小説「VANISH!」に登場する大正時代の沖縄について
私が現在、なろうやカクヨム、アルファポリスと言ったWEB小説で執筆している「VANISH!」の時代設定である「大正時代の沖縄」について紹介したいと思います。
本当は「1916年の沖縄」と表記したい所ですが、わかりやすく「大正時代の沖縄」と表記しました。
背景画像の画像は那覇市歴史博物館の写真資料にある戦前の那覇郵便局であり、作中にも登場します。
なお小説の方はカクヨムメインで書いているので、カクヨムの方を表示いたします。
大正時代の沖縄とは?
「VANISH!」の作中年代は日本史の時代における「大正時代」に該当する時代であり、画像にある琉球・沖縄史の歴史年表では1879年の琉球併合から1945年の沖縄戦の間です。
つまり琉球併合から37年後、沖縄戦が始まる29年前の物語です。
沖縄県のホームぺージでは1879年以降の沖縄に関する記述は空白となっているので、もっと詳しく年表を見たい方は沖縄県教育委員会による「琉球王国交流史・近代沖縄史料デジタルアーカイブ」で見る事ができます。
また、こちらのサイトでは作中の時代設定である1916(大正5)年の沖縄についてこんな風に書かれています。
また、年表に登場する伊波普猷、小田切磐太郎、大味久五郎、眞境名安興は作中に登場する実在の人物です。
この時代の沖縄は経済的にも安定期であり、1924年に訪れるソテツ地獄はもう少し後の時代となります。
物語に散りばめられた沖縄戦への伏線
私の小説は池上永一の小説「テンペスト」と違い、沖縄戦に近い時代なので「沖縄戦への伏線」を小説の中で描いています。
まず、物語の主人公である兼村未来(みく)が通う学校は県立高等女学校であり、沖縄県女子師範学校とも併設している学校ですが、実はこの学校、後にあの「ひめゆり学徒隊」として動員される学校です。他の登場人物達が潜入捜査している学校も「瑞泉学徒隊」や「1中鉄血勤皇隊」と言った沖縄戦時には学徒動員される学校になります。
また作中の描写から沖縄戦につながる台詞も多数見られる。
作中の主な舞台である那覇について
作中の主な舞台である「那覇」について解説したいと思います。沖縄が舞台になっている映像作品って意外と「那覇」が舞台の作品が少ないんですよね。
私が知っている中で那覇が舞台の映像作品は「沖縄やくざ戦争」、「涙そうそう」ぐらいです。
ちなみに当時の那覇の地図は今と違ってこんな感じです。
これを見ながら小説を書いている身です。那覇市の歴史については市の公式ホームページによると
と書かており、那覇も1921(大正10)年までは「区」だったようです。これは小説にも言及されています。
当時の那覇も東京府・東京市みたいな感じで名称が異なっていたようですね。また、地名も東京同様、今とは異なる地名であり、当時は西本町、西新町、天妃町、久米町などがありました。現在では戦後の区画整理によって無くなった町です。
また那覇についてはこんなホームページもございます
大正時代の沖縄にあった軽便鉄道と路面電車
大正時代の沖縄にあった公共交通機関と言えば「軽便鉄道」と「路面電車」です。
これらの公共交通機関は作中にも登場し、主人公達も乗車しています。知名度は「路面電車」より「軽便鉄道」の方が高いですが、先に開通したのは後者。路面電車は1914(大正3)年の5月3日、首里-久米間に開通しています。そして軽便鉄道は同じ年の12月に那覇-与那原間に開通しています。
軽便鉄道の路面図は「やんばる国道物語」近代沖縄の道(1879年~1945年)のホームページにも掲載されています。
また、戦時下に入ると、「軍事鉄道」としても使用されており、引用文によると、このように書かれています。
沖縄戦の後、軽便鉄道は作られる事はありませんでしたが、戦後も「軽便鉄道節」など民謡として歌が残っています。
しかし、そんな軽便鉄道も沖縄戦の前に爆発事故が起こり、200人以上が亡くなっています。
ちなみに路面電車の方はバスとの競争に敗れ、1933(昭和8)年の8月22日に全線が廃線となっています。
路面電車に関する詳しい事は琉球大学付属図書館のYouTubeチャンネルでも紹介しています。
また「琉球新報」の動画では路面電車や軽便鉄道のチケットを入手した人がいたそうです。
小説の主人公達もこのチケットを使用していたかもしれませんね。
他府県から来た寄留商人と呼ばれる人達
作中にも登場し、近代の沖縄を語るうえで切っても切り離せない人達がいます。それが県外から来た「寄留商人」と呼ばれる人々です。
彼らは琉球併合後に来た人達で当初は石垣に囲まれた家で商売をしていたそうですが、時代と共に町屋造りの家に改造して商売を始めるようになったようです。彼らは主に米や砂糖などの取引を独占します。主に大阪出身や鹿児島出身者が多く、中には議員と言った政治家になるものがいたそうです。
彼らの子息や子女の中にも中学校や女学校に進学するものもおり、作中に登場する小澤栄もその1人です。
寄留商人に関する史料は1916(大正5)年に書かれた「沖縄県人事録」が著名です。その中には著名な寄留商人が掲載されています。
沖縄の寄留商人の中で著名なのが尖閣諸島を所有していた古賀辰四郎であり、福岡県八女市の出身です。彼は作中にも登場し、辰四郎が行った開拓について言及されています。
このアホウドリの採取のせいで尖閣諸島にいるアホウドリは絶滅危惧種にまで追い込まれたそうです。
また、当時の辰四郎の様子が作中でも書かれています。
そこでは辰四郎が病気で伏せっている様子がかかれています。実際に彼は病気だったらしく、翌年に亡くなります。
翌年に息子の古賀善次が家督を相続しますが、1972(昭和47)年に南小島と北小島を栗原弘行に譲渡したそうです。
寄留商人の店が多く掲載されている動画があるのでこちらの方も見てください。多くが那覇市歴史博物館の写真資料から掲載されています。
その中には作中にも登場した小澤栄の父朝蔵(茨城県出身の寄留商人)が経営する「小澤博愛堂」も写っています。
また寄留商人の中には絵葉書を残す者もおり、鹿児島出身の坂元栄之丞がそうです。彼は「坂元商店」を経営しており、「坂元商店」が残した絵葉書アルバムはこの時代の沖縄を知るうえで貴重な史料となっています。
寄留商人も戦争に近づくと、多くが県外に疎開し、戦後、殆どの家が没落しましたが、成功した一族として竹内和三郎の一族が挙げられます。かれは沖縄食糧、沖縄製粉の創業者です。
その他にも十文字呉服店という呉服店が元々、寄留商人の店ではないか?とされている店がありました。なんと国際通りにあるみたいです。
大正時代の沖縄にあった意外な店
沖縄と言うと、ステーキ―文化のイメージがかなり強いですが・・・(ステーキハウス88など)戦前の沖縄にはなんと洋食店があったそうです。
その名も「偕楽軒」という店であり、当時の那覇西新町と言う場所にあったそうです。
こちらも迷宮都市・那覇を歩くというホームページに掲載されています。
作中では主人公達が「偽装結婚」ならぬ「偽装お見合い」の場所としてこちらを使用しています。
まとめ
以上、小説の時代である大正時代の沖縄について紹介しました。よくアメリカ統治下時代を「アメリカ世ー(ゆー)」と呼ぶ事がありますが、この時代は「大和世(ゆー)」と呼ばれます。なぜかな?と思ったら、那覇中心かつ本土の人間が多かったからなんですよね・・・・
小説は現在、良い所に入っているのでぜひ、そちらもみてください。
出典
沖縄県ホームページ 歴史年表https://www.pref.okinawa.jp/site/kodomo/land/koryu/nenpyo.html
琉球王国交流史・近代沖縄史料アーカイブ 沖縄県教育員会
那覇区全図 沖縄県立図書館
やんばる国道物語・近代沖縄の道(1879年~1945年)
沖縄県人事録 1916年 沖縄県人事録
那覇市の歩み 那覇市公式ホームページ
消えた町名
https://www.city.naha.okinawa.jp/sigikai/search.files/search_4.pdf
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