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#28 紅一点

 男性ばかりの中に一人だけ女性がいることを、「紅一点」と表現する。しかし、このような性差を強調する物言いは、いかにも昭和的であり、今後使われなくなるだろう。というか、ここ10年は聞いていない気がする。20歳代以下の方々は本当に聞いたことがないのかもしれない。
 ところで、「紅一点」の出典は、北宋の政治家にして唐宋八大家にも数えられる文人、王安石(1021~1086年)の漢詩「詠柘榴詩」であるとされる。「万緑叢中紅一点、動人春色不須多」の二節のみが伝わっているが、「万緑叢中紅一点(ばんりょくそうちゅうこういってん)、人を動かす春色(しゅんしょく)多くを須(もち)いず」と読み下されることが多い。すなわち、「見渡す限りの緑のくさむらの中に、赤い柘榴の花が一輪だけ咲いている。人の心を動かす春の景色は多くを要さない(一輪だけで十分だ)」との意味である。
 ここから、大勢の人の中で突出して優れた人物のことを「紅一点」と称するようになった。類義語に「鶏群の一鶴」がある。明治以後の我が国でも同じように言い慣わされてきたが、赤い花に女性のイメージがあったためか、いつの間にか男性ばかりの中の女性という意味合いが生じてきたらしい。実際には戦後に流布された慣用句であるのだろう。
 ところで、筆者ははじめ「万緑叢中紅一点」の一節だけを知り、それが柘榴であることを知ったため、緑の柘榴畑の中で、一個だけ収穫し忘れた真っ赤な柘榴が映えている風景を思い描いてしまった。これは、筆者が実際に学生時代に訪れた中国・西安郊外の柘榴畑を見ているからであり、西安の名産品でもあるという柘榴のイメージは鮮烈に記憶に刻まれている。このような勘違いにより、「紅一点」とは実は熟女の隠喩であり、若い女性に使うのはいかがなものかと勝手に思い込んでいたのだが、残る一節「動人春色不須多」を読めば、ああ、やはり春の花の漢詩だったのかと納得できる。というのも、柘榴の花期は初夏(5~6月)であり、葉の緑が濃くなった時期にちょうど咲くのである。花も徐々に咲いていくため、最初は一輪だけであってもおかしくはない。対して柘榴の果実は、秋(9~10月)が収穫期であり、緑の葉は残されているが「春色」はそぐわない。
 ちなみに、「詠柘榴詩」は、本当に王安石が詠んだものかははっきりしないらしい。「宋詩」という書物の中に、王安石が詠んだとされる「濃緑万枝紅一点、動人春色不須多」の二節を含む漢詩が収録されており、これが基になったとも考えられている。

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