見出し画像

連載小説【フリーランス】#11:ミスター模範解答

 次の朝、幸代が出勤すると、アルバイトのミヤちゃんが給湯室で歯を磨いていた。徹夜しちゃって、と歯ブラシをくわえた口がモゴモゴ言う。この春に芸術大学を卒業したばかりのミヤちゃんは絵を描いている。主な発表の場はインスタグラムで、それを見た人からときどき発注があるらしい。学生の頃にCLOSETで同級生たちと展示会を開いたことがあり、それがきっかけで週に三日ほどここで働きながら、今は次の個展の準備中だという。

 ミヤちゃんは正和が初めてCLOSETに来たときに事務所で目撃している。二人の出会いに立ち会った唯一の人物だ。正和のイベントでは当日の会場サポートで入ってもらったので、打ち上げにも幸代と一緒に参加した。でもイベントが終わってから正和が職場に来ることはなかったし、その後彼のことが二人の間で話題にのぼることもなかったので、つき合い始めたときも、つき合っているときも、特に何も言わなかった。内緒にしていたというよりも、話すきっかけがなかったのだ。

「まさか先輩があのリーマンダンサーと結婚するとは……!」

 だから結婚の報告をして、相手を告げたときのミヤちゃんは、シンプルに驚いた。

「そんなにびっくりする?」
「しますよ~。だって二人のやり取りを聞いてても、全然、チューニングが合ってない感じだったから」
「そう見えた?」
「誰が見てもそうだったと思いますよ」

 そんなつもりはなかった。契約の日、会話が噛み合っているとも感じなかったが、噛み合っていないとも感じていなかった。正和はあくまでも顧客であって、クライアントとして失礼のないように接していただけだ。それにおいては問題なかったと思う。

「どんなふうに合ってなかった?」
「うーん、サッカーのピッチでバスケやろうとしてる感じですかね。先輩はサッカーのつもりでも、向こうはバスケなんですよ。同じ空間でお互いにルールもゴールも違うゲームをしようとしてる。どっちも間違ってないけど、サッカーボールをリングに入れても、バスケットボールをゴールに入れても、点にはなりませんよね」
「不毛ってこと?」
「上手くいけばノンゼロサムゲームですよ」

 わかるような、わからないような。

「じゃあミヤちゃんから見て彼はどうだった?」
「ミスター模範解答」

 即答だった。

「間違ってはないってことね」

 わざと大げさに頭を逸らして目を細めたミヤちゃんの人差し指が真っ直ぐに幸代を差した。⏩#12


⏪#10:完璧な仏像に似た
⏪#9:割れた風船の中には
⏪#8:マッチ&デートツアー
⏪#7:人生はレディメイド
⏪#6:残されたまばたき
⏪#5:マスゲーム襲来
⏪#4:風の強い日
⏪#3:渋滞のハイウェイ
⏪#2:神々の大量虐殺
⏪#1:夜の教室

↩️最初から読む

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?