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#8 駒込考

 繰り返しになるが、筆者の生まれは上北郡野辺地町であるが、筆者の実家は青森市駒込字桐ノ沢にある。小字としての桐ノ沢はかなり広い範囲に亘るが、桐ノ沢といえば筆者の実家がある桐ノ沢団地を指すことが多い。あまり詳しくは知らないのだが、桐ノ沢団地は廃坑となった上北鉱山(1940年本格操業、1973年閉山)で働いていた人々が戦後集住した団地であったらしく、筆者も父親から上北鉱山時代の話を少し聞いた記憶がある。
 駒込の地名は、戦国時代までは遡れることが分かっており、天文年間の津軽郡中名字に東卒都浜(東外浜)のうち「駒籠」とある。近世においても津軽郡田舎庄駒籠村とあり、近代以降は駒込村と書いた。菅江真澄の「すみかの山」には「降魔籠」とも書かれている。「貞享4年検知水帳」(1687年)には小字名として桐野沢(桐ノ沢)、三吉(見吉)、前田、蛍沢、月見野があり、現在も地名として残っている。ここに見える古舘5町余りとは、駒込館跡に比定されており、菅江真澄が「堀子山には蝦夷が城(チャシ)のありて、めぐりの堀のあとなど今に残れり」と書いた箇所にあたると想定されている。筆者も青森市教育委員会に勤めていた頃、該当地周辺を歩いてみたが、城館遺構ははっきりと分からなかった。
 同じく八幡社地、観音堂地とあるが、駒込字見吉に現在も八幡宮が鎮座している。観音堂は遺名もないため分からないが、八幡宮とともにあったのかもしれない。駒込の地名由来として、近くを流れる駒込川が暴れ川であったため、川の神様に馬を捧げたところ洪水が収まったとの伝説を聞いたことがある。実際には、駒込(駒籠)は馬込(馬籠)と同じく、駅馬や厩舎に関わる地名であり、古来より馬産地でもあった外ヶ浜に相応しい地名であろう。直接は関連しない可能性が高いが、月見野には筆者が小学生の頃まではばん馬競馬(ばんえい競技)のコースがあった。
 前述の駒込伝説は、馬(駒)を川に沈める(込める)という文字面から想起された話であろうが、北東北には『遠野物語』に代表される馬を河童(川の神様)が水に引きずり込むという説話が分布しており、近世・近代以降に創作された話とは限らない。馬は水神である龍の眷属とする考え方があり、水と関係性が強い動物とされる。また、河童は猿にも似るが、馬と猿もまた信仰の世界では関連があり、厩猿信仰や猿駒曳の説話は枚挙に暇がない。かかる思想を汎ユーラシアにまで広げて考察した石田英一郎著『河童駒引考』は筆者座右の一書でもある。
 こじつけかもしれないが、青森市では水たまりなどに足をとられることを「カッパとった!」といい、河童に足をとられることを意味する。このような方言が存在する土地なればこそ、駒込伝説はその意義を強めるのである。

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