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小説「VANISH!」に登場する大正時代の沖縄について

  私が現在、なろうやカクヨム、アルファポリスと言ったWEB小説で執筆している「VANISH!」の時代設定である「大正時代の沖縄」について紹介したいと思います。
 本当は「1916年の沖縄」と表記したい所ですが、わかりやすく「大正時代の沖縄」と表記しました。
  背景画像の画像は那覇市歴史博物館の写真資料にある戦前の那覇郵便局であり、作中にも登場します。

  なお小説の方はカクヨムメインで書いているので、カクヨムの方を表示いたします。




大正時代の沖縄とは?

 「VANISH!」の作中年代は日本史の時代における「大正時代」に該当する時代であり、画像にある琉球・沖縄史の歴史年表では1879年の琉球併合から1945年の沖縄戦の間です。
つまり琉球併合から37年後、沖縄戦が始まる29年前の物語です。

琉球・沖縄史年表画像は沖縄県のホームページから
https://www.pref.okinawa.jp/site/kodomo/land/koryu/nenpyo.html

 沖縄県のホームぺージでは1879年以降の沖縄に関する記述は空白となっているので、もっと詳しく年表を見たい方は沖縄県教育委員会による「琉球王国交流史・近代沖縄史料デジタルアーカイブ」で見る事ができます。

 また、こちらのサイトでは作中の時代設定である1916(大正5)年の沖縄についてこんな風に書かれています。

【沖縄】
3.16 沖縄広運株式会社,大阪商船株式会社に売却される(那覇を中心とする諸航路,事実上大阪商船株式会社の独占航路となる).

4.13 那覇港築港竣工式行われる.

4.28 大味知事解任,小田切磐太郎第12代県知事となる.

この月,沖縄馬車軌道株式会社,与那原-中城村渡口間開通(11月までには泡瀬まで延長).

5.4 小田切知事解任(免官),鈴木邦義第13代知事となる.

5.二中ストライキ事件おこる(~1917.12.4). 

この月,沖縄へ自動車がはじめて輸入される.

6. 沖縄製糖株式会社設立,認可される.

この年,伊波普猷・真境名安興『琉球之五偉人』刊行.

 琉球王国交流史・近代沖縄史料デジタルアーカイブ 沖縄県教育員会より

 また、年表に登場する伊波普猷小田切磐太郎大味久五郎眞境名安興作中に登場する実在の人物です。
この時代の沖縄は経済的にも安定期であり、1924年に訪れるソテツ地獄はもう少し後の時代となります。


物語に散りばめられた沖縄戦への伏線

 私の小説は池上永一の小説「テンペスト」と違い、沖縄戦に近い時代なので「沖縄戦への伏線」を小説の中で描いています。
 まず、物語の主人公である兼村未来(みく)が通う学校は県立高等女学校であり、沖縄県女子師範学校とも併設している学校ですが、実はこの学校、後にあの「ひめゆり学徒隊」として動員される学校です。他の登場人物達が潜入捜査している学校も「瑞泉学徒隊」「1中鉄血勤皇隊」と言った沖縄戦時には学徒動員される学校になります。
 また作中の描写から沖縄戦につながる台詞も多数見られる。


作中の主な舞台である那覇について

作中の主な舞台である「那覇」について解説したいと思います。沖縄が舞台になっている映像作品って意外と「那覇」が舞台の作品が少ないんですよね。
私が知っている中で那覇が舞台の映像作品は「沖縄やくざ戦争」、「涙そうそう」ぐらいです。
ちなみに当時の那覇の地図は今と違ってこんな感じです。

那覇区全図 1915年

これを見ながら小説を書いている身です。那覇市の歴史については市の公式ホームページによると

19世紀に入ってからは西洋諸国の異国船が来航し、日本開国の前年の1853年にはペリー提督が那覇に上陸しました。1879年(明治12年)の廃藩置県により、那覇に県庁が置かれたことにより、首里に代わって沖縄県の政治・経済・文化の中心地となりました。同年、泊、久米、久茂地を編入し、近代那覇の行政区域の基盤ができ、1896年(明治29年)特別区制の施行により、那覇区となりました。1903年(明治36年)土地整理事業の完了にともなって真和志より牧志、小禄より垣花を編入し、さらに1914年(大正3年)には、壺屋を真和志村から、そして新たに、埋立てた旭町を加え、また町名を設定して24ケ町となりました。
1921年(大正10年)5月20日、特別区制が廃され、他府県同様の一般市制が施行され、那覇は、市となりました。こうして沖縄県の県都として栄えた那覇市は、太平洋戦争末期の1944年(昭和19年)10月10日の大空襲で市域の90%を焼失、さらに引き続く沖縄戦によって完全な焦土となり、多年にわたって築いたまちは灰じんに帰しました。

那覇市のあゆみ 那覇市のホームページより

と書かており、那覇も1921(大正10)年までは「区」だったようです。これは小説にも言及されています。

松尾山を出た5人は那覇にある若狭大通りに出ることにした。若狭大通りに出ると、職人が多く住む赤瓦の屋根とモダンな門を構えた官舎が見えた。恐らくそこは当時の那覇地方裁判所だろう。

「えー!この時代の沖縄って那覇でも読谷と変わらないじゃん」


 蓮は那覇の街並みを見て車やバイクが通らない静かな雰囲気に驚いていた。未来も当時の那覇を想像すらしたことが無かったので、思わず辺りを見渡した。近くには人力車を運ぶ運転手が裁判所の日陰で休んでいた。

(なんか沖縄ぽくないな)

未来は人力車がある当時の那覇に違和感を感じていた。

「声がでかい。この時代の那覇は那覇区と呼ばれている。間違えても那覇市と言わないように。那覇市になるのは1921年からだ」

拓也が当時の那覇の呼び方について注意すると未来と連が「はい」と返事した。

第1部  第5話 女学校前より

当時の那覇も東京府・東京市みたいな感じで名称が異なっていたようですね。また、地名も東京同様、今とは異なる地名であり、当時は西本町、西新町、天妃町、久米町などがありました。現在では戦後の区画整理によって無くなった町です。
また那覇についてはこんなホームページもございます


大正時代の沖縄にあった軽便鉄道と路面電車

 大正時代の沖縄にあった公共交通機関と言えば「軽便鉄道」と「路面電車」です。
 これらの公共交通機関は作中にも登場し、主人公達も乗車しています。知名度は「路面電車」より「軽便鉄道」の方が高いですが、先に開通したのは後者。路面電車は1914(大正3)年の5月3日、首里-久米間に開通しています。そして軽便鉄道は同じ年の12月に那覇-与那原間に開通しています。
軽便鉄道の路面図は「やんばる国道物語」近代沖縄の道(1879年~1945年)のホームページにも掲載されています。


当時の県営鉄道の地図


 1910(明治43)年、国は 軽便 鉄道法を公布し、 設備の小さな「軽便鉄道」建設の動きが盛んになります。沖縄県でも1911(明治44)年、 県営けんえい の軽便鉄道 敷設ふせつ について話し合われました。

初めて沖縄に鉄道が走ったのは県営鉄道与那原線で、1914(大正3)年12月から営業を開始しました。 また、同年4月には、那覇から首里までちんちん電車(電気軌道)が開通します。電車は 旅客 のみでしたが、買物客や学生などの多くの人に利用されました。一方、県営鉄道 は与那原港と那覇を結び、東海岸から多くの荷物を運び沖縄の産業に 貢献こうけん しました。

沖縄県 統計書 によると、1906(明治39)年の県内荷馬車 の数は104台で、そのうち88台は与那原を拠点に運行されて いました。
 このことからも、与那原港は国頭地方からの物資が集められ、ここから県下一大消費地である那覇へ運ばれていたことがわかります。

1922(大正11)年、県営鉄道の 嘉手納線 (那覇-嘉手納間、約23.6キロ)が開通しました。嘉手納にある 精糖せいとう 工場の製品輸送が目的の一つでした。砂糖輸送料金は産業保護を目的に安く設定されていたため、 営業収入の八割は旅客収入で占めていました。当初は 蒸気機関車じょうききかんしゃ でしたが、一1930(昭和5)年にはガソリンカーが旅客用として走るようになりました。 嘉手納-那覇間は途中15の駅があり、2時間半を要しました。1923(大正12)年に開通した糸満線 は、与那原線国場駅より分かれ、島尻郡の中央を通って糸満に抜けるコースでした。

やんばる国道物語 近代沖縄の道(1879年~1945年)より

また、戦時下に入ると、「軍事鉄道」としても使用されており、引用文によると、このように書かれています。

太平洋戦争がはじまると、鉄道の輸送量が増加しました。そこで輸送力増強のため、軽便鉄道では大型の 20トン級機関車の導入が決まりました。この対応のため、レールの取り替えが行われることとなりました。 与那原線は1927(昭和2)年からレールの取り替えがされました。嘉手納線は1942(昭和17)年、 レールの取り替え作業が始まりました。しかし、 空襲くうしゅう など 戦時体制の突入により機能停止となりました。
  また、戦時統制下の 燃料不足でバス台数が減らされ、国頭郡や中頭郡では名護までの鉄道の 敷設(ふせつ )が要望されるようになりました。1942(昭和17)年9月から二ヶ月にわたり、鉄道省によって調査が行われ、 計画が立てられましたが、戦時情勢の悪化によってうやむやになりました。県営鉄道も1945(昭和20)年3 月23日から28日ごろ、沖縄戦で破壊されました。

やんばる国道物語 近代沖縄の道(1879年~1945年)より

  沖縄戦の後、軽便鉄道は作られる事はありませんでしたが、戦後も「軽便鉄道節」など民謡として歌が残っています。
しかし、そんな軽便鉄道も沖縄戦の前に爆発事故が起こり、200人以上が亡くなっています。


 ちなみに路面電車の方はバスとの競争に敗れ、1933(昭和8)年の8月22日に全線が廃線となっています。

路面電車に関する詳しい事は琉球大学付属図書館のYouTubeチャンネルでも紹介しています。


 また「琉球新報」の動画では路面電車軽便鉄道のチケットを入手した人がいたそうです。

小説の主人公達もこのチケットを使用していたかもしれませんね。

他府県から来た寄留商人と呼ばれる人達

 作中にも登場し、近代の沖縄を語るうえで切っても切り離せない人達がいます。それが県外から来た「寄留商人」と呼ばれる人々です。
 彼らは琉球併合後に来た人達で当初は石垣に囲まれた家で商売をしていたそうですが、時代と共に町屋造りの家に改造して商売を始めるようになったようです。彼らは主に米や砂糖などの取引を独占します。主に大阪出身や鹿児島出身者が多く、中には議員と言った政治家になるものがいたそうです。
彼らの子息や子女の中にも中学校や女学校に進学するものもおり、作中に登場する小澤栄もその1人です。

寄留商人に関する史料は1916(大正5)年に書かれた「沖縄県人事録」が著名です。その中には著名な寄留商人が掲載されています。

沖縄の寄留商人の中で著名なのが尖閣諸島を所有していた古賀辰四郎であり、福岡県八女市の出身です。彼は作中にも登場し、辰四郎が行った開拓について言及されています。

善次は自身の父について語り始めた。父辰四郎は現在の福岡県八女市山内で生まれ、1879年に那覇に来て寄留商人として商売を始めたという。

1884年、尖閣諸島の1つ久場島を探索させ、翌年には人を派遣してアホウドリを採取させた。11年後には本格的な尖閣諸島の開拓が始まったらしい。

第1部 第20話 沖縄観光物産店の親子(?)より

このアホウドリの採取のせいで尖閣諸島にいるアホウドリは絶滅危惧種にまで追い込まれたそうです。
また、当時の辰四郎の様子が作中でも書かれています。

善次はその後、病床で伏せっている父辰四郎の元へ行った。

「父さん、僕らに協力したいという沖縄観光物産店の経営者がおりますが、その方がどうも胡散臭いのです」

善次が話すと、辰四郎は起き上がった。

「……胡散臭いのか…まぁ別に協力的ならいいじゃないのか?」
「それが…」
「それがどうした?私は別にどちらでも良い。彼らに協力するもしないもお前次第だ」

辰四郎はまた寝てしまった。

第1部 第20話  沖縄観光物産店の親子(?)より

そこでは辰四郎が病気で伏せっている様子がかかれています。実際に彼は病気だったらしく、翌年に亡くなります。
 翌年に息子の古賀善次が家督を相続しますが、1972(昭和47)年に南小島と北小島を栗原弘行に譲渡したそうです。

寄留商人の店が多く掲載されている動画があるのでこちらの方も見てください。多くが那覇市歴史博物館の写真資料から掲載されています。

その中には作中にも登場した小澤栄父朝蔵(茨城県出身の寄留商人)が経営する「小澤博愛堂」も写っています。

また寄留商人の中には絵葉書を残す者もおり、鹿児島出身の坂元栄之丞がそうです。彼は「坂元商店」を経営しており、「坂元商店」が残した絵葉書アルバムはこの時代の沖縄を知るうえで貴重な史料となっています。

  寄留商人も戦争に近づくと、多くが県外に疎開し、戦後、殆どの家が没落しましたが、成功した一族として竹内和三郎の一族が挙げられます。かれは沖縄食糧沖縄製粉の創業者です。

その他にも十文字呉服店という呉服店が元々、寄留商人の店ではないか?とされている店がありました。なんと国際通りにあるみたいです。


大正時代の沖縄にあった意外な店

沖縄と言うと、ステーキ―文化のイメージがかなり強いですが・・・(ステーキハウス88など)戦前の沖縄にはなんと洋食店があったそうです。
その名も「偕楽軒」という店であり、当時の那覇西新町と言う場所にあったそうです。
こちらも迷宮都市・那覇を歩くというホームページに掲載されています。

作中では主人公達が「偽装結婚」ならぬ「偽装お見合い」の場所としてこちらを使用しています。


まとめ

以上、小説の時代である大正時代の沖縄について紹介しました。よくアメリカ統治下時代を「アメリカ世ー(ゆー)」と呼ぶ事がありますが、この時代は「大和世(ゆー)」と呼ばれます。なぜかな?と思ったら、那覇中心かつ本土の人間が多かったからなんですよね・・・・
小説は現在、良い所に入っているのでぜひ、そちらもみてください。


出典

沖縄県ホームページ 歴史年表https://www.pref.okinawa.jp/site/kodomo/land/koryu/nenpyo.html

琉球王国交流史・近代沖縄史料アーカイブ 沖縄県教育員会

那覇区全図 沖縄県立図書館

やんばる国道物語・近代沖縄の道(1879年~1945年)

沖縄県人事録 1916年 沖縄県人事録

那覇市の歩み 那覇市公式ホームページ

消えた町名

https://www.city.naha.okinawa.jp/sigikai/search.files/search_4.pdf




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