来てくれた子供達が、今のこの状況の中でも情報に振り回されず、自分なりに調べてくれていたら良いなと思っています。

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